愛知学院大学 禅研究所 火曜参禅会

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研修旅行レポート

長崎平成14年度 長崎の禅刹と異国文化をたずねて

研修旅行 長崎 写真1

 平成14年度は、9月9日から11日の日程で長崎県を訪れました。参加者は34名でした。

 1日目は空路長崎へ入り、まずは佐世保市内で海上自衛隊の資料館を見学しました。その後、高速船で九十九島を遊覧しつつ、平戸島に上陸し、島内の中心部に点在する紐差教会、切支丹資料館、宝亀教会を訪れました。また、旅館では同地に伝わる平戸神楽の中でも圧巻とされる、「二剣の舞」を見学しました。

 2日目は、平戸教会、真言宗最教寺を訪問した後に平戸島を離れました。そして、諫早市の眼鏡橋を見学した後、同市内の天祐寺を拝登しました。そして、夕食では長崎名物の卓袱料理に舌鼓を打ちました。

 3日目は、長崎市の眼鏡橋を渡って黄檗宗興福寺を訪れ、引き続いて曹洞宗晧臺寺の拝登、黄檗宗興福寺の見学に向かいました。また、午後からは大浦天主堂とグラバー園、中華街、そして平和公園を散策し、異国情緒あふれる長崎の地に別れを告げました。

長崎を旅して横山 和光

研修旅行 長崎 写真2

 私は今年3月定年を迎えるが、私が本学の図書館に就職して2年目の昭和42年11月、福岡県にある久留米大学において医学図書館協会総会が開催されたさい、館長のお供をして初めて総会に参加した。その総会終了後に、2泊3日の長崎方面の研修旅行がセットされていて、その最初の訪問先が平戸であった。

 初めて訪れた平戸の地で、夕陽に浮かぶ美しい島々の光景に魅入られた思い出が脳裡に焼きついていたが、その平戸に、図書館員生活の最後になって、再び訪れることに何か因縁めいたものを感じた。

 私は禅研旅行に長年参加してきた。禅研旅行の目的は仏教、特に禅に対する理解を深め、仏教文化に親しむことにあると思っているが、その訪問先が普段の旅行ではあまり行くことのできない場所であり、私のような在家の者にはできない宗教的な体験ができ、大変有難いと思っている。

 今回の旅行では、最初の日に平戸を訪れた。平戸島の奥深くに分け入って、周囲の景色に不釣合と思われるような立派なキリスト教会に礼拝し、根獅子にある「平戸切支丹資料館」では隠れキリシタンの歴史を勉強したが、このような辺境の地に、キリスト教が布教されたことにまず驚きを感じた。当時の民衆は、神秘的な風貌のポルトガル人宣教師が説くキリストの教えに魂の救済を信じ、迫害にもめげず信仰心を深めていったものと想像される。

 2日目は、今回の旅行の主目的地の一つである諫早の天祐寺に拝登した。天祐寺は、諫早公園から歩いて10分ほどのところにあり、諫早家代々の菩提所でもある由緒ある寺院で、大門を始め歴史的建造物が建ち並べ荘厳な禅刹である。そして、そこで聞いたお話で、江戸時代末期の頃、この地方では仏教寺院や仏教徒がキリスト教徒から迫害を受けて、仏教が痛手を受けた時代があったことを聞き意外に思ったが、新しい知識を得ることができ興味をひかれた。
3日目は長崎の高台に建つ晧臺寺に拝登した。ここでは、20名ほどの僧侶の方が、休日を返上して私達のためにお勤め下さり、接待して頂いたことに感激した。このように多数の若い僧侶が読経される場面は、普段お目にかかることのできない光景であったので、とても清々しく有難く思われた。そして、ここでは、境内に幼稚園が付設されていて、寺の行事と一体となって幼児教育が行われていることを聞いた。幼児期から宗教的情操を身につけることは、人格形成にとってとても大切なことと思われるので、ここでの教育は宗教的教育の理想の姿ではないかと思った。

 その他、今回の旅行では、幾つかの寺院を巡り、グラバー園、中華街などで長崎の異国文化にも触れた。長崎は坂の街と言われるように、山頂近くのホテルから眺める長崎市街は、港を見下ろすように周囲の山の中腹まで人家が建ち並び、夜ともなれば、光の一大ページェントが繰り広げられて、とても美しかった。
こうして3日間の旅はまたたくまに終わったが、平戸のホテルでは、食後の余興に出場したカラオケ大会で、私が優勝するというおまけまでついて、思い出に残る楽しい旅となった。

 最後になりましたが、禅研の先生方には、詳細な資料の作成、引率と大変お世話になりました。そして、同行の皆様方には心温まる交流を通して旅の楽しさを味わわせていただきました。すべてに感謝申しあげます。

 合掌

長崎・平戸の旅中平 正人

研修旅行 長崎 写真3

 天候にめぐまれ、名古屋空港から1時間半、長崎空港に到着。私には初めての長崎なので今回の禅研旅行を楽しみにしておりました。平戸まではバスと高速船で向かい、特に高速船での九十九島コバルトラインは、島々の自然と潮風を満喫することができました。

 最初の研修地平戸でキリシタン資料館の古い書物、踏絵、納戸神信仰等の資料を見て、キリスト教布教から弾圧、潜伏、明治の復活に至るまでの長い潜伏期間を耐えぬいた人々の信仰の力の大きさを改めて感じました。紐差教会、宝亀教会、フランシスコ・ザビエル記念聖堂のゴシック様式の建物を見学し、その美しさに見とれました。またカトリック教会と仏教寺院とが同居している様は不思議な光景と言うか、異国文化の残る平戸の特徴を思わせるものでした。

 次の研修地諫早で天祐寺を拝登、寺の歴史、諫早の歴史、島原の乱などのお話を聞き、諫早家墓地、六地蔵などがある広い境内を見学し、諫早から次の研修地長崎市内に向かいました。
長崎市での第一印象は坂の町と言われるだけあって、道が狭く感じられ、家々の建て方にも坂特有の工夫が見られました。そんな傾斜地に建てられた宿泊先のホテル梅松鶴からは長崎の町が一望でき、港には建造中の世界最大級と言われる豪華客船が見え、夜になると灯りが輝き、「1千万ドルの夜景」と言われている通り素晴しい景色でした。
最後の研修先は興福寺と崇福寺でした。この2カ寺はもともと中国出身者が創設したため、随所に中国文化を思わせる雰囲気があり、特に色調とか山門・屋根の反りに中国文化が見られました。拝登寺院(曹洞宗)の晧臺寺でも、建物に使われている木材が洋材のチークだという点から、異国文化の玄関長崎を強く感じました。ご住職のお話の中で、キリシタン弾圧が一般的には豊臣秀吉や徳川家康による政治的弾圧ぐらいの認識しかなかったものが、実は弾圧に至るまでの色々な宗教的摩擦とかキリシタンの横暴さがあまりにもひどかった故の弾圧だということをお聞きし、人間にはおごりという部分があり、度を過ぎないこと、また相手を思いやる心、自らは足ることを知れと言うお釈迦様の教えがいかに適切で、平和に暮らすための基本であるかということを、しみじみと感じることができました。

 寺院研修後は異国文化の大浦天主堂の見学とグラバー園、そして原爆被害のあった平和公園を訪れ、モニュメントの前で記念写真を撮り、戦争のない平和な現在のありがたさをより一層実感しました。

 今回も禅研旅行に参加させて頂き、本当にありがとうございました。

長崎研修旅行に参加して宮島 せつ子

研修旅行 長崎 写真4

 この夏の終わり、主婦業の雑用を忘れて研修旅行に初めて参加をさせて頂きました。
名古屋空港より1時間半足らず、長崎はまだまだ残暑の中。平戸島と長崎市の街に点在する5つの寺院と4つのキリスト教会を巡る3日間の旅でした。仏教とキリスト教、東洋と西洋と全く別意識が頭に浮かびましたが、この旅の中では妙にマッチして違和感を覚えなかったのは、祈りの造形は違っても”全ての恵みに感謝し、祈る心”は古今東西変わらぬものだから、かも知れません。また、17世紀からの歴史が物語る風景をそのまま受け入れてきた街だったからかも知れません。
最初の宿は平戸。”九掛けて烏の身返り雀のチョンチョン”これで平戸島全面積をいう、とガイドさんのお話。この平戸が海外貿易港の発祥地であり、パンやビール、煙草等を日本中に広めた場所とは知りませんでした。また、キリシタン資料館でのお話しの中で、厳しい弾圧の中で宣教師達が伝えた本来のキリスト教からかけ離れた全く独自の宗教が生まれていた、という事は新しい驚きでした。4つの教会の一番は何といってもステンドグラス。中でも紐差教会では神聖な場所を忘れる程ファンタスチックな世界に感じました。元々、キリストの磔刑の像は個人的に好きではなく、マリア像の優しい表情に惹かれるものの、何故か目線が合わない感じも残るのは何故かしら・・・。教会の建物では、大浦天主堂が一番。ロマネスク調の白い教会は、石畳のオランダ坂に良く似合ったこの街らしい風景に映りました。

 最初のお寺は、最教寺。ここでは、大日如来の胎内を巡る胎臓界めぐりを体験しました。天祐寺では、諫早家の墓所で、弥勒四十九院造りという珍しくそして高貴な建て方に興味を持ちました。晧臺寺では、5つの寺院の中で初めて僧侶らしいお姿を拝見したように思います。振袖のような法衣をまとい五体投地を繰り返す修法の姿や、墨衣の修行憎が整然と立ち振舞う姿は、舞を見ている様に思いました。帰り際、ご住職様より高価なお香を頂戴し、有難き幸せでした。その他、四つ葉のクローバーの形に建てられたグラバー邸では、長崎港を眼下に蝶々婦人の気分をちょっぴり。
この街が原爆被災地という忌まわしい記憶の街である事をのぞけば、長崎1千万ドルの夜景も、しっぽくにちやんぽんのお料理もみーんな素敵でした。あっという間の3日間が過ぎ、長崎空港は日没直後、機窓より、紅の地平線を眼下にした時、長崎は真に、神様と仏様の御手に抱かれし街!!の印象を持ちました。あと1日くらい・・・の思いを掻き消すかの様なエンジン音の彼方から・・・”そげん急ぐ事なかばってん”なんて聞こえたような・・・。

 この年齢で新しい驚きや、体験が出来た事に喜びを感じます。この年齢だからなお、嬉しく思います。大変素敵な旅をありがとうございました。

旅行のおもいでAlbum

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研修報告Training Report

平成14年度研修旅行
長崎

 本年度の研修旅行には2つの目的があった。1つは平戸の隠れキリシタンの歴史と明治時代に復興したキリスト教信仰の研修、もう1つは長崎の禅宗文化の研修である。

 平戸は、16世紀に我が国初の国際貿易港として栄える一方で、キリスト教布教の初期の中心地となった。しかし、キリスト教禁止令が発布された後は、数多くの殉教者や棄教者を出すことになった。

 そうした中で、一部の信者は仏教徒を装いながら、秘密の組織を設けてキリスト教信仰を守り続けた。これが「隠れキリシタン」である。だが、長い年月の間に彼らの信仰は正統的なキリスト教から離れ、独自の宗教に変貌した。また、組織間の交流もなかったため、その信仰様式は組織毎に大きく異なっていった。そして、今日では後継者を失い、各地のキリシタン組織は次々に消滅しているとのことである。

 私達は、根獅子(ねしご)地区にある切支丹資料館を訪れ、同地域での隠れキリシタン信仰の一端を見学した。とりわけ、納戸の奥に祭壇を設ける「納戸神様」の風習は、この地域の一般的な形式であったといい、興味深いものであつた。

 その後、私達は明治初期から昭和初期に創建された紐差教会、宝亀教会、平戸教会を訪問した。とりわけ、明治31年に建立された宝亀教会は、小さいながらも美しい建物で、この教会を支える人々の信仰の強さを物語るものであった。

 一方、今回の旅行で訪問した禅刹は4カ寺である。その中で、諫早市の天祐寺と長崎市の晧臺寺が洞門寺院、長崎市の興福寺と崇福寺は黄檗宗の寺院である。

 坤松山(こんしょうざん)天祐寺の前身は、奈良時代に行基が創立したという。だが、曹洞宗の天祐寺は、16世紀初頭に諫早領主の西郷尚善が春岡揚富を招いて開創し、その法号をとって寺号とされた。その後、西郷家は肥前の竜造寺(諫早)家晴に滅ぼされたが、天祐寺は改めて諫早家の菩提所に定められた。堂宇の大半は明治年間の再建であるが、境内には「弥勒四十九院造り」という珍しい形をした諫早家歴代の墓所が立ち並んでいる。住職の須田道輝師から、同寺の由緒とともに、キリシタン隆盛の時代に、この地方の寺院が被った苦難の歴史をうかがった。

 海雲山晧臺寺は、慶長13年(1608)、長崎の住民の大半がキリシタンであった時代に亀翁良鶴によって創建された。その後、法席を継いだ一庭融頓は、禁教令が発布された後のキリシタンの改宗に尽力した。また、同寺は地域柄、中国人との関わりも深く、3世月舟宗林の代に建立された現在の本堂(万徳殿)には、舶来のチーク材が用いられた。またピ享保8年(1723)に完成した大仏殿には、高さ3.4メートルの毘盧遮那仏が安置されている。住職の大田大穣師の歓待を受け、同寺歴住の頂相を拝見させていただいた。

 東明山興福寺と聖寿山崇福寺は、いずれも長崎在留の中国人によって17世紀前半に創建された黄檗宗の寺院であり、同地の福済寺、聖福寺とあわせて「唐4カ寺」と呼ばれている。両寺とも、本堂にあたる大雄宝殿には中国建築の特徴が顕著である。また、海上安全を祈願するための媽姐(まそ)堂や、関羽を祀る関帝堂等には中国の宗教文化の影響が色濃く表れている。この両寺院は、禅刹といえども洞門寺院のそれとは明らかに趣を異にするものであった。

 様々に異なる文化が交錯する長崎を巡った今回の研修旅行は、一方ではキリスト教と仏教の双方が経験した苦難の歴史を、他方では同じ禅仏教の中での中国様式と日本様式との融合と対照を私達に印象づけるものであった。(文)

愛知学院大学 フッター

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