愛知学院大学 禅研究所 火曜参禅会

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研修旅行レポート

イタリア平成16年度 イタリアの禅道場とカトリック聖地巡拝の旅

研修旅行 イタリア 写真1

 平成16年度は、9月2日から9日の日程でイタリアを訪れました。参加者は23名でした。
初日は空路イタリアヘ。2日目にはミラノでレオナルド・ダ・ヴィンチの名作「最後の晩餐」を鑑賞した後、同市内にある曹洞宗ヨーロッパ国際布教総監部と、近郊のサルソマッジョーレ市にある正法山普伝寺を拝登しました。3日目にはヨーロッパ最古の大学のあるボローニャを経て、花の都フィレンツェヘ。ミケランジェロ広場から市内を展望した後、サンタクローチェ教会や花の聖母寺院(ドゥオーモ)を見学しました。4日目にはフィレンツェのウフィツィ美術館にてルネッサンス芸術を鑑賞するとともに、ピサの斜塔を見学。5日目には古都シエナを経由して、聖フランチェスコの故地、アッシジを訪れました。6日目は永遠の都ローマの自由散策と、オプショナル・ツアーでは古代ローマの遺跡ポンペイの見学。7日目には、バチカンのサンピエトロ大寺院でローマ教皇との一般謁見を果たし、トレビの泉、コロッセオなどを見学した後、無事帰国の途につきました。

コインを投げなくても酒井 亮爾

研修旅行 イタリア 写真2

 私はローマ市内でもっとも観光客に人気のある名所、トレビの泉の前に座り、雲一つない紺碧の空を見上げていた。「トレビの泉に後ろ向きになってコインを投げ入れると、再びローマに帰ってくることができる」という言い伝えを聞いたのは25年前のことである。語学研修の引率教員として、エジンバラ大学での研修後にローマを訪れた時のことでした。その時コインは投げませんでしたが、トレビの泉に導かれるかのようにして、今回のイタリア研修旅行に参加させていただくことになりました。 旅行の間中、快晴に恵まれて、ミラノ、フィレンツェ、ピサなどの北イタリアの歴史的な遺産やルネサンスの巨匠たちの偉業に直接に接することができたのは、この上ない喜びでした。ローマ帝国の政治や文化の舞台となったフォロ・ロマーノや円形闘技場コロッセオ、さらにカトリックの聖地サン・ピエトロ寺院では、ヨハネ・パウロ2世の一般謁見にも参列することができ、得難い経験をすることができました。

 どの都市でもすばらしい出会いがありましたが、もつとも私の心に残ったのは普伝寺で修行に励む人々の姿でした。カトリックの本場のイタリアで、仏教に魅力を感じ、坐禅と曹洞宗を支えに修行をされている姿に深い感銘をうけました。私たちが帰る直前に、タクシーから降り立った若者が、バッグーつを肩にかけて普伝寺へ入っていくところを見かけました。なぜかわかりませんが、この若者に幸多かれと思う気持ちが私の心にわいてきたしだいです。

 80歳を越えてがんばっておられるヨハネ・パウロ2世や若き修行僧の美しい姿を目の当たりにして、私自身も残された人生を美しく生きていきたいと思い知らされた旅となりました。

イタリア建築に魅せられて金澤 厚

研修旅行 イタリア 写真3

 歳を重ねるごとに新しい何かに出会うことが少なくなっていきます。世界中のものが日本にいながら簡単に手に入る時代にはなりましたが、生の異文化に触れるという機会は意外と少ないのではないでしょうか。今回、縁あってイタリアを訪れる機会を与えられました。五感で感じるもの全てが異文化であり、その新鮮さが子供の頃のように胸を躍らせました。いくつになっても新しいものに出会った時の感動というのはいいものですね。

 さて、今回の旅でもっとも印象的だったものと言えば、やはり歴史的な建造物の数々でしょう。天を突き刺さんがごとく聳え立つミラノのドゥオーモ。今にもたじろぐほどの歓声があがりそうなローマのコロッセオ。精緻を極めた芸術品の巨大な集合体とも言えるサン・ピエトロ寺院。どれも私に新鮮な感動を与えてくれました。有名な建造物だけでなく、日常の中にも石畳の道路やレンガ造りの建物など、歴史を感じさせるような風景が数多く存在し、そのどれもがカメラに収めるに値するものでした。

 日本の住宅は木造が中心で、平均寿命は27年と言われています。もちろん、これは構造的な寿命と言う意味ではありませんが、イタリアでは築300年、築500年の住宅は当たり前で、それ以前の建物も住宅として普通に利用されています。日本が木の文化であるのに対して、西洋は石の文化であるとよく言われますが、事実イタアの街並みは、街路樹は多いものの、ほとんど石造りです。イタリアでは何世紀という時代を、変わることなく存在し続けてきた建造物に歴史を見、日本では芭蕉が「夏草や兵どもが夢の跡」と詠んだように、跡形もなく変わってしまった風景から当時の歴史に思いを馳せる。古代より永遠に変わることのない存在に価値を求めてきたイタリアに対し、日本では変わりゆく儚い存在に価値を感じてきたということではないでしょうか。今回の旅は日本文化の新しい発見が得られた旅でもありました。

 追記 9月3日にボロー二ャのレストランにて、2日生まれの小出龍郎先生と3日生まれの私の誕生祝いを共にして頂きましたことは、私の人生にとって忘れられない思い出のひとつとなりました。感謝申し上げます。

禅研究所研修旅行に参加して石井 洋子

研修旅行 イタリア 写真4

 愛知学院に就職して最初の勤務場所は文学部教務主任室。当時の禅研究所はその隣にあり、書籍が置いてあるだけでした。その後坐禅堂ができ、禅研究所に研究員の先生がみえるようになるまでの数年間、研究所の事務のお手伝いをしておりました。その頃には研修旅行にも参加していましたが、その後は一度も参加したことかありませんでした。

 今回、教養部事務室の水谷さんに誘われて、新婚旅行以来の海外で少し心配でしたが、心配だからこそ禅研でお世話になるのが一番だと思い、久しぶりに参加させていただきました。 名古星空港から1日かけてイタリアのミラノに着いたのは夜中でした。次の日には、レオナルド・ダ・ヴィンチの傑作「最後の晩餐」を鑑賞、感動で始まった研修旅行でした。その日はミラノ市内のマンションの一室にある曹洞宗∃ーロッパ国際布教総監部を訪ね、続いて曹洞宗普伝寺を拝登するため、サルソマッジョーレ市へと2時間近くバスを走らせました。それぞれの訪問先でおもてなしをいただいた後、一行は2日目の宿泊先のボロー二ャヘ…。

 翌日はヨーロッパ最古といわれるボローニャ大学を見学後、フィレンツェヘ移動しました。

 フィレンツエでは、サンタクローチェ教会、花の聖母寺院(ドゥオーモ)、ルネサンス美術が一同に集まるウフィツィ美術館などを訪れました。そこここで大芸術家の作品が観賞でき、まるで街全体が屋根のない美術館のようでした。市内で2泊した後、世界に名高い斜塔のピサ、赤褐色の家並みのシエナ、さらに私が気に入った小さな街、聖フランチェスコの聖地アッシジと巡り、ローマヘ向かいました。

 ローマでの自由行動の日には、オプショナルツアーに参加してナポリとポンペイヘ足を伸ばしました。ヴェスヴィオ火山の大噴火で全てを一瞬にして火山灰で覆い隠された古代都市ポンペイは、2千年も前のものとは思えない景観で想像力をかきたてられるところでした。

 ローマを発つ最後の日は水曜日にあたり、ローマ法王の一般謁見に参列することができました。その上大学名まで読み上げられて感激の一時を過ごしました。その後、サン・ピエトロ寺院、再びローマに来られるようにとコインを投げたトレビの泉、猛獣と剣闘士の死闘が繰り広げられた巨大円形闘技場コロツセオと廻り、イタリアの研修旅行を終えました。

 事務局の皆様のおかげでトイレや飲料水の心配もほとんどなく、参加された皆様にもお世話になり、天候にも恵まれ、大感激、大感動の8日間を楽しく有意義に過ごすことができました。本当にありがとうございました。

旅行のおもいでAlbum

イタリア

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研修報告Training Report

平成16年度研修旅行
イタリア

 本年度の研修旅行には2つの目的があった。1つはヨーロッパの曹洞禅道場の見学、もう1つはカトリックとルネッサンスの中心地におけるキリスト教文化の研修である。

 曹洞禅のヨーロッパヘの伝道は、1967年に弟子丸泰仙師によって始められた。同師はヨーロッパ各地に寺院や禅道場を開創し、信者数も一時は20万人を超えたと言う。また、1976年にはパりに開教総監部が開設され、弟子丸師が初代総監に任ぜられた。しかし、1982年に同師が遷化すると総監部は休止状態となり、各寺院と日本の曹洞宗門との関係は事実上途絶えてしまつな。

 総監部がイタリアのミラノで再開されたのは2002年のことである。私達はアパートの一室に設けられた総監部で、前日に着任されたばかりの第3代総監、今村源宗師の歓待を受けた。同師によれば、各寺院は弟子丸師の教えを守りつつ、それぞれに独自の道を歩んでおり、さらには言語の違いもあって、ヨーロッパの曹洞禅教団としての結束は必ずしも強くはないとのことである。そうした中で、総監部がいがなる役割を果たし得るのか。大きな課題を抱えての再出発と言えるだろう。
一方、ミラノ近郊のサルソマッジョーレ市にある正法山普伝寺は、1984年に弟子丸師の弟子のファウスト泰天師によって開創された。開創以来、同寺では常時数名の僧尼と、随時10数名の信者達が、日本語の僧堂用語を用いながら、日本の道場と同じ厳格な作法にもとづく修行に励んでいる。また、広大な敷地には法堂や僧堂、鐘楼等が建てられており、現在も自分たちの手で伽藍の整備が続けられている。私達は住職の泰天師や他の方々から、同寺での修行の様子等をうかがった。

研修旅行 イタリア 写真3

 さて、今回の旅行ではキリスト教会も数多く訪れたが、ここでは紙面の都合上、その中から2箇所の報告のみを記すことにしたい。

 一つは13世紀に聖フランチェスコが活躍した聖地アッシジである。一切の所有を拒否し、生涯清貧を貫いた彼の周りには、多数の信者が集まってフランシスコ修道会が結成された。けれども彼の死後、その遺体を祀るための大聖堂が、同修道会によってこの地に建設されたことは歴史の皮肉と言うべきであろうか。この大聖堂は1997年の地震で大きな被害を受けたが、世界中の信者の寄進により、現在では見事に修復されている。

 また、大聖堂から離れた所にある別の教会の中には、間口4メートル程の小さな教会が保存されている。ポルツィウンコラと呼ばれるこの建物こそ、フランチェスコが最も愛し、天に召された場所である。個人的な感傷をお許し願えれば、大聖堂では感じられなかった清貧の聖者の息遣いを、私はこの小屋の中ではじめて感じたように思っている。

 報告すべきもう一点は、バチカンでローマ教皇の一般謁見に参列できたことだろう。現在の∃ハネ・パウロ2世は1920年にポーランドで生まれた。1978年に264代教皇に選出されて以来、彼は他宗教との対話を目指して精力的な活躍を続ける一方で、共産主義陣営の崩壊の際には重要な役割を演じてきた。

 謁見当日、私達は1万名収容の大講堂で待つこと1時間。車椅子に乗った教皇が壇上に姿を現わすと、会場は大歓声に包まれた。はじめに、数日前にロシアで発生した小学校襲撃事件への追悼の祈りが捧げられ、その後、6カ国語による説教と、各国巡礼団への祝福が順に授けられた。謁見は1時間程で終了したが、実に得難い機会に恵まれた縁に感謝しつつ、今回の研修報告を終えることにしたい。(文)

愛知学院大学 フッター

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