愛知学院大学 禅研究所 火曜参禅会

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研修旅行レポート

秋田平成27年度 秋田の名刹と出羽の民族にふれる旅

研修旅行 秋田 写真1

平成二七年度の研修旅行は、八月三一日から九月二日の日程で秋田県を訪れました。参加者は、二九名でした。

 初日は、飛行機で中部国際空港から秋田空港へ向かい、そこからバスに乗り換え、秋田県秋田市の万国山天徳寺、同市内の亀像(きぞう)山補陀寺を拝登しました。補陀寺では坐禅も行い、その後、乳頭温泉郷に宿泊しました。

 二日目は、田沢湖を訪れ、たつ子の像を見学した後、仙北市の万松山天寧寺を拝登しました。午後からは、歴史案内人の方々と共に、小京都角館(かくのだて)を散策し、武家屋敷などを見学しました。その後、バスで男鹿半島に向かい、寒風山展望台を訪れました。男鹿温泉で宿泊し、夜には地元の若者による『なまはげ太鼓』を鑑賞することもできました。

 三日目は、男鹿半島の観光となり、入道埼を訪れ、日本海を望む断崖からの風景を満喫しました。その後、なまはげと縁が深い真山(しんざん)神社を参拝するとともに、男鹿真山伝承館を訪れ、なまはげの実演を見学しました。その後、バスで再び寒風山展望台を訪れたのち、秋田まるごと市場へ立ち寄り、往きと同じく飛行機で秋田空港から中部国際空港へ移動し、帰路に就きました。

山門から本堂への道のり森 暢子

研修旅行 秋田 写真2

 今回の研修で訪れたお寺にはみな立派な山門があります。この堂々たる山門から境内を眺めているうちに、本堂までの道のりにはどんな意味があるのだろう、と興味がわいてきました。その時に思いめぐらしたことを、実際に歩いたときの情景と共に述べていきたいと思います。

 山門はどれも歴史と風格があります。特に補陀寺と天徳寺の山門は迫力に満ちあふれていて、訪れる者を圧倒します。二階建ての一階には仁王像が立っていて、左右両側からその睨みで俗世界のけがれを祓ってくれるのと同時に、仏の世界に入る心の準備をするようにと言っているように感じます。補陀寺は大本山總持寺第二祖の高弟月泉良印が開いた秋田県最古の曹洞宗寺院であり、天徳寺は秋田藩主佐竹氏の菩提寺です。山門はその威厳も放っています。

 山門は俗世界と仏の世界の境界線のようなものです。しかし山門をくぐったからと言って急に世界が変わるというわけではありません。本堂に至るまでの時間と空間を経て徐々に変わっていくのです。本堂まで歩いていくうちに周りの草木や澄んだ空気が人の心を穏やかにし、ご本尊と向かい合う心の準備を自然にさせてくれているように感じます。

 キリスト教の教会や大聖堂には山門から本堂までのような道のりはありません。教会の扉を開け中に入ると一瞬にして神聖な世界に入ります。俗世界と神聖な世界の両方が混ざっていて、訪れる人の心を少しずつ変えてくれる空間はありません。

 日本のお寺には、二つの相反するものが共存している空間があり、そこは日本人の寛容さや柔軟性を具現化しているように思われます。

 たどり着いた考えは、山門から本堂までの空間とそこを歩いていく時間は、ご本尊と向かい合うことができるように心を変えてくれる、というものです。大胆に言い換えれば、俗人が修行の真似ごとをする空間、ということです。

 何かをじっくり見るということは、今まで気づかなかった新しい魅力を見つけることにつながる、ということを体験できた研修でした。

研修旅行記滝 一廣

研修旅行 秋田 写真3

 由緒ある参禅会研修旅行に参加させていただき本当にありがとうございました。大変充実した三日間を満喫させていただき、楽しく、思い出に残る旅となりました。これもひとえに事務局ほか大勢の方々のご苦労の賜と深く感謝申し上げます。

 最初に訪れた万国山天徳寺は、江戸時代に建てられたお寺で、国の重要文化財にも指定されているとのことで、萱葺の本堂や赤く塗られた御霊屋が特に記憶に残りました。

 次に訪れた亀像山補陀寺は、室町時代に建てられた古いお寺で、秋田三十三観音霊場の第二十三番札所で、藤原藤房も眠っているとのことでした。山門と本堂はとても立派な建造物でした。こちらで生まれて初めての坐禅を体験しましたが初心者の私にはじっとしているのがやっとでした。

 最後に訪れた万松山天寧寺は、とにかく墓碑が多く建っていたのが印象に残りました。今回の研修旅行では、お寺のほかに神社も参拝しました。真山神社は、修験道の霊場にもなっているそうで、樹齢千年程の榧(かや)の巨木もあり自然があふれる神秘的な場所でした。

 時より降る雨がその神秘性を一層醸し出していました。

 また、寺社以外にも秋田の名所・旧跡巡りもしました。田沢湖は、日本一深い湖で、県立自然公園に指定され、日本百景にも選ばれている景勝地。エメラルドグリーンの浅瀬から次第にロイヤルブルーの深みに変わっていくところが、南国の海を連想させました。

 角館散策では、まるで時代劇の中に自分がいるような錯覚に陥りました、聞くところによると枝垂れ桜も有名とのことで、桜の季節にもう一度訪れたい衝動に駆られました。

 男鹿半島の突端の入道崎は、陸・海・空の三位一体が織り成すコントラストが絶景で、心を奪われました。白黒の縞模様の灯台は、「日本の灯台五十選」に選ばれていました。

 最後に忘れてはならないのが、秘湯二カ所。乳頭温泉は郷内に七カ所の湯があり、白濁の湯だけでなく、透明・茶色など様々な色と効用があるそうです。男鹿温泉は、海水の成分に似た泉質で、保温効果が高く体の芯から温まりまさに「熱の湯」と言われているのを実感しました。

 有意義な研修旅行をありがとうございました。

初坐禅から学んだこと東山 朋樹

研修旅行 秋田 写真4

 この度は、ご縁がありまして参禅会の研修旅行に参加させていただきました。坐禅はもとより、お寺巡りも秋田県に行くのも初めての経験でしたが、出発するまでは、「温泉に浸かって美味しい物を頂けるのでいいかな」くらいの感覚でした。

 いざ現地に着くと早速一ヶ寺目である天徳寺に到着しました。お寺の印象は、青空に映える萱葺屋根の柔らかさが心を和らげてくれました。

 二カ寺目の補陀寺は、大本山總持寺の直末ということで、私は訪れるのを大変楽しみにしておりました。建設業を営む私は、一昨年、總持寺より改修工事のお仕事をいただきまして、何度かお伺いした経験があります。山門の左右に立っていらっしゃる赤と青の仁王様がとても印象的でした。

 その補陀寺において人生初の坐禅を経験しました。作法もわからないまま坐禅を組み始め、何も考えず「無」になることを目指しました。しかしながら、最初は仕事のことやら、お客さんのことやら、警策のことやら、脚の痛みやらがグルグル頭をよぎり、「無」どころか全く集中出来ていないありさまでした。心がかなり乱れている証拠でした。その内心を落ち着けて何も考えないようにして、音さえも右から左に流す感覚でいると、少しずつ頭の中が空っぽになってきたような気がしました。

 次に意識がハッキリした時には坐禅の終了を告げる合図でした。眠っていたわけではないのですが、時間も意識も忘れた感覚で、とても清々しい気分になりました。坐禅をしている間は、慌ただしい俗世間を離れ、時間を忘れ異次元空間にいるような感覚になれることがわかりました。たった一度の坐禅でいささかおこがましいですが、自分自身を見直すいい機会になりました。

 煩悩だらけで怠惰な日常を離れ、きれいな空気のある荘厳な場所で、自分自身と対峙し、乱れた心を研ぎ澄ますと、見えない物が見えてきたり、わからなかったことがわかったり、まさに「答えは自分の中にある」ということに気付きました。「考えずに感じる」これがこの研修旅行に参加して私が学んだことです。

旅行のおもいでAlbum

秋田

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研修報告Training Report

平成27年度研修旅行
秋田

 本年度の研修旅行は秋田県を訪れた。東北地方は、一一〜一二世紀末まで栄えた奥州藤原氏に顕著であるように、中央の政権とは一線を画した歴史を持っていた。しかし、同氏を滅ぼした源頼朝による鎌倉幕府成立以降は、中央との関係が強まった。南北朝時代に入ると、宗門も東北地方への布教を行うようになり、特に總持寺二世・峨山韶碩の高弟たち(峨山二十五哲)が進出して、教線を拡大した。また、常陸国の戦国大名であった佐竹氏は、関ヶ原の戦いの結果、一六〇二年に秋田へ国替えされ、その際、同氏やその家臣団の菩提寺も併せて移転された。秋田県内の曹洞宗寺院は、主にこの二つの流れからなっている。今回拝登した宗門寺院は、万国山天徳寺、亀像山補陀寺、万松山天寧寺の三ヵ寺である。

 秋田県秋田市泉に所在する万国山天徳寺は、佐竹氏十二代目当主の佐竹義人(一四六八年没)が夫人を弔うため、現在の茨城県常陸太田市内に創建し、その後、現在の水戸市宮町へと移転された。しかし、佐竹氏の国替えに伴い、天徳寺も現在の秋田市楢山に移され、伽藍建築も順調に進んだが、寛永元年(一六二四)十二月に総門以外を火災で失ったため、翌年五月現在地に再建された。佐竹氏の菩提寺として、また、佐竹藩の僧録寺院として藩内の曹洞宗寺院を統括した名刹である。

 なお、住職の前田彰亮師は自ら拝登諷経の導師をお勤めいただき、天徳寺の歴史や見所をお話しされた。私達は東日本大震災の被害修復の大工事が始まる直前に拝登できたため、国の重要文化財である本堂・書院・山門・総門・佐竹家霊屋などを拝観し、貴重な寺宝も拝見できた。

研修旅行 秋田

 秋田市山内字松原の亀像山補陀寺は、峨山韶碩の高弟・月泉良印が豪族の安藤氏から帰依を受け、正平四年(一三四九)に現在の秋田県大館市内に創建した。その後、室町時代に同寺は現在地へと移転した。開山の月泉は晩年、兄弟子・無底良韶が開いた岩手県正法寺に移り、その地で遷化したとされるが、補陀寺は月泉の門弟が良く護持し、門派を広げ、秋田県内に直末三七ヵ寺・門葉八〇ヵ寺を持つ中本寺の格式を誇るにいたった。私達は、住職の大山陽堂師から本堂や位牌堂の説明を頂戴し、大山師ご指導の下、本堂内で坐禅を行った。秋になりゆく東北の涼しい風が心地よく感じられた。

 秋田県仙北市角館の万松山天寧寺は、越後村上耕雲寺の傑堂能勝を勧請開山として、文安四年(一四四七)に会津黒川城下に開創された。開基は蘆名盛信である。同寺は芦名氏の菩提寺として、一時は千人の僧が修行するほどの隆盛を見せた。しかし、芦名氏が、天正十七年(一五八九)に伊達政宗に敗れて会津を逐われると、天寧寺も灰燼に帰した。芦名氏は常陸の佐竹氏を頼り、佐竹氏の国替えとともに秋田県内に移ると角館に居を構え、天徳寺も同地に再興された。住職の大坂仙雄師はご多忙のところお迎えいただき、隣寺の松庵寺様から角館の解説をしていただいた。私達は拝登後、角館武家屋敷を散策し、歴史的な町並みの美しさを堪能した。

 また、みちのくの民俗に触れることを目的に、なまはげで有名な男鹿市の真山神社を参拝し、社域にある男鹿真山伝承館では、なまはげ習俗を体験した。なまはげは怠け者をこらしめるため、大晦日に鬼の姿で集落内の各家を巡る奇習だが、その勇壮な様子を間近で見学できた。

 今回の旅行は、曹洞宗の地域展開の歴史に触れ、また、秋田でなければ体験できない民俗にも触れることができた有意義なものとなった。

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