愛知学院大学 禅研究所 禅について

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禅の一言  平成21年度

一日作らざれば一日食らわず(著・所長 大野栄人)

 この語は、『景徳伝燈録』『祖堂集』『五燈会元』などに出てくる百丈懐海(?―814)の有名な言葉です。

 元来、僧侶は托鉢を行い、在俗の方達から食事等の布施を受け、僧侶が労働に従事することはありませんでした。

 インドから伝来した僧侶の在り方を抜本的に変革したのが、百丈懐海なのです。自ら『百丈清規』(現在せず)を著わし、禅門における修行として、一に作務・二に坐禅・三に看経(読経)を制定いたしました。

 百丈は、齢八十歳になっても、日々作務をつづけておりました。弟子たちは、師の身を案じて、作務を止めるよう進言しましたが、決して聞き入れられることはありませんでした。

 弟子たちは、一計を案じ、作務をするための道具を隠して、作務ができないようにしました。

 百丈は、道具がないので、止むなく作務を止めましたが、その代わり三日間も坐したままで、食事を口にすることはありませんでした。

 弟子たちは、その理由を師に尋ねました。百丈は、巻頭の「一日作さざれば、一日食らわず」と一言、答えられました。

 弟子たちは、自らの非を謝り、道具を出しますと、師は作務を始め、食事をとられたのです。

 禅門において、坐禅・看経は勿論大切ですが、それ以上に重要な修行が、作務すなわち労働に従事するということです。作務は、「仏作仏行」といわれますように、作務は単に労働に従事するだけでなく、作務を通して仏の教えを実践し、活きた仏の教えを身心に具現せよ、というものであります。

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