愛知学院大学 禅研究所 禅について

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禅の一言  平成24年度

仏と衆生(著・所長 岡島秀隆)

 仏教において、仏と衆生の関係はさまざまに表現されますが、相互に密接な結びつきがあることだけは確かです。それらが正反対の位置にあって全く断絶した存在だとする考えもありますが、両者に直接的関係があるという立場もあります。

「仏と衆生とは、水と氷とのごとし。氷にてある時は、石かわらのごとくにして自在ならず。とくれば本の水にて、縁に随(したが)いとどこおることなし。」 (塩山仮名法語)

 ここで二様に表現されているのは「人間のこころ」だと思います。仏と衆生は同じ人間で、こころのありさまが違っているだけです。自由なこころと不自由なこころ、その持ち主が仏と衆生です。この二様のこころを水と氷に譬(たと)えているのです。氷は頑(かたく)ななこころを、水は自由なこころを示しています。後半の文で「とどこおることなし」と言われているのは、自在な水のさまを言い表してもいるのでしょうが、水が氷に、氷が水に転じる変化のダイナミクスそのものを言い表していると理解したい。つまり、水が寒さの中で氷へと姿を変え、暖気がおとずれると水に変わって流れ出していく様子を、縁に随いとどこおることなしと言っていると解したいのです。

 人間のこころは残念ながらいつも流れる水のようであることはできません。疲れて凍(い)てついて氷のように固くなることもあります。しかし、やがて融けだして滔滔(とうとう)と流れ始めます。これらの言葉は、「迷えば即ち仏も衆生、悟れば即ち衆生も仏。愚痴(ぐち)なれば仏も衆生、智恵なれば衆生も仏」(六祖壇経)という言説にも通じています。

 今後もまた、おいおいと坐禅をして人間のこころについて参究してゆきたいものです。

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