愛知学院大学 禅研究所 禅について

愛知学院大学 禅研究所 禅について

禅書のしおり 平成18年度

竹村牧男著『禅と唯識―悟りの構造』(大法輪閣)

 禅は、インドにその源流を訪ねることができますが、中国の風土のなかで育まれた仏教です。その特徴は、「不立文字・教外別伝」の語で示されるように、言語表現を避けて真理を示そうとするところにあります。一方、唯識は、インドの大乗仏教の正統を引き継ぐもので、それまでの部派仏教のアビダルマの煩瑣な教学を、大乗の空観をもとに再解釈しつつ、精緻かつ壮大な理論体系の中で、仏教思想の全てを論じたものであります。

 禅と唯識は、同じ仏教といえ、全く異なるもののようです。例えば禅では、「頓悟」という言葉で示されるように、修行の段階を認めず、直ちに悟りの境地に入ることを強調しますが、唯識では、どんな修行者も初発心から仏に至るまでには、三大阿僧祇劫という気の遠くなるような長い時間がかかると言います。しかし、本書の著者は、この2つの仏教が、必ずしも異なることを説いているわけではないと言います。その道筋は異なるものの、2つともに真実の自己を究明する道であり、いずれも坐禅を旨とするとし、両者は対立するものというよりも、相互補完の関係にあると述べています。

 禅と唯識の比較の中、白己究明の道を探ってみてはいかがでしょうか。

森雅秀著『仏のイメージを読む』(大法輪閣)

 本書は「ほとけ」という「聖なるもの」がどのようにして私達の前に現れ、どのようにして私達を救済するのかを知ることで、そこに人々が何を託し、何を求めたのかを解明しようとする試みです。

 本書で取り上げられるのは、数ある「ほとけ」の中でも特に人気の高い観音、不動、阿弥陀、大日の四尊であり、それぞれの「ほとけ」のイメージを、著者の森氏は「救済するものの姿」「規範と逸脱」「光による救済」「生命体としての宇宙」と表現しています。

 これらの「ほとけ」の姿を求めて、著者はインドと日本に残されている数多くの絵画や彫刻を紹介しています。読者は、本書に掲載されている多数の写真や図版を通して、各地に残されている仏教美術の名品に出会うことができるでしょう。同時に、インドと日本の対比を通して、それぞれの文化の特色と、仏教の普遍性に触れることもできるでしょう。

 森氏は文献研究と図像研究という2つの手法を併用しながら、インド密教を中心に、仏教研究を行っている気鋭の学者です。加えて、同氏の幅広い学識と読みやすい文章が、読者の理解を大いに助けてくれることでしょう。よきガイドに導かれながら、本書の副題にもなっている「マンダラと浄土の仏たち」の世界を巡礼してみるのはいかがでしょか。

大峯顯著『宗教の授業』(法蔵館)

 今日、我が国では、宗教というと、何か怪しげなもの、危険なものなどと思い、あまり関わらない方が無難だと考える人が少なくないようです。そうですから、宗教を信仰し、人生の規範にする人は稀で、宗教や宗教的なものに関心を持たないのが、ごく一般的な日本人と言えましょう。また、学校教育の場でも、道徳教育の重要性は認識しているものの、宗教教育は問題にされないことが多いようです。これが我が国の宗教の現状であり特徴であります。

 しかしながら、宗教教育なくして、果たして真の人間教育が成り立つのでしょうか。いずれにしても、現代日本人の生活や文化の基盤に宗教というものが欠落しているというのは、紛れもない事実です。

 このような状況に対して、本書は、現代日本人が抱いていると思われる、宗教に対する偏見や誤解や拒絶反応を取り除き、宗教の本来の姿を明らかにするということを、目的として書かれています。しかもそれは、宗教哲学の視点に立ち、特定の宗教や信条に偏らないで、宗教を考察し、過去の宗教や哲学の思想に学びながら、これを現代人の視点から照らし、今を生きる命を再発見しようとしています。

 自分の人生の問題として、宗教を真剣に考える人に、一読をお勧めいたします。

愛知学院大学 フッター

PAGE TOP▲