愛知学院大学 禅研究所 禅について

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禅語に親しむ  平成29年度

大死底人(著・大橋崇弘)

中国では様々な方法で弟子を導く禅僧がいました。「喝」の大声を用いた臨済義玄(りんざいぎげん)や、時には棒で叩くことも厭わなかった徳山宣鑑(とくさんせんかん)が有名です。過激な僧が目立つ中、唐代に活躍した趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)は言葉巧みに禅を説き、「唇から光を放つ( 口唇皮禅(くしんぴぜん))」と称されました。『碧巌録』第41則には趙州と投子大同(とうすだいどう)との間で交わされた次のような問答が収められています。

趙州、投子に問う。「大死底の人、却って活する時如何」投子云く、「夜行を許さず。明に投じて須く到るべし」

趙州の問いにある「大死底」とは肉体の死ではなく、あらゆる執着(しゅうじゅく)を捨て切った境地のことです。死にきった時に初めて、生き返ったかのように自由自在のはたらきが現れるのは何故か、という趣旨です。投子の返答は様々に解釈されています。「夜間に目的地へ行くのではなく、夜が明けてから出発しなさい」とも、「夜間に目的地へ向かう事は許されないので、明るくなってから辿り着きなさい」とも解釈できます。
禅の問答に正解は用意されないことが通例であり、この投子の返答をどう見るかで修行者の力量が問われます。投子は、仏とは何かと聞かれれば「仏」と答え、道とは何かと聞かれれば「道」と答えるという手段で弟子を導いていました。
一見すると鸚鵡(おうむ)返しのようですが、悟りや修行は自分で見極めるしかありません。問答の要点を漢詩で表現した頌では「活中に眼あれば、また死に同じ」とあります。
大死底の境地とは、死なずとも逆に「活発に生ききる」ことで同じ状態を経験できるという意味にも映ります。人は生の対極として死を考えがちですが、死を経験し認識することはできません。それならば、生に徹底する他ないのです。
投子の返答を「夜に出発せず、夜明けまでに到着せよ」ととらえると、不可能に思えます。投子は昼夜という分別を離れるよう促しているのではないでしょうか。

我々は1日を昼と夜に分けて考えますが、昼夜は断絶しておらず一つながりです。生と死もまた同様に不可分であり、表裏一体であることを投子が独自の言葉で表現したと言えます。

この問答の評唱(注釈)では、「是れいかなる時節ぞ」と投子の答えが出た時節はいつかと問い掛けています。 時節とは修行の進捗度(しんちょくど)を意味し、趙州と投子の境地が近いことを示しています。大死底の人に近いか、生ききった境地を既に経験しているかです。趙州、投子ともに悟境の人であることを称賛する注釈と言えます。

また、禅宗には「大死一番、絶後再び蘇る」という言葉があります。2017年の大河ドラマで主人公・井伊直虎の台詞としても使用されました。井伊家は今川家と徳川家に挟まれて滅亡の危機に直面し、直虎は表向きには井伊家を断絶させます。
しかし、その裏で直虎は、徳川家や今川家に家臣を仕官させるよう取りなして御家再興の時を待ちます。悲願は直虎の死後に遺志を継いだ直政によって成就されます。
家門の断絶という「大死」を経験したからこそ、一族の絆を再確認し、復興した家門という「生」が一層尊く感じられるのです。物語を締めくくる言葉として「大死一番」の語を、直政が万感の想いを込めて口にします。現代に生きる我々も人生を生き切る姿勢を見習いたいです。

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