愛知学院大学 禅研究所 禅について

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講演会レポート 平成29年度

東洋の知恵と西洋医学の調和 ―わが国の人間力の原点を考える―愛知医科大学理事長名古屋大学名誉教授 三宅養三

 日本は美しい自然と四季を持っています。このような自然環境の中で何千年も暮らしていると、自然に対する感受性または感性が特異に発達します。
この感受性が民族の根底に深く根付き、美しい情緒と豊かな人間力を育んでいるように思えるのです。
これらは文化や学問を作り上げるために最も大切であり、東洋の知恵の根源であるのみならず日本独特の道徳の基本となっているのではないでしょうか。

 私は現在、愛知医科大学の理事長を務めておりますが、学生には、「情緒と品格を備えた医療人」に育って欲しいと思っています。
「情緒」は感性を表し、感性を磨くことにより情緒が生まれます。臨床、手術、研究など何をするにしても、感性は大事で、これを磨いてほしいのです。
もう一つの「品格」は、広く深い知識を持って患者さんを診ることです。病気の深い知識のみならず、患者さんの価値観やその心理学的、社会的、経済的な全ての視点に立って包括的、全人的に患者さんを把握しようとする医療人としての洞察力を指します。これもまた感性なのです。
患者さんの価値観は多様化しており、それに沿った医療が望まれる時代となってきました。患者さんが最も幸せと感じる医療を遂行するには情緒と品格を備えることが必要なのです。

 さて、日本人の優れた「感性」について、ノーベル賞受賞者である野依良治先生は、「独特の日本人の発想や感性の背景には飛鳥、奈良時代からの豊かな文化がある」と言っておられます。
なぜ美しい環境とか自然と四季の変化は文化や科学に必要かということに関し、脳科学者の茂木健一郎先生が数年前に眼科学会で「目と脳をつなぐ」という講演をされ、美しい自然と環境の変化から得られる目の刺激は大脳を活性化すると科学的根拠に基づいて力説されました。
目からの刺激が脳を活性化すると考えられます。

 また、日本の古代からの文化として「武士道」があります。
その伝統では幼児教育に力を入れました。幼児教育といっても知識を植え付けるより、礼儀作法やしつけを教える教育ですが、シカゴ大学のヘックマン教授は、このような幼児教育は「非認知的能力」の育成に重要と指摘されています。
「認知的能力」を知識の学習と定義する場合、「非認知的能力」とは根気強さ、注意深さ、意欲といった人に欠かせない「根性」のもとになるような能力を意味し、幼児期にそれが育成されるのかもしれません。この非認知的能力こそ、日本の武士道の根底に流れる精神だったのです。

 武士道という考え方は鎌倉時代に始まり、江戸時代の武士の精神的支柱でした。明治時代になり新渡戸稲造がその根底に流れる思想をわかりやすく解説しました。
私はこれを「近代武士道」と呼びたいと思います。

 武士道には多くのキーワードがありますが、強調したいのは「質素・忍耐・努力」です。「武士は食わねど高楊枝」という有名な言葉があります。
武士はお金ではなく、より高級なことに価値観を持って働くということで、この思想は日本の発展に大きな影響を与えました。さらに「近代武士道」は日本の近代化に大きな影響を与えました。
幕末の松山藩、佐久間象山の有名な言葉に「西洋の文化と東洋の道徳で日本を変える」がありますが、これが明治の近代化の奇跡を生んだといわれています。

 日本の医療も、近代武士道の影響のもとで育まれたと言っても過言ではありません。
武士道精神の「仁」は、「人ありて我あり。他を思いやり慈しむ、これすなわち仁」なのです。
「惻隠の情」が持つ愛、寛容、同情、憐れみという要素は医療にとって非常に大事な精神です。「医の倫理」は道徳教育によって守られてきました。武士道精神によってしっかりした道徳教育がなされておれば、医の倫理も自ずと解決するはずです。

 医学もやはり、日本人の感性と武士道精神により、驚くべき結果を示しました。戦後の日本の医学の発展は目をみはるものがあります。
大学人の待遇は先進国の中で最低であっても、価値観がお金ではなく研究の追求にあったものと思われます。これが日本人の人間力だったのです。

 私は眼科医であり、50年にわたって眼科の臨床、研究に従事してきました。専門は眼の網膜で、特に高齢化社会を迎えた現在では多くの病気がみられ、手術の画期的進歩により多くの疾患で治療が可能となってきました。
しかし、未知の神秘的要素を多々秘めた、これからの先端的治療を考慮しても極めてチャレンジングで興味深い領域です。

  私は1976年から3年間、ボストンのハーバード大学へ留学し、アメリカのレベルの高さに圧倒されカルチャーショックを受け帰国しました。
しかし、日本に帰って自分で腰を落ち着けて研究や臨床をするうちに日本しかない素晴らしさに気づきました。同時に米国の抱える欠点も意識するようになりました。帰国7年後の1986年に、世界に類を見ない最も情報量の多い記録装置を完成することができました。
この10年間が今から振り返ると一番私の「人間力」が育まれた時期であったかと思います。この記録装置で発見された病気は「三宅病」と呼ばれるようになりました。この装置もアメリカで学び日本で開発したわけで、文明は向こうから来て、こちらが粘り強い研究と日本の技術の相乗効果で開発できた結果がこのような大きな発展につながりました。
本講演の主題である「東洋の知恵と西洋文化の調和」を地で行ったような研究成果であったと思います。

※本講演の詳細は、『禅研究所紀要』第46号に収録された講演録をご参照下さい。

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