愛知学院大学 禅研究所 禅について

愛知学院大学 禅研究所 禅について

研究会レポート 平成15年度

アメリカ社会の禅本学教養部教授 岡島秀隆

 2002年度1カ年に亘る米国カリフォルニア州「スタンフォード大学仏教学研究所」での在外研究を終えて帰国しました。当研究所には道元禅師の『正法眼蔵』の翻訳や禅仏教の研究で知られるカール・ビーレフェルト教授、東洋宗教に関する多数の著書があるベルナール・フォール教授がいらっしゃいました。スタンフォードは米国先端産業の拠点であるシリコンバレーの中にあり、車で一時間ほど北上するとサンフランシスコに到達します。この町には日本曹洞宗「北米開教センター」のある「桑港寺」が活動しており、奥村正博老師を始めとして道心堅固な開教師の皆さんが宗務に追われておられました。

 1893年の「シカゴ万国博覧会」の折に開催された「世界宗教会議」にはアジア諸地域の宗教代表者が出席して自らの宗教を雄弁に語り、欧米社会に東洋宗教を知らしめる事に成果をあげたといいます。それ以降、米国で活動を拡大してきた日本仏教の現況はどのようなものでしょうか。今回研究会において発表する機会を得ましたので、在外研究期間に現地で直接見聞した事などを踏まえて、米国の宗教事情を特に禅仏教に焦点を当てて分析・考察しました。

 釈宗演、鈴木大拙らの尽力によって欧米に宣揚され、鈴木俊隆ら多彩な後継者達の誠実な布教伝道によって定着した日本の禅は、60―70年代の米国社会の変動期を潜り抜けて人々に認知されるものとなっています。しかし、この国の歴史や文化、場合によっては政治にも強い影響を与えてきた宗教といえば、明らかにキリスト教です。確かに「ZEN」の持つ世界観や瞑想法は衆目の知るところとなっていますが、それは多くの東洋起源の宗教や他地域の宗教と同様に、キリスト教的土壌の上に舞い降りた異国の植物の種子のようなものです。それらはキリスト教と対等という意味において、ひとつの宗教として認められているのでしようか。現時点では禅の知名度は増大し、その普及範囲は全土に及んでいますが生粋の信者は少数といわざるを得ません。私たちはまず圧倒的多数派たるキリスト教と無数に存在する少数派のーつとしての禅という米国宗教界の構図を認めねばなりません。

 ただ、禅は思想としてはキリスト教思想と異なる光彩を放つ魅力的なものと考えられてきました。そして、欧米の多くの進歩的思想家や文化人に刺激を与えたのも事実です。しかし他方で、それが一部の知識人達の知的関心事の枠を越えて、庶民の信仰となっているかというと、そうではないと思います。人々はクリスチャンでありながら、各自の好奇心に応えるものとして、あるいはその宗教意識を補完するものとして禅を受け入れたかに見えます。

 また、この受容の前提には米国社会の「誠実さ」や「実直さ」を尊び、「深い精神性」を重んじる宗教的気質があるのではないかということもいささかの羨望を抱きつつ付け加えておきましょう。

 もうひとつ感じたことかあります。太平洋を渡った禅は変容しつつあるということです。この国の禅者は禅の源流としての東洋に憧れる一方で、日本人がかつてそうだったように「米画人による米国人の為の米国禅」を追及しているのです。私達はこの事実をはっきり直視する必要があります。本家気取りでばかりはいられません。来国の修行者や指導者は禅についての正しい知識と実践を蓄積し続けています。小手先の対応はすぐに見抜かれてしまいます。その上で独自の工夫に努めています。さらに、この移民の国の「多様性」は日本の比ではありません。言語・民族・文化伝統は言うまでもなく、多くの価値観が錯綜する社会では禅に対する期待も様々であるということを認識していなければならないと思います。例えば、祖先崇拝の習俗のないこの国で、日本のように禅僧が葬式の専門家であることを求められる場合は日系社会などを除けば稀でしょう。ちなみに、このことは米国における寺院経営の問題に直結する大問題でもあるのです。どうやら米国に住む人々が禅に何を求めているかを再認識する必要がありそうです。

 それにしても動植物の外来種の中にはしたたかなものがいます。その土地に同化し、時には在来種を凌駕する勢いを見せる種もあります。欧米で布教伝道に活躍されている日本の開教師諸兄に敬意を表しながら、米国での禅仏教という種の将来を見守ってゆこうと思います。

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