愛知学院大学 禅研究所 禅について

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禅のこぼれ話  平成21年度

私の仏教―自利と利他―(著・田島毓堂)

 この頃、私は「私の仏教」と称して、色々の思いを吐露して、皆様方にお読みいただいている。ここにも似たようなことを書かせていただき、責めを果たしたいと思う。

 本稿は少し前の「私の仏教―菩薩道―」と称する短文と大同小異である。特に、大学に身を置く者として、「菩薩道」はどうあるべきか、それは「自利と利他」の問題に突き当たる。「自利」と「利他」をどう調和させて、共に生きるべきか。大学人としては、問題を、いかにして、自他の向上を図るべきかということに、絞ることが出来るように思う。

 曹洞教会修證義第四章には「たとい佛に成るべき功徳熟して圓滿すべしというとも尚お廻らして衆生の成佛得道に回向するなり、或いは無量却行いて衆生を先に度して自らはついに佛に成らず、但し衆生を度し衆生を利益するもあり」とある。

 菩薩は自分の成佛は差し措いて、人々の救済が第一だということである。このことに関して、私は自分の未熟さから、常々割り切れないものを感じていた。菩薩の境地が理解できなかったし、未だに釈然としないものが残っている。

 だから、自分の命を犠牲にして、人を救った美談に関して、道元禅師の「命を思い切って捨てることは出来るのだけれども、それが必ずしも仏道を成ずることには成らない」(正法眼蔵随聞記二 一七)というご趣旨の説示を思い出しながら、その行為を素直に称讃できずにいる。しかし、それもその人の生き様であり、やはり賛美すべきことだという意見を持っている人もいる。私はそれに、全面的には同意できず、そのことで、その人と論争になったこともあった。

 『傘松』(永平寺の祖山傘松会)に連載されていた岡野守也氏の「環境問題と心の成長」を読んだ。なかなか難しかった。連載最終に近い二三回は特に難しかった。「一体・非二元」という概念、佛教的には確かにそうなのだと思う。そして、最終回(二〇〇九、十一)に、「求道者=菩薩にとって自らが覚者=仏陀になることを求めることと他の生き物すべてを救うということは別のことではなく、一つのあるがままの真実の追求であるはずなのです」として、大般若経の文章がひかれていた。

 世尊は須菩提に対して、「もろもろの菩薩大士は真実の究極のあり方をよりどころとするからこそ智慧の実践を行うのだ」と答える。十分には理解できないながら、これを読んでいて、何となくもやもやが解けるように思った。

 私は寺の住職をしながら、大学で教師として勤めている。大学での仕事は、当然、学生に対する授業が中心である。会議等もあるけれども、一番大事なことは、学生の教育と、自らの研鑚である。つまり、講義をしたり、演習の指導、論文作成の指導等が、学生に対する教育の中心である。そのためには常に自らの研究を怠ってはならない。中には、単に知識の切り売りのような講義が必要なことも有ろうが、本当に学生と共に自らも納得できるような講義や指導が必要である。学生の向上を目指すことは言うまでもないが、必ず自分も学生と同様に向上しなければならない。自利の追求が、利他と一致することが究極の目標であり、そうなった時、互いに幸せである。利他は同時に自利でもなければならない。

 それ故、大学人は、自らの専門性を十分発揮して学生指導に当たらなければならないし、そのようなあり方が求められる。

 ただ、本学の様子を見ると、必ずしもそういう状態ではない。その現状は、本学に限らないかも知れない。大学生全部がそうだとは言わないが、残念ながら、学問的向上を願っている者ばかりではない。自他共に学問的向上を目的にするなどと言えば、何を寝ぼけているのか、と言われかねない状況である。全部が全部そうではないが、大学が本来の学問的真理の追究の場ではなくなっている。教師の中にも、何年間も論文など書いていない人が居る、ということも聞く。それは、本来の大学人としては、あり得ないことのように思うが、事実は大学が、もう、そこまで変質している。この状態は、今後どうなるのか。

 大学の使命は、大学と入学者の激増とにより、昔日の大学と違うことは既に周知である。国民の多くが高等教育を受けて、それだけ国民のレベルの上がること自体は喜ばしいことである。そのためには、学問の真理追究を目的としてきた過去の大学とは別種の大学が必要なのかも知れない。そういう新しい学校のシステム作りがきちんとできれば、やがてそこでの、自利と利他の同時達成が、出来るような仕組みが考えられるだろう。今の状態は過去の大学のあり方のまま、しかし、一方では専門性を生かせず、子守同然の教育をしなければならないことがある。これは大学人にとって不幸であり、学生にとっても不幸、自利も、利他もまるで達成されない。

 もはや、研究のための大学は大学院に求められようとしている。そのことも含め、この新しい年に、自利と利他の一致するシステム作りを心から念願する。

(文学部教授)

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