愛知学院大学 禅研究所 禅について

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禅滴  平成21年度

「心」の不思議―徳山三世心不可得―(著・所長 大野栄人)

 1.はじめに

 私どもは人間として生まれて以来、様々な「心」をつくり、自らがつくった「心」に束縛され、果ては苦悩の連鎖の生き方を余儀なくされています。一体、「心」とは何なのでしょうか。

 2.『華厳経』に説く心

 人間が様々な心をつくる様相について、『六十華厳経』巻第十・夜摩天宮菩薩説偈品第十六には、次のように説かれています。

 「譬えば、工画師の諸の彩色を分布するがごとく、虚妄にして異色を取り、四大(地・水・火・風)に差別なし。四大は彩色にあらず。彩色は四大にあらず。四大の体を離れて別に彩色あるにあらず。心は彩色の色にあらず。彩画の色は心にあらず。心を離れて画の色なく、画の色を離れて心なし。彼の心は常住ならず。無量にして思議しがたし。一切の色を顕現するも、おのおの相い知らず。なお、工画師の画の心を知ることあたわざるがごとし。まさに知るべし。一切の法は、その性もまたかくのごとし。
 心は工画師のごとく、種々の五陰を画く。一切の世界中において法として造らざることなし。心のごとく仏もまたしかり。仏のごとく衆生もしかり。心・仏および衆生、これ三無差別なり。
 諸仏はことごとく、一切は心より転ずることを了知す。もしよくかくのごとく解すれば、彼の人は真の仏を見る。心もまたこの身にあらず。身もまたこの心にあらず。一切の仏事を作して自在にして未曾有なり。もし人あって、求めて三世一切の仏を知らんと欲すれば、まさにかくのごとく観ずべし。心は諸の如来を造る。」

 ここにいう「工画師」とは画家のことです。画家が自然の風景をキャンパスに描こうとしている状況を想像していただきたい。「心は工画師のごとく、種々の五陰を画く」とあるように、画家は自らの自我意識を働かせて、「色」(景色)を見、見た景色を感覚器官である眼・耳・鼻・舌・身・意の六根により受け入れ(「受」感受作用)、受け入れた景色を、過去の経験から、どのように描くか思索をめぐらす(「想」表象作用)。画家はこのキャンパスにどのように描くか、独自の固定的な意志を働かせる(「行」意志作用)。画家は自らの描き方を決定し、実際にキャンパスに絵を描いていく(「識」認識作用)のであります。どこまでも自我に束縛されて描く画家もあれば、自我の心を超越して名画といわれる絵を描く画家もいます。まさに「心」の不思議に他なりません。

 『六十華厳経』では、心と一切法との関係を、画家が諸の彩色を描くことにたとえられています。四大と彩色や、心と彩色との関係は、相互に別々のものでありながら、しかも互いに離れないものになっています。心は一切法を顕現しながら、しかも心と一切法は互いに知らないのです。それは、画家が画心によって描きながら、自己の画心を知らないようなものです。つまり、一切の風景を描きつつあるという観点からみれば、心は無常でありますが、同時に不可思議にして無量であるといえます。

 「心・仏および衆生、これ三無差別」と説かれるように、仏の立場からすれば、心は仏そのものであり、それが一人ひとりの人間に顕現されているというのであります。つまり、人間の心は仏そのものの心に他ならないことを明らかにしています。

 3.『金剛般若経』に説く心

 しかしながら、現実問題として、我々人間は固定的な自我意識を確立し、自我の束縛に苛まれながら生きていて、到底、仏の心とはほど遠い生き方をしております。そのために、『金剛般若経』には次のように説かれています。

 「仏、須菩提に告ぐ、その所の国土の中に所有の衆生ありて、もし、千種の心あるも、如来はことごとく知る。何をもっての故に。如来は諸の心を説くも、みな心にあらずとなす。これを名づけて心となす。ゆえはいかん。須菩提よ、過去の心は不可得なり。現在の心も不可得なり。未来の心も不可得なり。」と、説かれています。

 我々は、生まれて以来、様々な心を造り続けて今日に至っております。しかし、経文には、過去の心も、現在の心も、未来の心も不可得である、といわれます。「不可得」とは、得られない、存在しないということです。

 過去の心は、刹那生滅現象変化して現在や未来の心となるので、過去の心といわれるものは存在しないのです。同じように、現在の心も瞬時に過去の心となるので、現在の心といわれるものは存在しないのです。また、未来の心も瞬時に現在の心となるので、未来の心といわれるものは存在しないのです。

 このように、我々の住む世界は、瞬時に刹那生滅しつづけていて、過去・現在・未来はどこにも存在する場がありません。ゆえに、過去・現在・未来の心といえるものは存在しないのです。つまり、心はどこにも存在しないということになります。元来、心は存在しないのですから、自己の心に束縛されるということはない、というものです。

 4.徳山三世心不可得

 唐代の禅僧で、『金剛般若経』を究めたことで有名な徳山宣鑑(780-865)という方がおりました。

 『碧巌録』によれば、徳山は西蜀の成都にあって、『金剛般若経』を講じていましたが、南方で非常な勢いで広がりはじめていた禅宗に対して批判的で、禅宗を論破するために湖南省の澧州に赴きました。

 一軒の茶店をみかけ、おやつに餅でも食べようと思って立ち寄りました。茶店の主人は一人の老婆でした。

 徳山がいかにも重そうにして、背中の荷物を下ろすのを見て、その老婆は言った。「背負っておられるのは一体何ですか。」「『金剛般若経』というお経の注釈書だ。」と答えると、老婆はいきなり奇妙なことを言いだした。「一つ伺いたいことがあります。この問いに答えられれば、この餅は布施しましょう。だが、答えられなかったら、お売りすることはできませんので、よそで求めて下さい。」「言ってみなさい。」徳山が毅然と答えると、老婆はおもむろに問うた。「あなたが究められた『金剛般若経』には、過去・現在・未来の三世にわたって、心は存在せず空である、と説かれているそうです。あなたはこの餅を、過去の心・現在の心・未来の心の何れの心で食べようとされるのですか。」茶店の一老婆から、思いもよらない質問をされ、徳山は何一つ答えることができませんでした。もちろん、餅も食べることができず、老婆に頭を下げて、その場を立ち去ったというものです。『金剛般若経』を究め尽くしたはずの徳山が、茶店の一老婆に見事に論破されました。徳山は『金剛般若経』の文字の意味を理解していたものの、経の生命である「心」の本義を自分のものにしていなかったのです。

 5.道元禅師の心の把捉

 この徳山三世心不可得の逸話を、道元禅師は自著の『正法眼蔵』の「心不可得の巻」に取り上げられています。高橋賢陳氏の『全巻現代訳正法眼蔵 上巻』を参考に、道元禅師の心の把捉を究明していきたいと存じます。

 「過去の心不可得、現在の心不可得、未来の心不可得」というのは、仏祖が修行によって得られたものです。その意味は、過去・現在・未来の心が得られないというのではなく、過去・現在・未来という時間的な束縛があるということです。束縛とは時間を自分のものにしていることです。つまり、自分の思慮や分別が心不可得なのです。四六時中、時間を自由に使っているこの全身が心不可得なのです。

 古来より、仏祖の室に入ることを許された者が、親しく受け継ぐことによって、心不可得を会得してきました。道元禅師は、その実例として、徳山宣鑑の「三世心不可得」を取り上げられます。

 徳山は、『金剛般若経』を究めたと自称し、周金剛王ともいっていた。青龍道氤の『金剛疏』の講釈を得意としていた。『金剛般若経』に関しては当代第一と自負していたが、実は文字をいじくる偽者であった。

 龍潭の崇信の法座が開かれていることを耳にし、南方へ赴いた。その時、偶然に一老婆と出会った。徳山は、「あんたは何をされる人ですか。」と問うた。老婆は、「餅を売る婆々です。」「わしに餅を売ってもらおうか。」「和尚さんは餅を買ってどうなさる。」「餅を買って空腹をしのごうと思う。」「背負っておられるのは何ですか。」「わしは周金剛王で、『金剛般若経』を究めた者だ。ここに持っているのは『金剛般若経』の解釈本だ。」「それでは一つお伺いしたいことがあります。『金剛般若経』には、過去心不可得・現在心不可得・未来心不可得という言葉があるそうですが、いま和尚さまは、この餅をどの心で食べようとされるのですか。」と問うた。徳山は、何も答えることができなかった。老婆は餅を売らずに立ち去った、というものです。

 道元禅師は、徳山に対して、得道にはほど遠い人であり、龍潭の崇信に出会った後も、依然この老婆を恐れたであろう。嘆かわしいことであると言われます。

 一方、老婆は得道の人かといえば、決してそうではない。大宋国の多くの修行僧は、徳山が答えられなかったことを笑い、老婆が優れて明敏であったことを褒め称えるが、それは愚かなことである。老婆が得道の人であるならば、「和尚さんは答えに困っておられます。私に問いなさい。私の方から和尚さんにお答えしましょう。」と言ったであろう。

 試みに、徳山に代わって私(道元禅師)が言おう。老婆が先のように問うたならば、徳山は老婆に向かって、「過去・現在・未来心不可得ということならば、私に餅を売りなさんな。」と言えば、明敏な修行者といえるであろう。

 もしまた、徳山が老婆に向かって、「過去・現在・未来心不可得ということなら、今どの心で餅を売ろうとしているのか。」と問えば、老婆は徳山に向かって言うがよい、「和尚さんは、ただ餅が心を食べることはできないということだけをお知りになっていて、心が餅を食べるということをお知りにならない。心が心を食べるということをもお知りにならない。」と。こう言えば、徳山はまごつくであろう。その時、徳山に餅三個を渡してやりながら、「これが過去心不可得・現在心不可得・未来心不可得である。」と言えばよい。もし徳山が取ろうとしないならば、餅を一つつまんで徳山に投げつけ「この腑抜けめ、ぼんやりして何のざまだ。」と言うがよいであろう。このように、徳山も老婆も仏道に無知であり、哀れむべきことである。かくなれば、過去心・現在心・未来心を、問うことも、言うことも、未来永刧に不可得という他はないのである。

 6.おわりに

 道元禅師は、仏道を学ぶ者の用心を、徳山と老婆の「三世心不可得」で示されたのです。心が有るとか無いとかをいうのではなく、「即心是仏、不染汚即心是仏なり。」と示されるように、心はそのまま仏そのものであることを体得しなければならないことを教示されます。

 この逸話は、学問を志す者が常に求道者であることを忘れてはならないことを教えようとします。

(文学部教授)

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