愛知学院大学 禅研究所 火曜参禅会

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研修旅行レポート

山形平成10年度 みちのくの名刹を訪ねて―修験道のさと出羽三山と洞門寺院―

研修旅行 山形 写真1

 平成10年度は、9月8日から10日までの日程で、出羽地方を巡りました。参加者は42名でした。

 1日目は空路山形へ入り、まず始めに山寺こと立石寺を訪れました。慈覚大師によって開かれた当寺は、松尾芭蕉の名句「閑かさや岩にしみ入(いる)蝉の声」でも名高い天台宗の古刹です。その後、今昔物語をはじめとする数々の文学作品で語られ、歌枕としても名高い「阿古耶の松」の伝説を秘めた山形の萬松寺を拝登しました。

 2日目には、古くから修験道の霊場として幾多の修行者を集めてきた出羽三山の合祭殿(羽黒山)に参拝した後、バスで月山の8合目まで登り、山頂を望みました。また、鶴岡では同地方の中心寺院である正法寺に拝登しました。

 3日目は、同じく鶴岡で、曹洞宗三大祈祷所の1つに数えられ、全国に多くの信者を有する善寶寺を拝登した後、即身仏を祀る注蓮寺と大日坊を訪れました。そして、旅の最後は出羽三山の奥の院、湯殿山に参拝し、いにしえの行者たちの息吹きを感しながら帰途につきました。

禅研研修会に参加して伊藤 照夫

研修旅行 山形 写真2

 今回の参加は、昭和48年に富士官の大石寺、世界救世教等を訪れた研修以来25年ぶりであっただけに、大いなる期待を持っての参加であった。

 実際、私の期待通りであった事は、言うまでもない。特に、最初に訪れた立石寺には思い出があったので、感慨ひとしおであった。(高校時代に気の合った仲間と卒業旅行を兼ねて当地を訪れた記憶があったため。)

 次に訪れた萬松寺では、住職より寺の歴史的由来を聞き、“寺宝”である御朱印、葵紋など貴重な文化財に接する事ができ、大変有意義であった。

 また、出羽三山(羽里山、月山、湯殿山)への参拝は初めてであり深く心に残り、人面魚で有名になった「善宝寺」では龍神を祀ってある竜王殿や魚供養のための五重塔の内部など、一般に見せていないものまで拝観する事ができて、感激の念をいだいた。

 全般に今回の研修は、運動不足になりがちの我々に、実益を兼ねた運動を強いる事により、より良き体調を維持し、いつまでもこの研修会に“参加”してほしいと言う願望が込められているように思われた。兎に角楽しく有意義な研修会であった事は間違いない。今後も許される限り参加したいと思います。

出羽三山研修旅行鈴木 誠之

研修旅行 山形 写真3

 今回の研修旅行は、柄にもなく昨年1月より俳句を始めた私にとって、一層思い出深いものとなった。

 山形は厳しい残暑であった。まず山寺に向かう。根本中堂に参詣し、山門をくぐって奥の院に続く石段を登る。山々の木々は濃い緑に覆われ、岩上の院々もその陰に隠れて、十分には見えない。汗ばんだ額に、山から吹き下りる風が心地よい。

 奥の奥の奥の院来て萩雫る

 2日目、最上川に沿って下り、羽黒山に登り三神合祭殿に参拝する。日本随一の大社殿で芽葺き屋根の豪壮な造りは、見るものを圧倒する。随神門に向かって美しい杉並木が続く修験道、2446段の石段を下る。一の坂の登り口左手に、素木造り、柿葺、三間五層の国宝五重塔が、優美な姿で聳り立つ杉木立の間に立っている。

 秋風や杉深々と塔抱く

 羽黒山より有料道路月山高原ラインで、月山8合目に向かう。樵(ぶな)の原生林を抜け、まだ実だけが赤くなっているななかまど等を眺めつつ、8合目弥陀ケ原に着く。この湿原は、高冷地のため枯草が腐る事なく、何万年となく積み重なりできた湿原で、小さな湖沼が散在し、神々の御田を見るようである。弥陀ヶ原中央には御田原神社がある。

 ななかまど実を赤くして月の山

 3日間で山形の洞門寺院の名刹3ヶ寺を巡り、その古い歴史と境内、伽藍の荘厳さ、堂に満つる読経に心洗われるとともに、即身仏になられた上人を祀る2カ寺を訪れる事ができ、また1年命が延びたと、ありがたく思いつつ、最後の目的地湯殿山に向かう。

 湯殿山は出羽三山の奥の院で、厳粛な雰囲気の漂う修験道の聖地である。御神体は山ではなく、湯泉が湧き出す褐色の巨岩である。芭蕉も「此山中の微細、行者の法式として他言する事を禁ず。仍て筆をとゞめて記さず」と『奥の細道』に記しているので、私もここで筆を措く。

 襟ぬらし拝む湯殿の残暑かな

山寺出羽三山を旅して永井 迪子

研修旅行 山形 写真4

 かねてより願望だった出羽地方の旅に参加させていただきましたことを喜んでいます。

 名古屋空港から山形へ。紺碧の空、上空から見下ろす諏訪湖、アルプス連峰を覆う深い緑の森を眼下に眺めている間に、田園風景の中の山形空港に着陸しました。お天気に恵まれた旅ができそうだと、心おどる気持でバスに乗車。最初に訪れた山寺立石寺では、山門から奥の院までの1015段の石段をのぼってゆく事ができるか、限られた時間内では難儀じゃないかと思いながら、まず、せみ塚までいっきに登り、そこで一息入れた後、あえぎながらただ黙々と石段をのぼりました。なんとか奥の院でおまいりする事ができましたが、ここまでくると空気がすがすがしく、涼風を心地良く肌に感じました。

 芭蕉がこの静寂なる霊的世界を訪れたことを想い起こして、あらためて芭蕉を偲びました。

 「閑かさや岩にしみいる蝉の声」

 五大堂からの眺めは、盆地や山なみがパノラマのように拡がり、素晴らしい眺望でした。ふもとの芭蕉の句碑のところで撮った写真はよい思い出となりました。

 2日目は、出羽神社をおまいりし、国宝の五重塔を心にとめつつ、400本以上の杉並木に囲まれている2446段の石段を足を踏み外さないように下りました。深く下りてゆくにつれ、霊気を感じます。月山は8合目までバスでのぼったものの、頂上の見えるところまで行く事はできませんでした。

 3日目の湯殿山神社での参拝は裸足にならなければなりません。霊山を旅して、何か安らぎが心に溢れる旅ができたと思えます。ハードな旅だったけれど2日間温泉に浸かり、つかれをいやすことができた事に満足しました。研修旅行に参加させていただき、寺院で「心経」をあげることも今ではすっかり心静かにできるようになりました。私は数年前奈落の底へつき落されて、その悲しみにあけくれていた時期がありました。参禅会に参加させていただき、坐禅をして心をしずめようとすればするほど、心とは反対に思い出が次から次へとあふれでて、心は千々に乱れました。そんな中でたった1つの光をみいだすことができたことは、研究所の先生方のおかげと感謝しています。また、仏像を見ることでも心をおちつかせる事ができました。今回の旅は、私にとって修行の旅だったと思います。愛知学院に就職させていただけた事に感謝しています。ありがとうございました。

出羽三山を旅して小椋 和子

研修旅行 山形 写真4

 楽しみにしていた山形の旅のしおりをいただきました。森敦氏の小説『月山』、そして旅のしおりを手にしながらも、体調を崩していた私には不安が残りました。皆様と御一緒できるかしら ・ ・ ・。それからが大変でした。スニーカーも履いたことがない私がトレッキングシューズを買入れました。履き方から始まり、靴ならし、歩きならし。トレーニング開始です。夕方の公園で家族が一緒に歩いてくれるうちに、個人では計画さえもたてられない旅にとても期待が高まりました。

 かつてはありのままの山の自然が、修験者達のきびしい道場であったのでしょうか。まるで計算されて植林されたように整然と並び、天までもと真直にのびた木立、苔むし、うねうねと曲がりくねった階段はどこまで続くのでしょう。険しく神秘的な稜線が恐ろしいくらいでした。息さえつめて、ただ、ただ、歩き続けました。

 そのとき、木立の間から光がさしこみました。明るくてすばらしい眺望です。雨ばかり続いていた東北に自然の恵みでしょうか。いつからか忘れかけていた何かを思いおこしてくれました。

 旅は私に勇気と感動を与えてくれました。健康に留意し、また参加させて頂けることを楽しみにしております。

 お世話していただいた禅研究所参禅会の皆様、そして私の大切な二人の友に感謝します。

旅行のおもいでAlbum

山形

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研修報告Training Report

平成10年度研修旅行
山形

 本年度の研修旅行で拝登した洞門寺院は、山形市の萬松寺と、鶴岡市の正法寺、善寶寺の3ヵ寺である。
千歳山萬松寺(山形市平清水)は、大宝2年(701)に阿古耶姫が結んだ草庵が始まりと伝えられる。その後、同寺は法相、天台、真言、臨済の各宗を経て、南北朝時代に清厳良浄によって曹洞宗に改められた。境内は、山形城の大手門を移築したという山門(1356建立)をくぐると、正面に本堂(1662建立)が位置しており、左右に仏殿(1751建立)と庫裡が建ち並んでいる。また、仏殿の背後には山号の由来となった千歳山が迫り、山頂には阿古耶姫手植えの松が枝を張っている。住職の平清水公宣師から、阿古耶姫の悲恋の伝説をはじめとする数々の由緒をうかがい、寺宝の阿古耶姫像や御朱印札などを拝見した。

 伝燈山正法寺(鶴岡市大山)は、延文3年(1358)に庄内領主武藤義氏を開基とし、玄翁玄妙を開山として開創された大本山總持寺の直末である。当地方の中心的寺院として、江戸時代には35カ寺の末寺を擁していたが、明治初年の火災で総門を除いて全焼し、同7年(1874)に現在地に移転、再建された。境内には、その時再建された本堂、庫院、山門や、近年再建された開山堂とともに、室町時代に建立された総門などが建ち並んでいる。往職斎藤隆信師の案内で伽藍を見学した後、火災の際に消失を免れた開山和尚の座像を拝見した。

 龍津山善寶寺(鶴岡市下川)は、2龍神を祀る日本屈指の祈祷場である。当寺はもと天台宗に属し、天慶年間(10世紀中葉)に妙達上人が草庵を結んだのが始まりとされる。寺伝によれば、妙達は日頃から『法華経』を誦しており、それを聞きに現れた2匹の龍が、境内の池に身を潜めて当山の守護神になったという。文安3年(1446)、峨山下7世の太年浄椿が当寺を再興して曹洞宗に改めた。大本山總持寺の直末で、江戸時代には末寺41ヵ寺を従えていた。山内には大本堂と龍王殿を中心に、五重塔や五百羅漢堂など数々の伽藍が配されて威容を誇っている。住職の斎藤信義師の歓待を受け、龍王殿に祀られている龍神像や峨山禅師像、および五重塔の内陣などを拝観した。

研修旅行 山形 写真4

 ところで、今回の研修旅行では、上記3か寺のほかにも幾つかの寺社を訪れた。

 山寺こと宝珠山立石寺は、9世紀に慈覚大師によって開かれて以来、不滅の法灯を護持する天台宗の奥州総本山である。奥の院まで1015段の石段が続いており、その途中に並ぶ苔むした墓石や朽ち果てた卒塔婆は、死者供養の習俗を伝える霊山としての姿を象徴するものであつた。

 羽黒山、月山、湯殿山からなる出羽三山は、6世紀末に蜂子命(はちのこのみこと)によって開かれたという羽黒修験の霊場である。羽黒山では、随神門から三神合祭殿まで続く2446段の石段と、それを取り囲む杉並木が聖地の厳粛さを感じさせた。また、阿弥陀如来の浄土と仰がれた月山と、行者が最後に仏の境地に入ると言われる湯殿山は、自然崇拝の原型を雄弁に物語るものであった。

 注蓮寺と大日坊は、いずれも羽黒修験の隆盛とともに栄えた寺院であり、それぞれ木食行と断食の果てに入定した江戸時代の即身仏(ミイラ仏)を祀っている。また、この両寺は神仏習合の風習を色濃く残しており、宗教民俗学の立場からも興味深い所である。

 以上のとおり、出羽地方における洞門寺院の繁栄と、わが国古来の山岳信仰や、修験道の歴史と文化に触れた今回の研修旅行は、行程的には少々厳しかったけれども、大変実り多いものであった。

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