愛知学院大学 禅研究所

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参禅会体験記  平成16年

平成15年4月から、日進市立日進中学校青葉分校の生徒達が、授業の一環としての参禅のため、毎月1回、坐禅堂に通っています。回を重ねるごとに坐相も美しくなる生徒達。同校の大川博先生が彼らの「参禅体験記」をまとめて下さいましたので、ご覧ください。

大川 博

縁に感謝心に感謝

 「心を落ち者かせる時空(とき)をもたせたい」
 学友といっしょに寮生活をし、同じ敷地内の学校に通う生徒たちの様子を見て、痛切に感じたことであった。
 どうすればいいか。何をしてあげるのがー番いいのか。そう考えているときに、浮かんだのが「坐禅」であった。
 思うことは簡単である。しかし、何の伝手もない。色々な人に思いを伝える日々が続いた。
 そんなある日、生徒たちが寮生活をしている寮の先生から、「母校の愛知高校で坐禅をしてましたよ。」という話を聞いた。
 やっと糸口が見えた気がした。「誰か先生を紹介してください。愛知学院大学で可能になれば、近くなので一番有り難いのですが。」とお願いした。
 幸いなことに、その先生が所属していた野球部の監督、永井先生が大学に移られていた。永井先生を通して学生課の柴田先生を紹介していただいた。
 両先生に直接お会いし、学校の状況、生徒の実情等を伝え、協力していただくようお願いした。「我が校も、地域に開かれた大学を目指しています。できるだけ力になれるよう努力しましょう。」と有り難い言葉をいただいた。
 そして、宗教学科の佐藤先生の了解を得て、実施できる見込みとなった。「学長からも、『ぜひやってあげなさい』と、言われていますから。」という言葉に、感謝の気持ちで、心が溢れそうになった。
 「無」から一つの思いが生まれ、心ある人々のおかげでどんどん道となって広がり、象(かたち)になった。このことが、摸索する自分に、大きな勇気を与えてくれた。
 禅研究所所長、中祖先生から「葉っぱのフレディー」を引用した話を伺い、スタートした坐禅教室。河合先生から作法を伺い、緊張しながら神秘的な坐禅堂に入って行った生徒たち。足を組み「静なる世界」に浸っている凛凛(りり)しき姿が美しかった。縁に感謝し、心に感謝した忘れられない瞬間であった。
 こうして始まった坐禅教室の様子を、生徒たちの声を通して紹介します。
 三回目の坐禅です。
 いつものように神秘的な雰囲気の中、とてもよい香が廊下、そして室内まで漂ってきます。静かなオレンジ色の光に包まれ、足を組み、じっと何分もよい姿勢を保ちます。
 同じ姿勢で、何分もじっと耐えることは、簡単そうで実に難しいことです。背が曲がってきたり、つい寝そうになったりしてしまうのです。
 でも、こういう時間をつくることは、とてもいいことだと思っています。

  • 坐禅はとても苦手です。みんなよくやれるなあと、感心してしまいます。
    だけど、私は気がつきました。今の生活の中では、静かに一人で考えるときが全くありません。そんな自分にとって、とても貴重な時間だということを。
    だけどやっぱりきついですよ。
  • 最初は足が痛かったけど、今では全く痛くなくなりました。坐っているときも、いつ叩かれるか心配でドキドキしてたけれど、自然に坐れるようになりました。坐禅堂の香も好きで、入るときはとても気持ちがいいです。坐っているときは、何故かあまり香を感じないのが残念です。
    坐禅の最中は、とても落ち着きます。終わると、眠くなるのが不思議です。
  • 最初のころは全然できなくて、直されたこともありました。でも、最近は直されることがなくなってきたので嬉しいです。
    坐禅は青葉分校だけの、素晴らしい教室だと思います。これからも、頑張っていきたいと思います。
  • 「歩く坐禅」というものをやりました。
    坐禅は坐ってやる修行だと思っていたので、ちょっと意外でした。坐禅を20分、次に歩く坐禅を10分、最後に普通の坐禅を20分というかたちでやりました。
    最初は10分でも長く感じたのに、今回は20分が短く感じました。むかついていた心が、坐禅が終わった後、すっきりしました。次回も、すっきりした心になりたいです。
  • 坐禅のときに、ずっと考えていたことがあります。家族のこと、先生のこと、クラスのみんなのこと・・・。そして最後に自分のこと・・・。
    どうして自分はこの世に生まれてきたんだろう。家族にとって本当に必要なんだろうか。それに・・・。
    次回は、もっと自分について考えたいです。

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