平成11年度は、9月1日から6日までの日程でハワイを訪れ、同地における開教の様子を研修しました。参加者は37名でした。
1日目は夕方名古屋空港を発ち、同日の朝早くホノルル空港に到着。直ちに曹洞宗別院正法寺とインターナショナル日本人キリスト教会で研修を行い、あわせて市内観光を行いました。
2日目には本派本願寺別院と天台宗別院での研修を終えた後、真珠湾の見学に赴きました。
3日目はハワイ島の日帰り研修です。曹洞宗ヒロ大正寺を拝登した後、キラウエア火山に代表されるハワイ島の大自然を堪能しました。
4日目は自由研修です。マウイ島を訪れたり、海底散歩を楽しんだり、中には宗教施設を見学した人もいれば、ショッピングに精を出した人もいて、思い思いにハワイの休日を満喫しました。
5日目は早くも最終日です。午前中にホノルルを発った飛行機は、日付変更線を越えて翌日の夕方、名古屋空港に着陸しました。
高齢者の仲間入りした私が、元気で研修を終えたことを嬉しく思う。
従来の寺院の研修と異なる点が印象的であった。キリスト教会、更に曹洞宗別院正法寺、曹洞宗ヒ口大正寺、天台宗別院、本派本願寺別院のいずれも近代的建築物であり、信者の席は全て礼拝堂の感がある。2世、3世、更に4世に亘る信徒の獲得には、日本語と英語の両方に堪能である住職か適任とされ、講話は全て両国語で行われている。
曹洞宗寺院では坐禅会が月に1回開かれており、念仏往生を説く本願寺は、家庭の和の中から仏の教えを導いておられる。また、いずれの寺院でも幼稚園を経営しており、本願寺ではハワイ大学学生のセミナー形式の研究会も開かれている。どちらも、今後、更なる布教活動が期待される。
天台宗別院では、昨年開創25周年記念行事が種々行われた。毎月18日には禅話会として夜7時から坐禅が行われている。また、8月15日には恒例のホノルル燈籠流しが行われ、先祖の供養、戦没者の慰霊と世界平和の祈願を行っている。(荒了寛住職談)
ハワイ諸島に宣教師がやって来始めたのは1820年とされている。また、日本からは1900年までに、6万人以上がハワイヘ移住した。1952年には、日系人が25万人、仏教徒が約3万人であった。そして現在、ハワイの人口は100万人、その内の10万人が仏教徒である。広島、山口両県からの移任が多い。太平洋戦争時には多くの日系2世が米国人として参戦し、米国国籍をもつ1世は、複雑な気持ちで米国への忠誠を息子に誓わせたと聞く。
曹洞宗ヒロ大正寺のあるハワイ島は火山の島で、活火山の噴煙と、真っ黒な熔岩大地が印象的であった。島の唯一の交通機関は車で、高校生の通学も車であるという。大正寺の住職は2、3ヵ月前に着任したばかりであったが、羽根のレイの代わりに、毛糸で編んだレイを全員に配り、ボランティアの方達の手製のクッキーでもてなしてくださった。
この度の参加で、八年前にロサンゼルスから娘のいるホノルルヘ移任した80才になる従兄弟と楽しい再会ができた。彼の父親は牧師であった。また、ホテルのフロント前では、愛知学院大学宗教学科を卒業した方と出会い、将来ハワイで布教活動をしたいという希望を聞いた。このような情熱をもつ学院卒業生が現れることを、切に期待する。
平成11年夏、禅研究所参禅会研修旅行としては、初めてのハワイでの研修が実施された。私としては初めてのハワイで一抹の不安を抱きながらの参加であったが、顔なじみの方も多く、和やかな雰囲気のうちにホノルル空港に到着した。
研修では、ハワイにおける日本の仏教の現状を観察。日本のほとんどの宗派が活動の拠点を開設し、それぞれが布教活動を行っている。しかし、現在では世代も移り、宗教に関する考え方も当時の家族単位の信仰から個人単位の信仰に変わりつつあるために、寺院の運営は苦しくなっているようであった。
自由研修日には、ダイヤモンドヘッドに登った。山道を登ること約1時間。頂上に近づくほど道は険しくなり、長い階段、真っ暗闇のトンネルを抜け、ようやぐ頂上に着いた。頂上は思ったより狭く、30ないし40名位の人がやっと居られる程度の所であったが、太平洋に直面する絶壁の上からの美しい眺めは、いつまでも心に残るものとなった。いつの日かまた訪れることを楽しみに、帰国の途に着いた。
今回の研修旅行はハワイ。団長の中祖禅研所長のもと37名と多人数であった。
ハワイにおける仏教の布教は明治22年(1889)からで、曹洞宗開教の歴史は14年後の明治36年(1903)からである。1世紀近いハワイでの仏心布教の歴史に触れる旅は、銀翼で日付変更線を越えるという、当研修旅行はじまって以来の劇的展開をもって始まった。
最初の研修先は、ホノルルの曹洞宗ハワイ別院正法寺。寺といってもやはりハワイ、内外観ともまるで教会である。仏花も大変に華やかな色彩であったが祭壇のみはお馴染みの型であった。住職の町田時保師より寺の由来、現在の布教活動等の話をお聞きするが、機中での疲労がピークになり、少々夢の中での話となってしまった。
昼食後、各宗派の建物が並ぶ「宗教通り」を通りぬけ、次の目的地インターナショナル日本人キリスト教会へ。ここでは若い代表者の三橋ご夫妻より研修を受ける。
2日目は「宗教通り」に面した勇壮な西本願寺別院と天台宗別院を訪れる。その後、旧日本海軍による奇襲攻撃の戦跡、パールハーバーヘ。戦争の悲惨さと共に戦時下のハワイ日系人たちの辛い心情が伝わってくる。
3日目は、ハワイ島日帰り研修。しかし午前中はあいにくの雨にたたられてしまった。研修先は曹洞宗ヒ口大正寺。住職の秋田新隆師より話をお聞きする。釈尊、道元禅師などの伝記を描いたこども向けの英語版漫画を出すなど、時代に即応した布教活動に努めている寺院である。その後はキラウエア火山をはじめとした南国の大自然を満喫して過ごす。
4日目は自由行動。ハワイを体感する1日で最終日を締めくくった。
今回の研修旅行で感じたことは、ハワイ別院が抱える諸問題が日本と相似していることである。世界は狭くなってきていることを感じずにはいられない。
「仏教は野蛮なものである」。今回のハワイでの参禅会研修旅行は、曹洞宗ハワイ別院正法寺住職・町田時保師のこの言葉から始まりました。ハワイでは50年前迄、仏教はこのようなとらえ方をされていたそうです。布教活動や寺院経営が、如何に困難であったかがしのばれます。また、現在も学校を経営していながら、仏教学校であると云う事は表に出せないそうです。日本から移住した檀信徒も、2世、3世、4世と世代交替するにつれてアメリカ化し、経典等の漢字もローマ字に改められました。そのため、戒名が理解されないという問題が起きていること等々のお話を聞き、唖然としました。
ハワイ諸島にある所謂寺院は、どのような存在意義を持ち、そこに住む日本人とどのような関わり合いをしながら宗教活動をしているのでしょうか。また逆に云うと、ハワイに住む日系の方は、生活の中で、その寺院とどのように接しながら、日々を送っているのでしょうか。4つの仏教寺院と1つのキリスト教会を訪れる中で、私自身の菩提寺との関係を思いながら、日本から遠く離れた異国の地での山積する御苦労や、そこに精神的安らぎを求めて集う方々のお気持に、ごく一部ながら触れさせて頂きました。この旅行で、私の中でいとも簡単に「夢のパラダイス・ハワイ」と云っていた考え方も、相当変って来ました。今、世界的に無宗教者と云われている人が多い中、信ずるものの前で、一日の始めと終わりに自分を看る事の大切さを痛感しています。
そしてまた、研修旅行のもう一つの楽しみも大いに味わって来ました。ハワイ島の誕生を偲ばせるカラパナ黒砂海岸、今もその活動で島の面積を増やしているキラウエア火山、マウイ島のハレアカラの大きな大きなクレーター、またアラモアナ・センターでのジャスト・ルッキングのショッピング等々、今も頭の中をよぎります。参禅会会員の皆様、ガイドさん、バスの運転手さん達の優しい心遣いも嬉しく、豊かで気持良い旅行を終える事が出来ました。有難うございました。
合掌
日本人のハワイ移民は1868(明治元)年に始まった。だが、それが本格化したのは1885年である。以後、続々とハワイヘ渡った人々の多くは、劣悪な労働条件の下でサトウキビ栽培に従事した。
こうした日本人移民に対する仏教の布教は、1889年に真宗僧侶の曜日蒼竜(かがひそうりゅう)師によって始められた。しかし、仏教教団による組織的な布教は、1894年に特派布教師を派遣した浄土宗が最初である。その後、1897年に本派本願寺(西本願寺)、1899年に東本願寺、1902年頃に日蓮宗、1903年に曹洞宗が開教に着手した。
このような各宗派の布教活動は、紆余曲折を経ながらも、次第に教線の拡張をもたらした。けれども、太平洋戦争中は布教の中断を余儀なくされた。戦後、復興を果たした仏教各派は、「ハワイの仏教」としての新たな在り方を模索しながら今日に至っている。
今回の研修では、4つの寺院と1つの教会を訪れた。
曹洞宗ハワイ別院正法寺は、1922年に開創し、1953年に現在地へ移転した。ハワイにある曹洞宗9ヵ寺の中心である。同寺では開教総監の町田時保師から、ハワイ開教の歴史と現状をうかがった。
本派本願寺ハワイ別院は、同教団のハワイ進出に併せて開創された。現在、同教団の36ヵ寺の中心である。また、同教団では1972年に仏教研究所を開設した。私達は、同研究所でムラカミ師から布教活動の説明を受けた後、ハワイ別院を参拝した。
天台宗ハワイ別院は、現在も住職を務める荒了寛師が1973年に開創した。同教団のハワイ開教は、事実上この時に始まる。同寺では約1時間、荒師の法話をうかがった。
これらの3ヵ寺は、いずれもホノルル郊外の「宗教通り」に位置している。
これに対して、ハワイ島の曹洞宗ヒロ大正寺は、今回訪問した中で唯一の離島寺院である。同寺の開創は1916年。住職の秋田新隆師と護持会員の歓待を受けるとともに、偶然重なった檀信徒の年回法要に参加させていただいた。
インターナショナル日本人キリスト教会(ICJJ)は、ハワイに移住して間もない日本人への布教を行うために、三橋恵理哉師が1982年に設立した単立の教会である。同教会でも、活動内容を三橋師から教えていただいた。
さて、上記の寺院や教会での研修を通して、印象深い事柄を3点記しておきたい。
第1は、異文化の土地での仏教布教の難しさである。とりわけ、社会階層と信仰する宗教とが密接な関係にあるアメリカでは、仏教は中流階級の宗教だという見方が根強い。このことが、仏教の布教と、仏教徒の社会的地位の向上を妨げる要因になっている。
第2は、日系移民の世代交替が、日本文化と仏教への関心を薄れさせていることである。特に家族の分散と漢字文化の消滅は、檀家制度や戒名という日本型仏教の根幹を揺るがしている。「仏教とは何か」を明確に説明できない限り、ハワイの仏教は消え行くのみだという町田師の言葉には、緊張感を覚えた。
第3は、IJCCの布教の成功である。その背景には、異国で孤独感を抱く日系新移民に、人と人との触れ合いの場を提供した同教会の活動がある。宗教が人と人との絆であることを再確認させられた思いがする。ハワイでは、今も日本語による布教の需要が増えつつあるという三橋師の言葉は驚きでさえあった。
いずれにせよ、ハワイ開教が抱える課題は、日本で仏教や宗教を取り巻く問題と共通するように思われる。彼の地の事情を鑑として、日本の姿を見つめ直す研修であった。