愛知学院大学 禅研究所 火曜参禅会

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研修旅行レポート

大分平成12年度 豊の国の石仏紀行

研修旅行 大分 写真1

 平成12年度は、38名の参加者が、9月4日から6日までの日程で、九州の大分地方を巡りました。この地方は古くから「豊の国」と呼ばれており、後に豊前と豊後の2っの国に分けられたところです。
宗門寺院では、かって90余の末寺を擁し、曹洞宗九州総本山と呼ばれた泉福寺と、全国の羅漢寺の総本山として名高く、室町時代には足利将軍家が崇敬した羅漢寺を拝登しました。

 また、全国の八幡宮の総本社である宇八幡宮と、国東半島に点在する富貴寺、真木大堂、熊野磨崖仏、さらに、我が国を代表する石仏群の臼杵磨崖仏を訪れ、当地に古くから伝わる独特の仏教文化に触れました。

 この他にも、九州を代表する名勝と言われる耶馬渓や、名曲「荒城の月」のモデルとなった岡城の城下町などを観光するとともに、別府と湯布院という人気のある2つの温泉地に宿泊し、楽しくも、実り多い研修旅行になりました。

妙声綿綿中村 宗淳

研修旅行 大分 写真2

 豊前・豊後路を辿った今回の禅研参禅会研修旅行に際しましては、禅研究所の皆々様や参加された会員の皆々様には大変お世話になりました。改めてこの紙上をお借りし厚く御礼申し上げます。

 さて、日程の3日目、臼杵の磨崖仏を拝観した折、その帰途人目につかない田舎道からちょっと上の方に登った薮の中の一角で、偶然にも相当風化した不動明王と三宝荒神のお二方に遭遇し、思わず大歓喜し、手を合わせました。それというのも朝な夕な、台所で火の神として祀ってあるお札を崇めさせていただいていたからです。

 次に、1日目に参詣させていただいた、八幡宮の総本社・宇佐神宮で、ありがたいことですが、神道に関する知識を大粋において多少でも補足できました。

 そういう訳で、今回の研修旅行では、予想以上に収穫がありました。

 合掌

豊の国の石仏を訪ねて太田 幸男

研修旅行 大分 写真3

 初日は福岡空港からバスで名勝地である耶馬渓へと向かい、名ガイドさんの案内で窓から眺める九州一の渓谷美を堪能することができた。

 そして羅漢寺へと向かった。標高三百メートルにある寺院ヘリフトで登り、そこから細く険しい山道を登って行くと、三千七百体におよぶ石仏と、五百羅漢が安置されている無漏洞があり、本堂はその奥の洞窟の中にあった。時代を溯ると、平安時代に修験者の霊地として栄え、その後天台宗、臨済宗と宗派を変えて、現在は曹洞宗になっているとのことである。

 午後より宇佐神社を訪れ、八幡大菩薩を祀る本殿を参拝する。この神社は、全国四万六百杜を数えるハ幡神社の総本社として、また、神社でありながら日本で始めて仏教を取り入れ、神仏習合を唱えたところとして有名である。朝廷の尊崇を受け、さらに源氏の氏神として勧請されて全国各地に拡まったという。

 2日目は、早朝より熊野磨崖仏を見学する。約三百メートルの坂道をあえぎあえぎ登りきると、岩壁に2体の磨崖仏の姿が見えて来た。

 近くで見ると、高さ7〜8メートルの不動明王像と大日如来像の2体の仏様が彫られており、我国最大級の古い磨崖仏と知らされて、感心した。

 そして、真本大堂と富貴寺へと移動する。

 真木大堂は、奈良時代に六郷満山65ヵ寺のーつとして栄えたお寺であったが、七百年前に火災にて焼失した。現存するのは、日本一大きな大威徳明王と不動明王、阿弥陀如来像などである。また、この寺は、鎌倉時代に蒙古来襲を受けた時、国難を救うため異国降伏の祈梼を行った。その恩賞として朝廷より下賜された菊花の紋章が、旧本堂の正面に飾られていた。

 一方、富貴寺の本堂に入ると、藤原時代末期の作といわれる阿弥陀如来の坐像と観音像、勢至菩薩の3像が安置されている。内陣の四壁には壁画が描かれており、当時の浄土仏教思想の跡がうかがえる。ただ、彩色がひどく剥落してしまっているのが残念である。

 昼食後、九州の曹洞宗総本山として栄えた泉福寺を拝登した。全員が本堂に入り、禅研所長以下、般若心経を読誦した。あいにくご住職が不在であったが、老夫人より寺の歴史、由緒について説明をしていただき、宝物殿に案内された。寺宝である『正法眼蔵聞書抄』、『宏智禅師語録』や古文書等々の貴重な資料を拝観することができた。

 3日目は、湯布院と竹田城下町を散策し、「荒城の月」を作曲した瀧廉太郎の記念館を見学する。

 最後に臼杵石仏の史跡を見学する。磨崖仏は、千年の風雨に堪え、阿弥陀仏、地蔵十王像は彩色鮮やかで彫技の冴がすばらしい。

今回の研修で感したことは、磨崖仏、石仏は平安時代に彫られた像が多く、中国と比較すると規模は小さいが、一体一体が索朴で力強く彫られており、親しみのある石仏である。全体的に磨崖仏は欠損が多く、日本の誇る遺産として永久に残したいものである。

豊前・豊後路を旅して山本 良子

研修旅行 大分 写真4

 瀬戸内海の西端にほぼ円形に突き出した大分県の国東半島、みほとけの里めぐり、是非一度訪れたい地でした。今回の研修旅行で訪ねることができることを楽しみに参加させていただきました。

 快晴の9月4日、名古屋空港から福岡空港へ。その後バスでガイドさんの名調子にのり耶馬渓へ。バスの中の皆さんの笑声に楽しい旅の予感。次に羅漢寺へ拝登し、禅海和尚が後半生をかけて堀り抜いた青の洞門を見学し、宇佐神宮へ。全国四万以上ある八幡宮の総本社。ここが六郷満山の国東半島文化の発祥地だとか。国宝の本殿で、宇佐神宮の礼拝式に従い、二礼四拍一礼でこれからの旅の無事を祈ります。そして別府温泉で1日目が終わりました。

 2日目も快晴、まず熊野磨崖仏へ。麓の胎蔵寺から坂道を登り、そこからまた百メートル、鬼が一夜で築いたという伝説の石段をやっとの思いで上がりきると、忽然と仏様が姿を現します。ここ国東に多くみられる磨崖仏の中で最大だとか。不動明王8メートル、大日如来7メートルという巨大さ。しかし、下から見上げると仏様に威圧感はなく、何かほっとする感はなぜでしょうか。その後山間に点在する寺院を拝登し、湯布院温泉でのんびりと。

 3日目もよいお天気の中、湯布院を散策し、岡城の城下町、竹田市へ。いつも何気なく歌っている荒城の月、その風景に接し、改めてそっと口ずさんでみる。その後は旅のクライマックス、臼杵の石仏群へ。山中に散在する60体余りの磨崖仏を拝観後、帰路である半島突端の大分空港へ。

 この研修旅行を終えて、国東半島に栄えた独特の仏教文化・六郷満山を今に伝える寺院を拝観し、その諸仏に、また多くの野の仏に、その土地の人々の信仰の厚さを感じました。この旅でお世話になった多くの人々に深く感謝を。

豊前・豊後路を旅して與語 敬子

研修旅行 大分 写真4

 2度目の参加となる今回は、私にとって初めて訪れる地「九州」。前回参加した「出羽三山」の険しい石段同様大変な行程と聞き、楽しみ半分・不安半分を胸に抱え出かけた旅だった。

 バスの車窓から眺めた奥耶馬渓。緑深い木々の間から垣間見えた巨岩・奇石の説明に、笑い声が車内いっぱいにあふれた。そのなかを向かった羅漢寺は、とても現代人では造ることの出来ないもののように思え、驚き感心したものだった。

 2日目には、出羽三山を思い出させる石段を上り、たどり着いた熊野の磨崖仏。人の手によるものとは思えない出来に思わず手を合わせ拝んだ。九州の曹洞宗総本山といわれる泉福寺では、住職不在のため代わりの方の説明を受けた後、開山堂(国重要文化財)など貴重な文化財に接することが出来、大変有意義な時を過ごすことが出来た。

 今回楽しみの一つであった湯布院。イメージしていた町より小さくちょっとガッカリしたが、それは、滞在時間が短く、あちらこちらを散策することが出来なかったためだと思う。湯布院は、可愛くきれいな街、またガイドブック等で若い娘に人気のある街なので、私と娘と女2人で訪れてゆっくり湯に浸かり、街のあちこちを散策してみたいなと想った。

 3日目の竹田城下町散策では、瀧廉太郎の生家へ向かう途中で味わった三笠野・荒城の月(銘菓)に舌鼓を打ち、廉太郎トンネルに流れるメロディーを聞き、小学生の音楽の授業が懐かしく思い出された。

 3日間におよぶ豊後の旅は、名泉といわれる別府・湯布院の湯に浸かって日々の疲れを癒し、楽しく過ごすことが出来た旅だった。今後もできる限り参加させていただきたいと思う。

旅行のおもいでAlbum

大分

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研修報告Training Report

平成12年度研修旅行
大分

 今回の研修は、独特の仏教文化で栄えた豊前、豊後路の石仏や磨崖仏を中心として、往時を偲ばせる史跡や石造文化を訪ねた。 1日目は、九州一の名勝で知られる耶馬渓の深山と清流が織りなす渓谷美を堪能し、静寂に包まれた宗門の古刹、羅漢寺を拝登した。 大化元年(645)にインドの僧、法道仙人がこの寺の洞窟で修行したことから開基とされ、全国羅漢寺の総本山といわれ、境内には様々な表情をした五百羅漢が安置されていた。門前から羅漢寺への旧参道には、諸国行脚の途中この地を訪れ、鎖渡しの難所で命を落とす人馬を見て、村人のための安全な道を作ることを決意した禅海和尚の墓があった。現在この隧道は青の洞門として知られ、一部に明かり取りの窓やノミの跡が残っており、禅海和尚の不屈の精神が偲ばれた。

 また全国の八幡宮の総本社、宇佐神宮を参拝したが、「八幡造」という様式の代表建造物である本宮の社殿は、荘麗な雰囲気を漂わせ、古代、中世のかぐわしい文化に触れることができた。

 2日目は、豊後磨崖仏の代表で、わが国最大・最古の石仏である熊野磨崖仏を見学した。杉木立ちの中の石段を登ると、巨大な不動明王と大日如来が姿を現し、大日如来の頭上には、修験道教理の完成を示すわが国唯一の種子曼陀羅が刻まれていた。

 次に六郷満山の本山本寺の一つであった真木大堂では、往時の隆盛こそ失われていたが、日本一大きな大威徳明王をはじめとする九体の仏像が、当時の人々の厚い信仰を今日に伝えていた。

研修旅行 大分 写真4

 九州で現在、最古の木造建築物とされる富貴寺大堂は、日本三阿弥陀堂の1つとして国宝に指定されており、堂内には平安後期の阿弥陀如来坐像など、高水準な作品が千年の歳月を今に伝えていた。

 さらに宗門の九州総本山、根本道場として隆盛を極めた面影を残す泉福寺を拝登した。無著妙融禅師の開山と伝えられ、大雄殿は室町中期から末期の唐様仏殿の様式を、また、「蹴上げの石段」と呼ばれる山門前の自然石を用いた石段は、江戸期の技法をそれぞれ伝えていた。

 重要文化財に指定されている開山堂にて妙融禅師の墓塔・木像を拝観し、続いて宝物殿では、道元禅師の孫弟子・経豪禅師筆と伝えられる『正法眼蔵聞書抄』などの貴重な典籍や古文書を拝覧することができた。

 3日目は、閑雅かつ厳粛なたたずまいで、明治時代の作曲家・瀧廉太郎による名曲「荒城の月」に着想を与えた、岡城の町並みを散策した。天守閣はなくても素晴らしい存在感を放ち続けるこの城は、静かな竹田の町を表す象徴となっていた。廉太郎が少年時代を過ごした旧宅は、記念館に改装され、不朽の名作の響きを通して彼の残した「人生は短し、芸術は長し」の言葉に想いを馳せた。

 続いて千年の風雨に堪え、ひたむきな信仰のあかしを今に残す臼杵石仏を見学した。60余体の磨崖仏は、平安から鎌倉時代にかけて彫られ、いつ、誰が、何のために彫ったか、確かな記録はないが、優れた技と美しい姿は、見る者に心のやすらぎを与えてくれる。

 今回旅した豊前、豊後は、わが国の磨崖仏の8割を有し、幽玄にして神秘な山岳風景の中で宗教的空間を作っていた。このようなすばらしい文化遺産に触れ得るのは、長き歴史を生き抜き、その伝統美を守り続けた先人たちの心の中に、常に人々の切実な添えを聞き、願いを叶え、共に泣き笑ってきた仏への深き信仰があったからだと思われる。

愛知学院大学 フッター

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