平成13年填度は、31名が参加し、9月4日から6日までの日程で、青森県を巡りました。
1日目は、まず始めにねぶたの里で大型ねぶたの引き回しを楽しんだ後、初秋のハ甲田連峰をバスで走破しました。途中、明治35年に青森県歩兵第五連隊第二大隊が雪中行軍を実施し、210名が遭難した事件の記念碑と、当時の資料を展示した資料館、鹿嗚庵を訪問しました。その後、青森県東部の七戸町で、七戸城主、南部直時の菩提寺の瑞龍寺を拝登しました。
2日目は奥入瀬渓流の散策から始まりました。好天にも恵まれ、渓谷美を堪能した後は、遊覧船で十和田湖を周遊しました。午後からは、弘前市にある津軽氏歴代の菩提寺、長勝寺を拝登しました。また、宿泊地の嶽温泉では、津軽三味線の演奏と自慢の「またぎ飯」を味わいながら、旅行のもう一つの楽しみも満喫しました。
3日目は再び弘前市に戻り、初代藩主為信を祀る革秀寺を拝登しました。その後は、弘前城をはじめ、市内に点在する江戸時代の武家屋敷や、明治時代の洋風建築などを思い思いに散策するとともに、色づき始めたりンゴ林を眺めながら帰途につきました。
9月初旬本州最北県の感慨か、心地よい秋風に吹かれたのは私だけではなかったと思う。コースにしたがって進むうち、小川のほとりにススキの穂を車窓から見たとき、時節を確認した。「ねぶたの里」は近かった。参道を思わせる大杉の並木に、今後訪ねるご寺院の景観を勝手に想像しながら、太鼓の音に誘われて会員の後を進む。
つぎに八甲田山の遭難現場に冥福を祈りながら、山を下り、一路南部の古刹瑞龍寺に急ぐ。寺域は山麓の平地にちかいが、水脈に恵まれ、せせらぎが心地よく迎えてくれる。山門の全容はしだれた木陰で一見してうかがえないが、寄る程にしっとりと優しく訪れる人を通してくれる。ただ、前に立つ石柱の大きな傷が、歴史の意味を語っているのかも知れない。本堂にすすみ、拝登のご挨拶を本尊さまにして、住持のおもてなしの茶菓を戴き、気ままに山内を参観した後、奥入瀬を目指す。
翌朝は水面を追ってバスは水源へと走り、途中からは徒歩でさまざまな川の変化と、岸辺の奇岩や草木に触れながら、初秋の散策を満喫した。昼食後、快晴の十和田湖はさざ波も立てず、周遊船は目的地へと向かう。
ひととき後には、弘前の名刹長勝寺を拝登する。総門を仰ぎ見ながら正面の本堂へ進み、所長老師の献香がなされ、ご住持の挨拶を戴き、諸堂の丁寧なご案内のもと拝観に移る。須弥壇の前面の広さが、戒壇として常時授戒にそなえるためなのか、それとも特別な山法なのか、今回の旅行中の私の課題となった。諸堂・廟所の荘厳さが重文にふさわしいことは記すまでもないが、その地域の文化を生かした技能による、四百年の寺院護持の努力が偲ばれた。なかでも北日本最古の梵鐘と桜はさまざまな歴史をくぐり抜け3世常住の鐘の嗚る「性相」を披瀝し、法を説いている姿には崇高さがあった。やや朽ちかけた鐘楼とはいえ、しっかりと鐘を支え釣るし、「空を打ちてひびきをなすをこと、撞の前後に妙声綿々たるものなり、このきはのみにかぎらんや…」と拝観した。城下町には数多く見られることだが、この街のように、長勝寺を中心として30数か寺を整然と配置した例は珍しいと言えよう。拝観を了え、岩木山麓に向かい、2日目の宿へ。
翌朝、最初に革秀寺に拝登。門前に広がる蓮池に、ところどころに朝日をうけて蕾みや開いた花が見られる。山門をくぐり、当地曹洞宗建築の典型と称される本堂を望めば、木肌葺きの重厚さが伺える。当寺も文化財豊富で、訪れる参観者は閑静な佇まいとあいまって、心ゆたかにひとときを過ごすことであろう。われわれも山内をゆったりと参観し、その後、弘前城とその周辺でバスから解放され、津軽文化にわずかながら触れて、互いに満足感を抱きながら帰名したのである。
今回の研修先である青森県へおじゃまするのは、高校の修学旅行にて通過して以来になります。新田次郎の小説を始め、高倉健・北大路欣也主演の映画の舞台にもなった八甲田を始め、秋の紅葉ツアーの一番人気として、旅行社が推薦する「十和田湖と奥入瀬渓流」等の見学を楽しみに、また、津軽洞門寺院拝登を目的に、3年ぶりに参加させていただきました。
青森空港にてバスに乗り換え、最初の目的地「ねぶたの里」へ向かいました。ここには祭り本番で使用された「ねぶた」が屋内に10数台展示されており、夜の雰囲気がかもしだされる中、今にも動きだしそうな迫力でせまってきました。
その後、バスは一路山道を駆け上がり、次の目的地の八甲田に向かいました。映画や小説で八甲田をイメージしていた私にとって、特段急な坂を上ることなく雪中行軍碑の近くまで到着したことから、少し、拍子抜けしました。ところが、天候を軽く考えすぎたことが遭難の一要因であることを思い出させるように、帰路についたバスの中で、今までの好天が嘘のように、突然霧が発生して雨が降り出し、自然の恐ろしさを改めて実感させられました。八甲田を降りるころには雨も上がり、瑞龍寺拝登を終え、奥入瀬渓流近くの温泉に宿泊しました。この宿は岡本太郎のデザイン画などが随所に見られました。
2日目は、最初の目的地である奥入瀬渓流を目指し、宿をバスにて出発しました。最初は車中より見学していましたが、途中より渓流のそばの遊歩道を散策する機会を得、車中とは一味違う景色を満喫しつつ、紅葉した風景を想像しながら歩を進めました。十和田湖を遊覧ののち、弘前市の中心街にあり、津軽藩主歴代の菩提寺である長勝寺を拝登し、岩木山のふもとの温泉にて宿泊しました。夕食時に津軽三味線の生演奏を聞く機会があり、その迫力にはただ感動するのみでした。
最終日は津軽三ヵ寺の一つに数えられる革秀寺拝登のあと、桜で有名な弘前城等を見学しました。特にこの日は好天にも恵まれ、弘前市内より岩木山がくっきりと望まれ、更に思い出深い研修旅行となりました。
今回の研修にて拝登した瑞龍寺、長勝寺、革秀寺とも、由緒深くそれぞれが歴史を感じさせました。特に革秀寺の本堂は津軽地方の曹洞宗建築の典型で、全国曹洞宗寺院の本堂のなかでも最古に属するものとの説明を伺い、維持管理を考えるとただ頭の下がる思いがすると共に、先人の苦労をあらためて感じました。
最後になりましたが、今回の研修でお世話になりました方々にお礼を申し上げるとともに、表題は、大町桂月の歌より引用した事を申し添え、終わりたいと思います。
今年も待ちに待った参禅会研修旅行を迎えました。私はこの旅行を毎年楽しみにしています。研修に参加する動機は非常に単純なもので、日本中の旅行ができるという遊び心なのですが、参加しているうちに研修の良さを覚えました。それは、個人旅行では伺えない名所や名刹に行けること、拝登して寺宝を拝見できること、行く先々で記念となる各名刹の御朱印を頂けるということです。
今年の研修は本州最北端の津軽青森の地で、岩木山・奥入瀬渓谷・十和田湖などの自然を満喫し、瑞龍寺・長勝寺・革秀寺の名刹を訪ねる旅でした。
名古屋空港を後にして、青森空港へと向かう機内では、今回の研修の話題で花が咲いていました。青森空港では、なまりの強い津軽弁のガイドさんが出迎えてくれて、旅行ムードに一段と花が咲いた思いでした。青森の想い出は、「ねぶたの里」で初めてねぶたに触れることができたり、笛に合わせて踊る「はねと」の体験ができたこと、青森のねぶた祭りの雰囲気を味わえたこと、津軽家累代の菩提寺として建立された長勝寺を拝登したことです。
長勝寺では、ご住職が流暢な津軽弁で寺院の説明をして下さいました。津軽藩の若君が桃を食べてお亡くなりになり、その原因となった細菌がミイラの中で現代まで生きていたことや、位牌堂に祀られている歴代藩主の位牌にまつわるお話や、建物の天井に描かれている龍が、どの方向から見てもにらみつけている技法のお話などを、三面白おかしく楽しませてくれました。
弘前城では、住民に大見得を切るために、天守閣の一面だけを見た目の立派な形で作り、別の面は、幕府に節制をしているように見せかけるために、お蔵の形で作ってあるという話を聞き、当時の津軽藩主の苦労を垣間見た恩いがしました。
毎回のように楽しい思い出が出来る研修旅行に、来年も参加させていただきたいという思いでいっばいです。
層雲、乱層雲、積雲と、まるで雪の銀世界のような雲のあい間をぬって、飛行機は青森空港へと舞い降りました。
最初の見学先は「ねぶたの里」。ここでは大型のねぶたが10数台収納されており、豪華で勇壮な大灯龍が並び、体験コーナーも有って、実際に数十人で引っぱったりも致しました。
その後、バスによる移動で、八甲田山雪中行軍碑へ向かいました。八甲田山雪中行軍に参加した210名が遭難し、捜索隊の目印となるために吹雪の中で仮死状態のまま立ち続けた後藤伍長。彼の功績をたたえて建てられたという銅像を目の当りにし、その忍耐、辛抱、寒さに耐え抜いた精神力の強さに感服致しました。芥川也寸志作曲の、あの「八甲田山」の映画音楽のメロディーが頭をよぎりました。
1日目の焼山温泉では外湯のお風呂へ行ったお陰で、お部屋の女性は皆、大変おもいがけない楽しいハプニングを味わうことが出来ました。山間に流れる滝も一段と広く美しく、最高の眺めでした。
2日目は奥入瀬渓流で、下流の焼山方面から、子ノ口方面へ向かって散策しました。渓流は清冽でゆったりと流れ、両岸にはコケやシダなどの植物が繁茂し、深い緑とそこにふりそそぐ淡い光が交錯して、神秘的なベールにつつまれた静寂が辺り一面をおおっていました。また、水面には木々が反映して、静かな時の流れを感じさせてくれました。
十和田湖は良いお天気でした。真っ青な空のせいか、藍色で、こんなにきれいな湖とは思ってもみない程でした。サンダル履きだった私は早速素足になりました。透き通った水辺はなんだかすい込まれそうで、きれいな石があると思わず水の中から拾いあげながら、高村光太郎の最後の作品である乙女の像に向かって歩いて行きました。
長勝寺は、普洞宗寺院33ヵ寺が同処にまとまった、全国でも稀な長勝寺構の最奥部に位置しています。庫裡は切妻造り、茅葺き屋根。手斧けずりの柱や傷ついた床板など、往時の名残が偲ばれました。中でも若君承祐の副装品の絹麻の帷子(かたびら)、筆、硯等の展示の品々を拝見し、弛い衝撃を受けました。
2日目の嶽温泉での激しい「スクイバチ」による津軽三味線の演奏。力強くてパワーをいっぱいいいただき、旅の疲れも飛んで行きました。小粒で実が揃ったとうもろこし、帆立三昧の食事、マタギ飯等、想い出の味です。
資料作り等いろいろお世話いただきました事務局の皆様、並びに参禅会の皆様、ご一緒に旅行させて頂きまして、本当に有難うございました。
本年度、拝登した洞門寺院は、青森県上北郡七戸町の瑞龍寺と、弘前市の長勝寺、革秀寺の3ヵ寺である。
祥雲山瑞龍寺は、永禄元年(1558)の開創だが、寛永11年(1634)に、七戸城主南部直時が即応明守を請して現在地に移転復興し、自らの菩提寺とした古刹である。参道わきの廟所には、直時の墓標が残されている。しかし、往時の伽藍の大半は、寛文9年(1669)と大正6年(1917)の火災で焼失した。山門と、鎮守社のみが焼失を免れ、往時のおもかげを偲ばせている。住職蒔田益宗師の歓待を受け、山内を見学させていただいた。
太平山長勝寺は享禄元年(1528)に津軽氏の先祖である大浦盛信が父光信の追善のために菊仙梵寿を開山に招き、現在の西津軽郡鯵ヶ沢町に開創したことに始まる。その後、津軽藩2代藩主信枚が、慶長15年(1610)に領内の曹洞宗寺院33ヵ寺を弘前城の裏鬼門にあたる現往地に移転させ、長勝寺をその筆頭に招えた。参道をはさんで33ヵ寺が並ぶ様子は長勝寺構と称され、国の特別史跡に指定されている。
また、同寺は津軽氏歴代の菩提寺として、歴代藩主夫妻の位牌を祀っている。境内には山門(1629建立)と本堂(1610建立)、それに藩祖為信の木像を祀る御影堂(1629建立)が一直線に立ち並び、その左右には大浦城の台所を移築した庫裡(1502建立)と、桃山時代の 花御堂を安置したかつての坐禅堂(蒼竜窟)が配されている。住職須藤祥二師の懇切な説明を受けて、各伽藍を拝観した。ただ、境内に並ぶ5棟の霊廟は、解体修理中で見学できないのが残念だった。
津軽山革秀寺は、慶長15年(1610)に、津軽藩2代藩主信枚が、父為信の追善のために長勝寺8世の格翁舜逸を招いて建立した寺である。
江戸時代には津軽3ヵ寺の1つに数えられたが、明治時代以後は衰微した。往時のおもかげを唯一残している本堂は、津軽地方の曹洞宗建築の典型であり、全国洞門寺院の本堂の中でも最古に属すると言われている。また、本堂の左側には津軽藩祖為信の霊屋が残されており、内部には宝篋印塔の墓碑が安置されている。住職三浦清道師の案内で、本堂と霊屋を見学した。
いずれの寺院も本州最奥の地に花開いた禅宗文化を今に伝えるものであった。