愛知学院大学 禅研究所 火曜参禅会

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研修旅行レポート

岩手平成18年度 岩手の禅刹と賢治・啄木・遠野物語

研修旅行 岩手 写真1

 平成18年度研修旅行は、8月28日から30日の日程で岩手県の北・中部地方を巡りました。参加者は26名でした。

 1日目は仙台空港からバスで岩手県に入り、奥州市にある三ヵ寺を訪れました。まずは、曹洞宗第三の本山とも称された曹洞宗正法寺と、かつては正法寺と肩を並べる修行道場であった曹洞宗永徳寺を拝登し、あわせて奈良時代の創建と伝えられる古刹、天台宗黒石寺を拝観しました。宿泊は花巻温泉でした。

 2日目は、花巻市にある宮沢賢治記念館を見学した後、盛岡市の曹洞宗報恩寺を拝登し、岩手県立博物館を見学しました。また、昼食で「わんこそば」を堪能した後に、玉山村で石川啄木が生まれた曹洞宗常光寺と、彼が育った曹洞宗宝徳寺を拝登し、石川啄木記念館を見学しました。宿泊は繋温泉でした。

 3日目は、遠野市を訪れ、柳田国男の『遠野物語』に描かれている曲り屋や五百羅漢、卯子酉様、カッパ淵を散策するとともに、遠野ふるさと村や伝承園で『遠野物語』の世界を体験しました。また、真言宗福泉寺を拝観した後、再び仙台空港へ戻り、空路名古屋に帰りました。

久し振りの研修旅行作野 誠

研修旅行 岩手 写真2

 思うところがあって、久し振りに参禅会研修旅行に参加しました。3回目です。前回は、平成6年7月末に、私の郷里の山陰方面を巡った研修でしたので、12年前になります。初めての研修旅行参加は、昭和50年ごろの奈良方面の研修でしたので、30年位前になるでしょうか。

 研修1日目の午後、曹洞宗第三の本山といわれ、東北地方における曹洞宗の中心的存在であった奥州市の正法寺の拝登をしました。正法寺は、平成18年8月に「平成の大改修」を終えたばかりで、日本一の茅葺き屋根といわれる法堂、庫裏、宝物庫、惣門等を見学しました。次に、天台宗の黒石寺を訪れた後、永徳寺の拝登をしました。金ヶ崎町にある永徳寺は、東北地方の中本山として正法寺に匹敵する名刹であったということでした。

 研修2日目は、主に、宮沢賢治と石川啄木の足跡を訪ねる研修でした。報恩寺、宝徳寺、常光寺の拝登もありました。研修3日目は、遠野の町を散策し、真言宗の福泉寺を見学しました。

 この研修旅行には、元同僚や旧知の先生方も参加されており、学生時代の懐かしい昔話をしました。また、開放講座の受講者の方々が参加されていました。かつて教務課に勤務していた時に、開放講座の事務を担当していたので、感慨深いものがありました。

 私自身、長年にわたり図書館に勤務しているため、図書館関係の仕事をされている方々ともお話ができ、大変有意義な時を過ごすことができました。今回の研修で、拝登した寺院の寺宝を拝見したり博物館や資料館を訪ねることで、「文字」で記録された資料の組織的な収集整理と効果的な保存の重要性を特に強く感じました。

岩手のお寺・賢治・民俗学の聖地を訪ねて川瀬 寛

研修旅行 岩手 写真3

 禅研究所の研修旅行に、一般から参加させていただきました。私は、開放講座の「仏典講読」を受講中で、参禅会には昨年4月から参加しています。

 2泊3日の研修で、バスでの移動でしたが、行程を思い出すのに苦労がいるほど、たくさんの場所に連れていっていただきました。この旅行であらためて、宮沢賢治や「遠野物語」を考え直してみる機会をいただいたようにおもいます。また岩手は曹洞宗が盛んな地域だそうです。今回、七ヵ寺を拝登したことは、今までにない経験で、私にとって新鮮でありました。

 1日目は正法寺、黒石寺、永徳寺の三ヵ寺の拝登でした。なかでも正法寺はみちのく曹洞の古刹であり、茅葺日本一の本堂をもつお寺でした。改修されて真新しい本堂を拝登させていただきました。今まではこのような経験がありませんので、ありがたいことだと感謝しております。この日は花巻温泉に宿泊しました。

 2日目は花巻の宮沢賢治記念館と盛岡の報恩寺が強く印象に残っています。

 今回の旅で、賢治の法華経信仰の強さを感じました。「アメニモマケズ」の「寒サノ夏ハオロオ口歩キ」、こんな「飢渇の風土」の中で、法華経信仰をつらぬいた賢治の姿はあまりマスコミでは語られていませんでした。

 次に、盛岡市の報恩寺は南部領内の曹洞宗の総録所だったそうです。坐禅堂を見せていただきましたが、歴史をたたえた坐禅道場でした。また羅漢堂があり、華厳殿になっているそうです。これも大変珍しい思いで拝観いたしました。この夜は盛岡近くの繋温泉の宿泊でした。

 3日目は民俗学の聖地「遠野」を訪れました。しかし、期待が大きかっただけに、バスで遠野市に入った時「何か違う」という失望感が先に立ちました。けれどもオシラサマ、河童、遠野ふるさと村、伝承館等を見学した後、よくぞ「遠野物語」でこれだけの町おこしをされたことと、感服したしだいです。

 「オシラサマ」は不思議な神さまです。家の守り神、蚕の神様、目の神さま、子供の神さま、狩猟の神さま、なににでもご利益のある神さまだそうです。

 最後に、このような機会を与えていただきました禅研究所の皆様に厚くお礼を申上げます。

岩手の古刹を訪ねて星 けい子

研修旅行 岩手 写真4

 定年退職後、たまたま愛知高校の近くに住むことになり、図書館ボランティアに参加しました。これが縁で、月1回の早朝参禅会に出かけています。大学の参禅会研修旅行には昨年に続いて2回目となりました。

 今まで、およそ禅とは無縁でした。私にとって、どの寺も謎の場所。準備していただいた資料に目を通し、これから訪ねる寺に思いをめぐらして出発しました。

 最初に訪ねたのは、水沢の山間の古刹・正法寺。かつては曹洞第三の寺。本堂・庫裡惣門が重要文化財です。平成12年からの改修工事が完了。引越作業中でした。茅葺き大屋根は端正で美しく風格がありました。

 次は黒石寺。東北地方で最も古い時代に開山された寺。重要文化財の薬師如来坐像などを拝観しました。たび重なる火災から仏像は守られていましたが、今は檀家が少なく寺の維持管理が困難だという説明でした。次の永徳寺は今は訪れる人も少なくなり、参道は苔むしてひなびた風情でした。

 翌日は盛岡の寺町の報恩寺。立派な五百羅漢は、享保年間に9人の仏師により、京都で造られて当地に搬送されたそうです。豪華な山門などは、さすが南部家の菩提寺です。今は地域の参禅道場にもなっていました。

 宮沢賢治の花巻、石川啄木の渋民。文学の感性を育んだ山・川・田園風景の中をバスは走り、ゆかりの寺や記念館を訪ねました。

 最終日は深い緑に包まれた盆地、遠野物語の舞台に入りました。ここの五百羅漢は凶作の犠牲者を供養するために、山の斜面の自然石の一つ一つに刻んでありました。次は福泉寺。観音堂までの長い参道を息を切らして登り、一木造りの大観音に合掌。これまでの旅の無事に感謝しました。訪れたどの寺も地域の人の心のささえとして、長い歴史の時間を積み重ね、個性的で魅力的でした。

旅行のおもいでAlbum

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研修報告Training Report

平成18年度研修旅行
岩手

 本年度は3つの日的のもと、岩手県中・北部を訪れた。第一の目的は洞門寺院の拝登とこの地の仏教文化の研修、第二は仏教に関わりの深い2人の文学者の故地の訪問、第三は民俗学の「聖地」として知られる遠野市の散策である。

 拝登した洞門寺院は五ヵ寺である。奥州市の大梅拈華山円通正法寺、通称「奥の正法寺」は茅葺き屋根日本一の本堂で知られる。貞和4年(1348)、無底良韶によって開創された後、観応元年(1350)には北朝方の崇光天皇から「日本曹洞宗第三の本寺」の綸旨を賜り、東北地方における洞門の中心寺院となった。かつては一二〇〇ヵ寺の末寺を擁したと言うが、江戸幕府の政策で「第三の本寺」の格式は失われ、現在は總持寺の直末寺院になっている。

 同寺では、平成12年度から解体修理が行われていたが、私達が拝登した日はその工事の終了直後で、仏像や仏具の搬入日にあたっていた。そのため、仏具類を搬入する前の伽藍を見学し、仏像等は仮の安置所や宝物庫で拝観した。

 金ヶ崎町の報恩山永徳寺は延文2年(1356)、無底良韶の弟(おとうと)弟子の道叟道愛によって開かれた。応安5年(1372)には後円融天皇の綸旨によって、正法寺と並ぶ出世道場としての地位を与えられ、最盛期には四〇八ヵ寺の末寺を擁したという。かつては七堂伽藍が建ち並んでいたというが、今日、参道は草むして、法堂や仏殿の姿は栄枯盛衰の悲哀を覚えさせる。ご住職の復興にかける情熱に期待せずにはいられない。

 盛岡市の瑞鳩峰山報恩寺は、応永元年(1394)、南部守行によって三戸に創建された。その後、慶長元年(1596)に久山舜桂が再興し、同6年(1601)に現在地に移された。江戸時代には南部藩の洞門寺院の総録として、盛岡五山の1つに数えられた。威容を誇る山門や本堂は昭和時代の再建だが、土蔵造の羅漢堂は享保19年(1734)の築造である。堂内中央には華厳世界を象徴する毘盧舎那仏を中心に、善財童子と竜女像、十大弟子像が祀られており、壁面には五百羅漢が並んでいる。ご住職の歓待を受け、山内を拝観した。

 玉山村の日照山常光寺と万年山宝徳寺は、いずれも17世紀半ばに報恩寺の住職によって開かれた。常光寺は石川啄木の父、一禎が22世を務めた寺で、村の中心から少しはずれたところにある。再建された庫裏の一角に、啄木生誕の部屋が復元されているが、一禎の住職当時、この寺は経済的に困窮していたという。

 一禎は、啄木が1歳の時に宝徳寺の15世として転住した。平成12年に再建された本堂は、110年前に一禎が建てた本堂とほぼ同じ大きさのものだといい、二間続きの啄木の部屋も復元されている。また、「啄木」の号は境内の木をつつく啄木鳥(きつつき)に想を得たものである。晩年は貧困にあえいだ啄木一家も、わけあって一禎がこの寺を追われるまでは、比較的不自由のない生活だった様子が窺われた。また、同寺に隣接する石川啄木記念館で、私達は彼の文学的軌跡に触れることができた。

 一方、花巻市の宮沢賢治記念館では、賢治の多彩な活動の足跡を見学した。数々の童話や「雨ニモマケズ」の作者として知られる彼が、農学や鉱物学、音楽、美術にも深い造詣を示す一方で、青年期には参禅のために報恩寺へ通い、後年は熱烈な法華経信者だったことはあまり知られていない。彼の多彩な活動が、菩薩行の実践とも言えるものだったことを、私達はこの研修を通して学ぶことになった。

 これ以外にも報告すべきことは多くあるが、ここでは二つだけ触れておきたい。

 一つは、奥州市の妙見山黒石寺である。同寺は天平元年(729)に行基が開創し、嘉祥2年(849)に慈覚大師が再興したと言われる天台宗の古刹である。明治14年(1881)の火災で全山を焼失し、現在は再建された本堂と庫裏が残るのみだが、堂内には平安時代の仏像が20体程残されており、平安仏教の香りを今に伝えていた。

 もう一つは、柳田国男が『遠野物語』で紹介した遠野市の探訪である。ここでは、特に人と馬が同居していた曲り屋と、そこでの暮らしが生んだ「おしらさま」の信仰が印象的だった。馬の神様でありながら、農業や蚕の神様でもある「おしらさま」は、一本の木の棒に、毎年、家族の幸せを祈って布を1枚ずつ被せたものである。その布が200枚近くも重ねられた姿は、人々の素朴で熱心な信仰を物語るものであった。(文)

研修旅行 岩手 写真3

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