平成19年度研修旅行は、8月27日から9月1日の日程でカンボジアとベトナムを訪れました。参加者は38名でした。
初日は名古屋から空路カンボジアへ。
2日目には午前中にアンコール・トムを訪れ、巨大な観音菩薩の顔が立ち並ぶバイヨン寺院を見学した後、巨木に覆われたタ・プローム寺院を見学。午後にはアンコール・ワットを見学した後、かつて火葬の儀式が行われたというプレ・ループ寺院を訪れました。
3日目の午前中は「東洋のモナリザ」のレリーフで知られるバンテアイ・スレイ寺院を見学。午後には現代の上座仏教寺院のワット・ボーを拝登した後、アンコール王朝の原点と言われるロリュオス遺跡群を見学。夕食時にはアプサラ・ダンスを鑑賞しました。
4日目には、湖上生活が行われているトンレサップ湖のクルーズを楽しんだ後、ベトナムへ移動し、ホーチミン市内にある現代の大乗仏教寺院、永厳寺と満行禅院を拝登しました。
5日目にはホーチミン市からバスで約2時間、常照禅院と尼僧寺院の圓照寺を拝登しました。その後、ホーチミン市に戻って統一会堂を見学後、深夜の飛行機で帰国の途につきました。
禅研究所の参禅会研修旅行でカンボジア、ベトナム旅行に参加した。アンコール遺跡巡りが主であったが、私はカンボジアおよびベトナムで仏教寺院に行くことができるのが魅力で参加した。カンボジアでもベトナムでも訪ねた。
とくにベトナムでは、ホーチミン市内で、總持寺とつながるヴィンギエム(永厳寺)、ティエンヴィンヴァンハン(満行禅院)を訪れ、そして、本学で学位を取った僧侶が迎えてくれた郊外の常照禅院と尼寺の圓照寺を訪ねた。ベトナムの仏教徒がお経を唱え、こちらの参加者が唱える。それぞれの読み方で唱える。日本語音で唱えているところに、現地の人が手を合わせる。私には理解できないながら、「般若波羅蜜多」とか「色即是空 空即是色」などの言葉を聞き取ることはできた。まさに仏教が生活に生きている、国際的に繋がっていることを実感した。
仏教僧たちは、インドで、中国で、日本で、同じ仏典を研究し、行じる。ベトナムではゴ大統領の時代の弾圧を越えて、70年代から現在へと繋がっている、と聞いた。改革・開放とは言え、社会主義国における宗教活動にはいくつもの制約があるであろう。尼僧の出身階層は、農村だけではなく、都市の中流も見られ、また大学卒の企業勤めから転身してきた女性もいる。畑仕事等をこなし、修行に打ち込む自給自足であるが、幼児教育や社会福祉等にも携わっている由。日本の若い女性たちの中に企業勤めから仏門を目指す者が増えていると聞くが、都市化による人間疎外状況は彼の地でも見られるようである。
本学には、東南アジアから来て仏教を学ぶ者が見られ、また、学生のボランティア活動も盛んである。しかし、曹洞宗の大学として、もともと曹洞宗ボランティア会として出発したバンコクを中心に活動するシャンティ・ボランティア会(SVA)に積極的に参加するほか、東南アジアからの仏教留学生を多く受け入れ、仏教を梃てこにした国際交流をひとつの柱として強力に推進することが望まれる。本学禅研究所の使命であろう。
カンボジアとベトナムの5ヶ寺を訪ねました。
かつてのカンボジアでは、ポル・ポト政権により、宗教活動の禁止など、社会体系を無視した政策が断行されました。このためにカンボジア国内は混乱し、伝統的な社会システムは破壊されました。しかし、私たちが訪れた僧院、ワット・ボーのフ・ペン院長代理は、「禁止されていた間も、仏教はみんなの心の中にありました。私たちは、良いことをするように、悪いことをしないようにという釈迦のアドバイスを伝えています」と話してくれました。また、この僧院では現在99人が修行に励んでいるとのことで、毎日托鉢をしたり、近くの人が持ってきてくれる食事をいただいて、日々修行しているとのことでした。この僧院の本堂は、いつ建てられたものかはわからないが、町の中では一番古い建物だとのことです。
ベトナムでは、戦争で破壊された寺院が立派に再興されていました。
永厳寺(竹林派)は、日本留学から帰国した僧が開いた寺院です。ベトナムの伝統的な寺院建築と、最新の技術を駆使して建てられた比較的新しい造りで、南部では最大規模の寺院とのことです。また、鐘楼の「平和の鐘」は日本の寺から寄贈されたものです。応対してくれたジャッキー副寮長は、「教育や福祉を中心とした中級専門学校として、現在、同寺では1500人の僧が学んでいますが、僧侶は他の寺院にも勉強に出掛けます。現在は、仏教大学の設立を目指しています」と語ってくれました。
満行禅院(竹林派)は、ベトナム戦争時には近くに米軍基地があり、ジャングルの中の戦場地域であったため、壊滅状態だったとのことです。戦後、1年位で復興されたといい、現在も禅宗寺院として、坐禅を中心とした修行が行われているということでした。
常照禅院は、今回私たちに同行してくれた愛知学院大学の卒業生のホアン・トロン・ソー師が修行された寺院です。禅宗に属する新しい寺で、竹林安房とも呼ばれています。院長の日光禅師によれば、現在約250人の修行僧がいるそうです。毎日、仏教理論のほか、中国や日本の禅語録を勉強しながら、畑作務を行っているということで、日本の曹洞宗に近いところがあるように思いました。
圓照寺は、ベトナム唯一の尼僧院で、禅宗に属しています。院長の釈女如徳禅尼によれば、37年前に10人の尼僧が林の中に入り、畑作をやりながら修行を始めたということです。現在は、130人の修行者が信者の応援を得ながら自給自足の生活を送り、日本の曹洞宗にならった修行を行っているとのことです。院長は私たちに、「毎日一生懸命に自らを顧みて、世間に出ても、和をもって活動できるように願っています」というはっきりした信念を語られました。
また、この僧院では、塀に囲まれた場所にある「禅室」というエリアで、10人の修行僧が不他出の修行中でした。これは、一人ひとりが個々の建物(禅室)で生活しながら、49日間、一歩も外に出てはならず、他の修行僧とも会ったり話をしたりしてはいけないという修行です。日本語のできる尼僧さんに、「ここは立入り禁止ですね」と聞きますと、「禅室は、修行僧以外の人は立ち入りできませんが、今日は院長先生から案内するようにと言われました」とのことで、特別に見学させてもらいました。
今回の研修旅行を通じて、私たちは復興著しい禅林を訪れ、立派に再建された伽藍の中で、金色に輝く本尊様を拝することができました。おかげで、これまで抱いていた「荒廃した禅林」というイメージが根底から払拭されて、「よかったな、仏様は私たちを導いて下さっている」と感じ、心から感激いたしました。同時に、それぞれの修行道場において、修行僧が僧院長の指導の下で、確固たる信念をもちながら日々研鑽修行している姿を拝見し、私は本学の宗教学科生として修行の大切さを自覚させていただきました。研修旅行を企画されました禅研究所の先生方に感謝するとともに、この旅行で得たものを、生涯忘れることなく心に刻み込んでおこうと決意しています。
馴染みの顔が集まってベトナムのホーチミン空港へ飛び立ったのは地蔵盆を過ぎた8月の27日だった。禅研究所参禅会恒例の研修旅行が東南アジアを目指したのは今度で3回目ということになる。目的地は2地域である。先ずはカンボジアのシェムリアップ。世界遺産のアンコールワット、アンコールトムなどを訪れる。次いでベトナムのホーチミン市内。当地の仏教史跡や寺院を訪ねるのである。
さて、アンコールワット周辺の遺跡群の威容は大層なもので、どこもすばらしいとしか言いようが無かったが、タ・プロムとバンテアイ・スレイには少し思い入れがあった。前者は2001年に映画化されてヒットした『トゥームレイダー』のロケ地であったことだ。遺跡の其処此処にガジュマルの大樹が浸蝕している。主人公のララ(アンジョリーナ・ジョリー)が遺跡を前にするシーンには何処が使われたのだろうなどと思いに耽るうちに撤退の時間となった。後者の遺跡には「東洋のモナリザ」と称される女神像がある。60年代にフランスの文化相を務めた作家のアンドレ・マルローが盗掘未遂で拘束されたイワク付きの姿を眺めつつ、彼を魅了した微笑みの秘密を想い、生憎の雨の中で暫しその場所の空気感を堪能した。
ホーチミン市は自分にとって「ミス・サイゴン」の記憶を甦らせる街である。ところが、現在の市内には戦禍の跡形が殆ど見られない。金星紅旗は、むしろ振興の息吹の象徴だと強く感じた。市内の寺院は戦後の建立が多く、本尊の光背がネオン管の電飾になっていたりするのも面白い。ここでは拝登した二つの禅宗寺院の印象を記すことに止める。
「常照禅院」は同奈省隆成県にある。ベトナム禅の無言通派の流れを汲み、13世紀の陳朝に興った竹林派に属するこの寺は1974年の創建で、今日250名程の修行僧がいる。南国の明るい日差しに映えた堂宇・伽藍は大らかな風情で親しみを感じる。また、同県の「圓照寺」は1975年創建の尼僧の寺で、当初10人程だった修行者は現在130名程に膨れ上がっている。この寺では「禅室」という施設を見学できた。これは修行僧が個別に入ることの出来る小さなバンガローのような建物群で、わが国の禅宗寺院では見ない施設ではなかろうか。
カンボジアとベトナムは長い抗争の歴史を持つ。民族構成も文化も対照的である。短期間であったが、双方と一時に触れられる好機を経験できたことは幸いであった。
本年度の研修旅行には、かつてのアンコール王国の宗教遺跡の見学と、現在のカンボジアとベトナムにおける仏教寺院の拝登という2つの目的があった。例年、この欄では主に拝登寺院の報告を行っているが、今年は上記3氏の旅行記に当該寺院の詳細な報告が含まれているため、ここでは主にアンコール遺跡群について記すことにする。
アンコール王国では、王が即位する度に、新たな「現人神」の誕生の象徴として大寺院が建立されたという。しかし、それらの寺院の多くはアンコール王国の崩壊後、数百年にわたって密林の中で眠り続けた。巨木に覆われたタ・プローム寺院は、その自然の力を感じさせるものだった。
赤砂岩で造られたバンテアイ・スレイ寺院は、「女の砦」の名に相応しいこじんまりしたヒンドゥー寺院である。しかし、壁面には「クメールの微笑」をたたえる女神像や、ヒンドゥー神話の豊饒な世界が緻密な彫刻で一面に描き出されており、その美しさは実に魅力的である。
アンコール・トムの中心に位置するのが仏教寺院のバイヨンである。須弥山を模したという中心部には、4面に観音菩薩の顔が彫られた塔が立ち並んでいる。実際には国内の権力闘争や、隣国のシャムとの戦争が相次いだ中で、平和と現世利益を希求したであろう国王と人々の祈りが伝わってくるかのようである
アンコール・ワットの壮麗さは改めて指摘するまでもない。元来ヒンドゥー寺院として建造されながら、後に上座仏教の聖地になったというこの場所で、私達は急勾配の階段を伝って「神々の座」である中央祠堂に登った。また、第1回廊を取り巻く有名なレリーフは「天国と地獄」と「乳海撹拌」の場面を見学した。
「乳海撹拌」とは神々と阿修羅達が乳海を撹拌し、不老不死の薬を得たというヒンドゥー教の神話である。混沌の中から秩序が生まれるというこの神話は、まさに今回私達が訪れたカンボジアとベトナムの現代史と重なり合う。
わずか数十年前に苛烈な混沌を経験した両国だが、私達が巡った地域はどこも復興が進み、表面的にはその名残は見られなかった。しかし、ベトナム人ガイドのベト氏が別れ際に涙ながらに語った言葉を、私達は忘れてはならないだろう。たとえ何があろうとも、戦争を繰り返してはならないということを。(文)