平成20年度の研修旅行は、9月8日から10日の日程で富山県を訪れました。参加者は34名でした。
初日は開通後間もない東海北陸自動車道をバスで北上し、途中、世界遺産の白川郷を散策しました。富山県に入ってから、まずは南砺市の真宗大谷派井波別院瑞泉寺を拝観、あわせて井波彫刻総合会館で伝統工芸の欄間彫刻などを見学しました。その後、中新川郡の眼目山立りゅう山せん寺じを拝登し、庄川温泉に投宿しました。
二日目は高岡市内で高岡山瑞龍寺を拝登するとともに、高岡大仏を拝観しました。また、老おい子ご製作所で鋳物製造を見学した後、同市内の臨済宗大本山の一つ、摩頂山国泰寺を拝観しました。
三日目は立山黒部アルペンルートを縦貫しました。まずはバスで室むろどう堂まで上り、ミクリガ池の周辺を散策。その後、トロリーバスで大観峰へ向かい、さらにロープウェイとケーブルカーを乗り継いで黒部湖へ。遊覧船上から黒部峡谷を堪能し、また、黒部ダムを見学した後、再びトロリーバスで長野県側の扇沢まで下り、バスで名古屋へ戻りました。
私にとって非常に有意義な旅行でした。
私事になりますが、大学に入学したころ、もう四〇年以上も前になりますが、古美術研究会というクラブに入っておりました。それ以来、趣味の一部でしょうが、最近までも、関西の古社寺を歩いておりました。遠くに足を伸ばしたこともあります。そのこともあって、歩くのは嫌いではなく、また初歩的ですが、仏さまや古建築についての基礎的な知識はもっております。名古屋に来てからも、今はただ慣れることに只管集中せざるを得ず、まだその機会もないのですが、落ち着けば、来年からでもこのあたりを散策しようと考えております。その矢先、富山の古社寺を巡るチャンスがあると知らされて、早速、申し込みをさせていただきました。
しかし、あれこれとゴタクを並べるのは野暮というべきで、私の場合はお寺の境内に入って、その雰囲気を嗅ぐのが大好きで、私にとってはセラピーに近いものでしょう。あの雰囲気はそれを十分に叶えることができたようです。参加してよかったと思います。
できれば、というか、その願いは叶えられそうにはないですが、お寺の縁側にでも座り込んで、日なが、ぼやーっとしていたいものです。至福のときでしょう。しかし、それよりも、しばらくは日々忙殺されているほうが、ホントは幸せというべきなのでしょうが。この際、お寺の中に入り、あるいは、晴れた空のもとで境内をみわたす機会を得たことで、そういう気分を一瞬でも味わうことができたように思います。
晴れていたということでは、あの立山の晴れた空は素晴らしかったですね。高校時代だったか、息子も修学旅行で行ったのですが、残念ながら、雨がひどくて何も見えなかったとか。お前、親孝行がまだ不足しているな、と言っておきました。
来年も、ご一緒させていただきたいと思っております。
今回は例年の8月末ではなく、9月の研修旅行でした。富山は「東海・北陸地方」と一括りで呼んでいるため、「身近な」イメージがありました。しかし日程表を見て、知らない富山を体験できるのでは、という期待を胸に参加しました。
一日目は白川郷で昼食を取り、富山県へ。井波は彫刻の町のようで、瑞泉寺にも素晴らしい彫刻がたくさんありました。山門の龍の彫刻や本堂のひさしの彫刻は迫力があり、太子堂にある彫刻は繊細なものでした。勅願寺であるため、菊の紋が付いた勅使門がありました。参道にも彫刻のお店がたくさんあり、若い方が汗を流して作業をされていました。
次に訪れた立山寺はかつて曹洞宗一派の本山格として栄えましたが、上杉氏の攻撃や二度にわたる火災によって一切の建造物や寺宝を失い、その後昭和54年に近代的な堂塔伽藍がつくられたようです。今は参道に残る立派な栂とが並木が昔の繁栄を偲ばせていました。
二日目に訪れた瑞龍寺は、加賀藩二代藩主前田利長の菩提を弔うため三代藩主利常により建立されたお寺で、芝生が美しく、雄大な建物を引き立てていました。仏殿の屋根は鉛で葺いてあり、戦になった時に備えているとのことでした。また、回廊がすっきりとしてモダンな感じさえしました。
高岡大仏は奈良・鎌倉に続く日本三大仏ということです。街の中に溶け込んだ大仏様で、優しい、穏やかなお顔でした。
最終日三日目は立山黒部アルペンルートです。室堂からトロリーバス〜ロープーウェイ〜ケーブルカーと乗り継ぎ、黒部湖を遊覧し、黒部ダム見学。トローリーバスで扇沢へ抜けるルートです。高校生の時に訪れた際は寒くて、ダムを見ても「大きいな」くらいの感想しかありませんでした。今回どう感じるのか楽しみでした。絶好のお天気で、山々の近いこと、大きいこと。人跡未踏の地であった立山を、こんなに気軽に訪れることができることは幸せだと感じました。
最後になりましたが、研修旅行に参加させて頂き、所長先生をはじめ、事務局の先生方には大変お世話になりました。ありがとうございました。
退職して何を生きがいにするかと考えていました。その時、愛知学院大学の学生さんから開放講座があることを聞き、受講することにしました。毎回新しい事を学ぶことができ、充実した日々を送っています。
今回、禅研究所参禅会の研修旅行へのお誘いがあり、富山県のお寺を参拝し、研修を深めるために参加させていただきました。
夏の名残りの九月初め、富山まで新しく開通した東海北陸自動車道で、一路、世界遺産である白川郷へ向かいました。平家の落人伝説があるところです。家の作り方は合掌造りといい、人の手を合わせた形です。雪深い里で、雪下ろしのことを考えた建て方ですが、当時の人々の宗教心も影響しているのではないかと思いました。
高速道の長いトンネルを抜け、富山県へ入った後、まず後小松天皇の勅願所の真宗大谷派井波別院瑞泉寺を参拝しました。素晴らしい建築物で、山門・太子堂・勅使門の彫り物の豪華さは井波彫刻の真髄を見事に表すものでした。別院の由来を読んでいて、説明文の中に開放講座などで諸先生から教えて頂いた用語があり、大変うれしく、よく理解することができました。
次に曹洞宗眼目山立山寺を参拝しました。山里の参道には両側に樹齢四百年と言われる栂とがの木が並び、寺の風格を醸し出しています。立山権現と龍神の神霊によって開創された寺であるということにも興味を覚えました。何回も火災に遭って建て替えられていますが、左甚五郎作と伝えられる山門の格子の構造は素晴らしい作りでした。
二日目には国宝曹洞宗高岡山瑞龍寺を参拝しました。加賀藩二代藩主前田利長の菩提を弔うために、三代藩主利常が建立した寺です。伽藍は、鎌倉時代に我が国にもたらされた中国寺院を模して建立されたもので、総門・山門・仏殿・法堂を一直線に配列し、左右に禅堂と大庫裏を置き、加えて四周を回廊で結ぶ形で作られています。以前教えていただいた禅宗風の伽藍配置を理解できました。国宝や重要文化財も多く、当時の殿様の財力に驚きました。
次に日本三大仏の一つ、高岡大仏を参拝しました。はじめは木造でしたが、幾多の苦難を超えて、昭和七年に高岡の産業である鋳物技術で現在のお姿になったとのことです。また、大円輪の光背をもつ大仏は珍しく、手印は阿弥陀定印で上品上生だそうです。堂内にはかつての木造の頃の仏頭も安置されていましたが、やさしく、そして厳しいお顔で私たちを見つめられていました。
また、お寺の梵鐘を制作している老子製作所を見学しました。広島の平和の鐘も作られたとのことです。当日もいろいろな鋳造品を作っていましたが、台湾へ送られた高さ四・五メートルの鐘は本当に大きくて、技術の高さがうかがえました。
次に、開創から七百年の歴史をもち、今も坐禅の修業道場として知られている臨済宗国泰寺派の大本山を参拝しました。山里の修行道場という趣きですが、明治の廃仏毀釈で荒れ果てていたものを、山岡鉄舟の尽力によって諸堂の再建が果たされたとのことです。本堂の前の月泉庭も、42トンの巨石を配した素晴らしいものです。パンフレットによれば、開山忌の際に虚無僧が集まって、尺八の合奏が行われるとのことですが、是非聞いてみたいと思いました。
最終日は立山黒部アルペンルートを、観光バス・トロリーバス・立山ロープウエイ・ケーブルカーと乗り継いで、黒部ダムまで行きました。抜群の快晴で、室堂の景色の素晴らしいこと。剣岳も見えて、楽しい散策ができました。暗い立山のお腹の中をトロリーバスで抜けて行き、大観峰から雄大な山々を望むことができました。黒部平から見た黒部湖、後立山連峰の急峻さや、黒部湖のボートから見上げる山々の景色も、普段味わえないものでした。
最後に、このような機会を与えてくださいました禅研究所の皆様にお礼申し上げます。
本年度の研修旅行には二つ の目的があった。一つは、十四世紀に礎が築かれ、江戸時代には加賀百万石のもとで栄えた禅宗と真宗の信仰を探ること。もう一つは、黒部峡谷の自然と黒部ダムの威容を味わうことであった。本欄では、特にその中の前者について記すことにしたい。
今回拝登した曹洞宗寺院は高岡市の高岡山瑞龍寺と中新川郡の眼目山立山寺である。 瑞龍寺は、加賀二代藩主前田利長が、高岡城を築く際に富山から法円寺を招き、広山恕陽を開山としたことに始まる。利長の没後、その法名にちなんで「瑞龍寺」と改称され、さらに彼の三三回忌にあたる正保三年(1646)、三代藩主利常が、約20年に及ぶ大改造に着手した。
同寺の伽藍は、総門、山門、仏殿、法堂が一直線に並び、東側に庫裏と浴室(現存せず)、西側に禅堂と浄頭(現存せず)を配し、周囲を回廊で結ぶ曹洞宗伽藍の典型である。平成九年、創建時の伽藍復元を兼ねた大修理が完了し、全体が重要文化財に指定された。
中でも、国宝の山門、仏殿、法堂は豪壮にして華麗である。解体修理によって、山門は和算による綿密な設計がなされていたことが明らかになった。仏殿は他に例のない鉛瓦の屋根と、柱を減らした独特の内部構造を誇っている。法堂の正面には前田利長の位牌が祀られている。当日は、住職の四津谷道昭師の案内で諸堂を拝観した。
立山寺は建徳元年(1370)、總持寺二世の峨山紹碩禅師の高弟、大徹宗令によって開かれた。開基は立山権現と北海大龍女。寺伝によれば、この地で坐禅をしていた大徹禅師の前に立山権現が現れて、禅師に帰依するとともに寺院の建立を約束し、十八善神が伽藍を造営したという。
その後、同寺は富山県以北の曹洞宗の中心として教線を拡大した。しかし、度重なる火災で伽藍と宝物を消失。現在の本堂は昭和四九年の再建である。ただし、開山堂に祀られている大徹禅師の木像は、禅師の生前に作られたものだと言われており、その面影をよく伝えている。また、参道には、樹齢約四百年の栂とがの並木が数百メートルにわたって続いており、歴史の重みを感じさせる。私達は住職の眞田光道師の歓待を受けて山内を見学した。
この他、今回の旅行では曹洞宗以外の二カ寺を訪れた。
高岡市の摩頂山国泰寺は臨済宗国泰寺派の大本山で、北陸における同宗唯一の本山である。開山は慧日聖光国師。嘉元2年(1304)に開かれ、当初は「東松寺」と号したが、後醍醐天皇の勅願所となって「国泰寺」と改めた。その後、盛衰を繰り返したが、明治時代の廃仏毀釈の後、山岡鉄舟の尽力で復興された。現在は虚無僧妙音会の本山としても知られている。同寺役寮の山田栄行師の案内で、本堂内と境内を拝観した。
一方、南砺市の真宗大谷派井波別院瑞泉寺は、明徳元年(1390)、本願寺五世綽如上人によって開かれた。浄土真宗の北陸布教の拠点であり、後小松天皇の勅願所でもある。残念ながら、文化6年(1809)建立の山門を除き、他の堂宇は明治十二年(1879)の火災以後の再建である。しかし、いずれも真宗の中心寺院にふさわしく壮大である。また、各建築に施された彫刻もすばらしい。参道には、その技術を受け継ぐ木彫工芸の店が並んでいて、文化の継承の様子を見ることができた。
北陸の曹洞宗、臨済宗、真宗の中心寺院を巡るとともに、高岡市内では仏像や仏具に欠かせない鋳物の製作も見学し、かの地の仏教文化に触れた旅行であった。(文)