愛知学院大学 禅研究所 火曜参禅会

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研修旅行レポート

熊本・宮崎平成25年度 肥後の禅刹と神話のふるさと

研修旅行 熊本・宮崎 写真1

平成25年度の研修旅行は、8月26日から28日の日程で熊本県と宮崎県を訪れました。参加者は30名でした。

初日は県営名古屋空港から熊本空港へ向かい、到着後、寒巌義尹禅師が開創した宇土市の三日山(さんちざん)如来寺と熊本市の大梁山大慈寺を拝登しました。その後、熊本城と水前寺成趣園(じょうじゅえん)を見学し、同市内に宿泊しました。

2日目は、宮本武蔵ゆかりの宝華山雲巌寺を拝登するとともに、熊本県立美術館で特別展「義尹と大智、肥後の禅宗」を見学しました。その後、阿蘇のカルデラ地帯を経由して、宮崎県高千穂町に向かいました。同地では、高千穂峡を散策し、真名井の滝を鑑賞後、天岩戸温泉に投宿。夕食後には、高千穂神社で高千穂夜神楽を見学しました。

3日目は、天孫降臨伝説にゆかりの神社を巡拝しました。天岩戸(あまのいわと)神社で天の岩戸を遥拝した後、天安河原(あまのやすかわら)を訪れました。その他、觸(くしふる)神社、高天原(たかまのはら)遥拝所、荒立(あらたて)神社、四皇子峯(しおうじがみね)をめぐり、国見ケ丘展望台から高千穂一帯の眺望を楽しんだ後、熊本空港から空路、名古屋に戻りました。

心の故郷と無双の武道家に出会う旅鷲嶽 正道

研修旅行 熊本・宮崎 写真2

私は東北の出なのですが、九州にはちょっとした思い入れがあります。曹洞宗の僧侶であった祖父から生前「鷲嶽の姓はご先祖様が九州(宮崎と記憶しています)で修行中に師匠から賜ったものだ」と聞いていたからです。今となっては、祖父の真意も具体的な場所も確かめる術はないのですが、九州に来ると何か自分のルーツに触れたような感じがするのです。

さて、今回の研修旅行のテーマは「肥後の禅刹と神話のふるさと」でした。ご先祖様が訪れた(かもしれない)寺院を研修させていただき、高千穂では日本神話の舞台を巡り、神話の世界に思いを馳せました。しかし、旅を終える頃には、ごく個人的なサブテーマ「偉大な武道家たちを訪ねる」が浮かび上がっていました。奇しくも、その武道家たちは、研修させていただいた曹洞宗の寺院に足跡を残していました。五百羅漢像が圧巻だった雲巌寺では、剣豪・宮本武蔵が『五輪書』の執筆にあたり参禅に励んだ霊巌洞を見学できました。霊巌洞までは起伏が激しく、岩が露出した峻路が続きましたが、それだけに洞窟内の凛とした雰囲気に背筋が伸びる思いをしました。なるほど、執筆活動には人を寄せ付けない静寂が必要なのだと、筆の遅い自分への言い訳を考えつつ、この原稿を書いています。また、寒巌義尹が開かれた大慈寺は、実は、鬼の柔道・木村政彦が眠る場所でもあります。「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と言われた史上最強の柔道家の墓前に手を合わせることができたことは、長年柔道を続けている自分にとって望外の幸せでした。旅程で出会えた2人の大武道家にあやかり、心身共に強くありたいと願った次第です。

宮崎を訪れたことも、宮本武蔵と木村政彦ゆかりの地に行けたことも、偶然の産物あるいは自分自身のこじつけに過ぎません。しかしながら、今回の研修旅行には言いようのないノスタルジーとともにご縁を感じました。禅研究所の研修旅行には、そんな不思議な力があります。

古刹と神話を巡る旅大橋 崇弘

研修旅行 熊本・宮崎 写真3

以前より参禅会に参加させて頂いている御縁もあり、この度初めて研修旅行に同行させて頂きました。

熊本空港に降り立った時は激しい雨が降っていましたが、すぐにその雨もあがり最初の目的地である如来寺に到着する頃には空も明るくなっていました。如来寺は九州で活躍した寒巌義尹禅師が開創したと伝えられ、戦火による焼失・再建を経ていますが、本尊の三尊坐像の威容は当時の信仰の厚さを偲ばせるものでした。また、檀信徒の方々に私達の訪問を歓待して頂き、寺院と地元の人々の繋がりが現在でも息づいていることを感じました。

今回の研修旅行は義尹禅師の布教の足跡を順に辿る日程となっており、次に大慈寺へ向かいました。九州曹洞宗の中心的役割を果たした大慈寺では3メートルに達する程の木彫・釈迦牟尼仏に圧倒され、七堂伽藍を完備した山内を隅々まで拝観させていただきました。1日目は熊本市内にて宿泊し、夕食にはからし蓮根や馬刺などの名産品を肴に他の参加者との親睦を深める時間を持つことができました。

2日目は剣豪・宮本武蔵が晩年に参禅したという雲巌寺の拝登から始まりました。奥之院にあたる洞窟は雲巌洞と呼ばれ、武蔵が洞内に籠って『五輪書』を記したそうです。静寂に包まれた洞内は凛とした空気が漂い、気の引き締まる思いがしました。ご住職のお話によると、昨今のパワースポットの流行で若年層の参拝客が増えているそうです。

全日程を通して天気にも恵まれ、私自身の見聞を広げるとともに参加された方々との新たな絆を結ぶことができる旅行となりました。

研修旅行記佐脇 順

研修旅行 熊本・宮崎 写真4

火曜参禅会に参加させて貰って十数年、初めての研修旅行参加でした。本年度は、九州熊本市の大慈寺拝登に興味があり、それが旅行参加の第一の理由でした。

熊本市の大慈寺は、道元禅師の教えをうけた寒巌義尹禅師によって1278年に開かれ、かつては曹洞宗の九州本山と称された中核の寺院です。先月、三菱地所のОB会で、私の青春時代にお世話になった大先輩が、氏の生家は大慈寺の門前近くにあり、少年時代に「わるがき」をしていたころ、大慈寺にいた沢木興道師が一番こわかったというお話をされていました。それを聞いて、私も自分の子供時代に、勉強をさぼっていると同郷津市出身の偉人である沢木老師の話をよく聞かされた事を思い出し、ご縁を感じていました。学問的な事は何も判りませんが、今回の研修旅行に参加させていただきとても良い体験ができたと喜んでおります。

宇土市の如来寺も義尹禅師の開創です。如来寺は禅師の遷化の地でもあり、お墓も残っているとのことでした。熊本市の雲巌寺は、南北朝時代に東陵永禅師によって開かれたということです。裏山には、宮本武蔵が『五輪書』を執筆した霊巌洞があります。前日は大雨とのことでしたが、我々の訪問時には晴天に恵まれました。ご住職のお話によれば、最近では、インターネットでこのお寺のことが紹介されるようになり、若い女性の間ではパワースポットとして人気があるとか、外国人なども含めた多くの旅行者が訪れているとのことでした。天岩戸神話を思い起させる高千穂での宿泊の宿は、「岩戸屋」。親しみを憶えました。また、高千穂神社の夜神楽も楽しい舞でした。

有意義な研修旅行を有難うございました。

旅行のおもいでAlbum

熊本・宮崎

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研修報告Training Report

研修旅行 熊本・宮崎

平成25年度研修旅行
熊本宮崎

研修旅行 熊本・宮崎

本年度の研修旅行は熊本県と宮崎県を訪れた。

熊本県は、古くは肥後国と呼ばれ、九州地方における曹洞宗展開の嚆矢となった地である。今回拝登した宗門寺院は、その中でも象徴的な位置を占める三日山(さんちざん)如来寺と大梁山大慈寺、それに、宮本武蔵ゆかりの宝華山雲巌寺である。

三日山如来寺は、九州最古の曹洞宗寺院である。文永6年(1269)、寒巌義尹禅師によって開かれた。伝承によれば、肥後国地頭、河尻泰明の娘(または古保里(こおざと)越前守の娘)、素妙尼の懇願により、現在地より1.5キロほど離れた場所に創建されたという。往時は七堂伽藍を誇ったというが、戦国時代に兵火で焼失。永正元年(1504)に現在地に移転したが、次第に衰退したという。現在の本堂は、公民館と一体の質素なものだが、本尊の釈迦三尊像は、胎内に義尹の墨書銘をもつ鎌倉時代の作である。私達は、同寺を護持する地元の方々の歓待を受け、本尊仏に参拝した。

大梁山大慈寺も義尹禅師の開創である。弘安元年(1278)、河尻泰明から寄進された同地に建立された。弘安11年(1288)には、曹洞宗最初の勅願寺院になっている。それ以来、同寺は寒巌派の本山として、また、九州曹洞宗の中核寺院として繁栄した。ちなみに、当研究所の参禅会の際に読誦される「発願文(ほつがんもん)」の編者である大智禅師は、義尹禅師の下で出家し、幼少期をこの大慈寺で過ごしている。戦国時代には大友宗麟によって所領を没収されて衰退したが、後に加藤清正から寺領を安堵されて復興した。七堂伽藍を備え、昭和初期には、現代の名僧と称される澤木興道師が坐禅指導を行った寺院としても知られている。私達は、義尹禅師の墓前で諷経した後、住職の佐藤泰道師の案内で諸堂を拝観した。

宝華山雲巌寺は、観応2年(1351)、帰化僧の東陵永(とうりょうえいよ)禅師によって開かれた。本堂裏手の苔むした岩山には、表情豊かな五百羅漢の石像が安置されている。これは、地元の豪商、淵田屋義平の発願により、安永八年(1779)から24年の歳月をかけて造立されたものである。そこを通り抜けると、馬頭観音を祀る奥の院の洞窟がある。同寺の別称「岩戸観音」の由来である。また、洞窟の入口には、東陵禅師が彫った「霊巌洞」の文字が残されている。江戸時代初期には、この洞窟に宮本武蔵が籠り、『五輪書』を執筆したことでも知られている。境内を拝観しながら、住職の馬場哲哉師の説明を伺った。

一方、宮崎県では、天孫降臨伝説の舞台として知られる高千穂町を散策した。最初に訪れた高千穂峡では、阿蘇山の火山活動によって形成された渓谷の、神秘的な造形美を堪能した。また、天岩戸神社西本宮では、天照大神が素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴に心を痛めて身を隠したという天の岩戸を、岩戸川を挟んで遥拝した。そこから歩いて向かった天安河原(あまのやすかわら)は、天照大神を呼び戻すために、神々が会議を開いた場所だと伝えられており、神聖な雰囲気が感じられた。その他、天孫降臨の地に建つ触(くしふる)神社や、神々が高天原を遥拝した場所、猿田彦命と天鈿女命(あめのうずめのみこと)が新居を構えたという荒立神社、神武天皇を含む四兄弟誕生の地とされる四皇子峯を巡拝した。さらに、同地方には天鈿女命が天の岩戸の前で舞ったことに由来するという夜神楽が伝えられている。私達は、その中から手力雄の舞、鈿女の舞、戸取の舞を鑑賞した。笛と太鼓の響きの中で、男女の面をつけた舞手の舞は、実にユーモラスなものだった。

短い期間ではあるが、洞門の古刹に祖師の足跡を訪ねるとともに、神話の息吹に触れる、実りある研修であった。

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