平成28年度の研修旅行は、8月30日から9月1日の日程で北海道を訪れました。参加者は、30名でした。
初日は、飛行機で中部国際空港から新千歳空港へ向かい、そこからはバスに乗り換えて北海道小樽市の海雲山龍徳寺、同市内の月浦山宗円寺を拝登しました。午後からは小樽運河周辺を散策し、余市町へ移動してニッカウヰスキー蒸留所を見学しました。夜は定山渓温泉に宿泊しました。
2日目は、時計台、北海道庁を巡り、札幌市の金龍山大覚寺を拝登しました。サッポロビール園を見学し本場のジンギスカンを堪能した後、バスで旭川市へ向かい、大雪山系に位置する黒岳の五合目までロープウェイで登り、絶景を楽しみました。層雲峡温泉で宿泊し、夕食の後でアイヌの民族舞踊を鑑賞しました。
3日目は、上川郡のアイスパビリオンで観測史上最低の気温マイナス41度を体験しました。上富良野町へバスで移動した後、様々な花が咲く四季彩の丘、およびファーム冨田を訪れ、北海道の雄大な自然と華麗な花々の織り成す景色を満喫しました。途中で通過した美瑛町では映画・ドラマ撮影で有名な風景を巡り、車窓から眺めました。その後、往きと同じく飛行機で新千歳空港から中部国際空港へ移動し、帰途につきました。
かつて札幌に長く住んでいた者として、今回の小樽市の海雲山龍徳寺と月浦山宗円寺、札幌市の金龍山大覚寺の参禅は少々驚きでした。小生、学生時代を含めると昭和40年から平成2年にかけて、正味21年ほど札幌に住んでいました。しかし、恥ずかしながら、今までまったく知らない寺院でした。
名古屋に移る前、札幌から一時的に離れて関西と米国に仕事で在住していた期間が合わせて4年ほどあります。関西に滞在した足掛け3年、実質1年3カ月ほどの間、松本清張の書いた京都と奈良のお寺・旧跡案内書を片手に、お寺、寺跡など、毎日曜日に回った時期がありました。今から考えると、自分探しの旅のつもりで、一人寺社めぐりをしていたのかもしれません。残念ながら、その本はすでに失って久しく、小生の記憶も定かではないのですが、現代の史跡案内本とは一味違った特異なものだった事は間違いありません。この頃から、神社仏閣、仏像を拝観する事が好きになったような気がします。
それでも、五百羅漢のような群像を拝観した事は私の経験では今までになかったように思います。それも、今回2箇所で、相次いで拝観しました事が驚きでした。五百羅漢について、『ブリタニカ百科事典』によると、供養尊敬を受けるに価する500人の人々、第1回と第4回の仏典編集会議に集まった参加者を指すそうです。いつ頃の事でしょうか。確かな根拠は分からないそうですが、中国と日本の禅宗で崇拝され、関連する美術品も多いとのことです。
日本には三大五百羅漢と評価される羅漢を擁する寺院があり、建長寺(神奈川)、羅漢寺(大分)と徳蔵寺(栃木)又は川越大師喜多院(埼玉)である事をウェブで知りました。今後、機会があれば参拝したいと思います。
札幌はともかく、小樽、定山渓、層雲峡、富良野と数十年ぶりに訪問する事ができ、大いに満足した研修旅行でした。曹洞宗の寺院がしっかりと北の大地に根を下ろしている事に改めて感心しました。熱海、蒲郡などと並ぶ都会の奥座敷である定山渓は昔ほど繁栄していると思いませんが、なおかなり頑張っている印象を受けました。
小樽、富良野など、眩しいばかりに、明るい観光地となっていました。小林多喜二の時代まで遡るわけではありませんが、数十年昔の小樽の街を知る者、学生時代に、炭鉱の街、歌志内を訪ねた事のある者として、ここ数十年の時代の変遷をこの旅行で強く実感しました。
台風と縁の少ない北海道に、今年は台風が1週間に3回も直撃し石狩川が氾濫するなど甚大な被害を及ぼしていました。その直後の台風10号が北上するのと同時期に、今回の研修旅行はスタートしました。奇跡的に大雨にも遭遇せず、若干のルートを変更しただけで無事に旅行が出来たという皆様の運の強さに驚きました。
初日は、龍徳寺の木魚の大きさに驚き、宗円寺の五百羅漢の豊かな表情に目を見張りました。この二寺は江戸期の松前藩による蝦夷地開拓に伴って行われた寺院建立の流れを汲んでいると聞き曹洞宗の北海道への展開の足跡が偲ばれました。
小樽での昼食と運河周辺の散策の後、NHKの朝ドラで有名になったニッカウヰスキーの蒸留所を見学。そこで試飲した「余市」の20年ものの芳醇な香りが口中に広がった時は私にとって至福の一時でした。定山渓で温泉に浸かり旅の疲れで爆睡しているとき台風は日本海に抜けました。
2日目は、札幌の大覚寺に拝登し、宗円寺とは趣を異にする彩色の五百羅漢や輪蔵を見学しました。昼食は、サッポロビール園でジンギスカンとビールを味わいました。それから、濁流と流木や薙ぎ倒された白樺の木など台風の爪痕が生々しい石狩川沿いをバスは走り、車窓より柱状節理でできた奇岩の岸壁を眺め、一路層雲峡に向かいました。ロープウエー・ペアーリフトで乗り継ぎ黒岳の七合目から眺める雄大な大雪山系は圧巻でした。
最終日に予定されていた「青い池」見学は、台風で埋没したため諦めました。
四季彩の丘では、ケイトウ、マリーゴールド、サルビアなど色とりどりの花が畑一面に咲き誇っており一幅の絵を眺めている様でした。その後、昼食を取り千歳空港に向かい帰路に着きました。
旅行中は美味しいものを鱈腹食べ昼間からビールとワインを飲んだため体重が2キロも増えていました。
最後に、いろんな人との出会いと、楽しい旅が出来たことに感謝いたします。
合掌
私は北海道にたくさんのご縁をいただいています。20代の頃、ゲレンデに隣接するホテルでスキーレンタルのアルバイトをした経験があります。また3年ほど前からは、お盆の時期に棚経随喜させていただいています。そのご縁からか、北海道の宗門寺院に学ぶという本年度の参禅会研修旅行に、この度初めて参加させていただきました。
曹洞宗の北海道への展開は、多くが明治期以降の新地建立であるなどの理由から、仏事法要全般に関して大変熱心であるというお話を、以前より多方面で伺っていました。今回拝登させていただいた寺院は、どれもそのことを形に表したような大変立派な伽藍でした。
最初に訪れたのは、小樽市内最古の寺院本堂であり、市指定の歴史的建造物でもある龍徳寺です。ここでは、国内最大級の巨大木魚を拝見しました。同市にある宗円寺で拝見した五百羅漢像は、道内でも最古級の仏教文化財であるとされています。
翌日訪れた札幌市大覚寺の山門は、道内最大の楼門とされ、こちらのお寺にも五百羅漢像が安置されていました。どれもそのお寺と街の歴史や文化を受け継いでいこうという、方丈様と檀信徒の皆様のまさしく熱い心を感じ取ることができるものでした。
しかし、今回の研修において忘れてはならないのが、この年、北海道には多くの台風被害があったということです。特に台風10号に関しては、まさしく私たちが出発するその日に、観測史上初めて東北地方の太平洋側に上陸し、この地方と北海道に甚大な被害をもたらしました。
幸いにも私たちの乗る飛行機は、欠航も遅れもなく無事往復でき、行程の変更こそ余儀なくされたところもありましたが、傘をさすことさえなく終えることができました。参加者の私たちに有意義な研鑽ができるよう努めてくださいました、禅研究所職員の皆様に感謝すると同時に、被災された方々に衷心よりお見舞い申し上げます。
そして、この研修会で得た様々な学びを忘れないということが、私にもできる復興祈念の一つではないかという熱い気持ちに至りました。
合掌
本年度の研修旅行は北海道を訪れた。北海道は、古くは蝦夷と呼ばれ、本州とは異なる独自の文化が現在も色濃く残っている。曹洞宗の展開は江戸期に松前藩が建立した寺院に端を発する。小樽と札幌は、明治時代に曹洞宗が教線を北海道全土に広げるための拠点となった地域である。今回は、その中でも重要な役割を担った寺院である海雲山龍徳寺と、金龍山大覚寺、それに、木製の五百羅漢で知られる月浦山宗円寺を拝登した。
海雲山龍徳寺は、江戸末期の安政4年(1857)、大光海雲によって開かれた。伝承によれば、海雲により仮の本堂と金比羅殿(こんぴらでん)が建てられたことに由来する。金比羅信仰は竜神信仰の一種であるが、竜神は水に関わる神であることから海運・漁業関係者に信仰者が多いことで知られる。
また、昭和8年(1933)に寄贈された巨大木魚が有名で、九州産のクスノキの一本彫りで、直径1.3m、高さ1m、重さ330sを誇り、国内最大級である。当時の制作費は約千円で、家一軒が建つほどの費用であったとされる。本堂内での諷経の後、私達は同寺役寮の近藤和浩師の案内で山内を拝観し、実際に木魚を叩かせていただいた
月浦山宗円寺は、松前藩第二代藩主であった松前公広が、若くして死去した父・盛広のため、寛永7年に建立した。開山は勧室宋学である。同寺は五百羅漢像が有名で、北海道内でも最古級の仏教文化財であるとされる。この五百羅漢像は、松前藩第九代藩主の松前章広が先祖供養のために発願したものとされる。
小樽市の調査によれば、この五百羅漢像の中には室町〜桃山時代の作が11体、江戸中期が236体、江戸末期が268体と混在しており、松前で江戸中期に活動した能面師・暉常(うんじょう)が制作に関わるものもある。坂道を登り拝登した私達はお茶を頂いた。その後、諷経をし、住職の荻野徹嚴師に案内され、羅漢像の由来を伺った。小樽港付近へ移動した私達は、運河周辺のレンガ倉庫街などの異国情緒漂う街並みを散策した。
大覚寺は、富山県出身で札幌中央寺安居者であった荒木覚道が明治37年に札幌村内に建立した開教所に由来している。明治40年(1907)には、旧・白石村内(現・札幌市白石区)に土地を寄進されて移転して大覚寺の寺号を用いるようになった。その後も土地の寄進を受け、現在地である元村街道沿いに移転された。元村街道は明治時代、札幌から篠路・丘珠・茨戸の村々をつなぎつつ、石狩川に出るための唯一の道であり、同寺が交通の要所に建てられたことが分かる。大正9年(1920)に大規模な伽藍建築工事を行って、本堂と山門が建立された。特に、山門は楼門としては北海道内最大とされ、同寺のシンボルとして知られている。また、昭和61年(1986)に建立された五百羅漢堂には多種多様な表情をした五百羅漢が安置されている。堂内の中心には経蔵が設置され、実際に回すことができた。私達は諷経の後、住職の荒木道宗師の案内で山内を巡り、鉄筋造り四階建ての位牌堂も拝観した。雪国ならではの工夫が随所に見られ、拝観者一同は感心していた。
この他、層雲峡ではロープウェイで大雪山系の一つ、黒岳の五合目まで登り、眼下に広がる雄大な風景を堪能した。また、宿泊したホテル内では、アイヌ文化の保存と広報を目的とした催しが行われ、アイヌ歌謡ユーカラや伝統舞踊を見学した。短い期間ではあるが、洞門寺院に布教の精神を学ぶとともに、初秋の北海道で大自然に触れる、実りある研修であった。