令和5年度の研修旅行は、9月4日から9月5日までの日程で三重県と和歌山県を訪れました。参加者は21名でした。
初日は、貸切バスにて愛知学院大学日進キャンパスを出発して三重県津市の四天王寺に拝登しました。拝登諷経を修行した後、四天王寺の倉島隆行(くらしまりゅうぎょう)老師の御講話を拝聴しました。その後、松阪市内にて昼食を取り、伊勢神宮外宮(げくう)へ。外宮への参拝を済ませ、式年遷宮記念せんぐう館を見学しました。続いて鬼が城の海食洞(かいしょくどう)を見学し、夜は川湯温泉に宿泊しました。
2日目は、世界遺産の熊野三山を順次参拝しました。午前中は、熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)、熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)へ参拝を済ませた後、補陀洛山寺(ふだらくさんじ)へ。補陀洛山寺では、那智曼荼羅(なちまんだら)の絵解きと御本尊の三貌十一面千手千眼観音像(さんみゃくじゅういちめんせんじゅせんげんかんのんぞう)を特別にご開帳していただきました。午後には大門坂(だいもんざか)より熊野古道を通って青岸渡寺(せいがんとじ)に拝登した後、熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)へ参拝しました。熊野三山と周辺寺院を巡った後、愛知学院大学日進キャンパスに戻り、それぞれ帰途につきました。
初めて参禅会の研修旅行に参加した。日ごろからヨガの呼吸や瞑想に親しみ、過去にはタイ仏教と尼僧について研究した経験があったので、いつかは日本の仏教、特に坐禅を学びたいと思っていた。そんな時、参禅会研修旅行の案内を見てこれだと思った。
旅行当日、行程に坐禅は含まれていないことを知り驚いた。休憩所で言葉を交わした岡島先生に「これは修行ではなく旅行ですね」と申し上げたところ、「これも修行です」とたしなめられた。タイのメーチー(尼僧)から「パティバッタム」(タイ語の修行の意味に近い)という言葉を繰り返し聞いていたのに、すっかり忘れていた自分を恥じた。一方で、この旅で出会うことすべてをちゃんと受けとめて帰ろうと決意した。
この旅では、熊野の豊かな自然とそれに根差した文化に触れた。車窓からふと視線を落として目に入ったのは、見たことがないほど澄みきった青色の熊野川だった。雨と霧の中、深く静かな山に囲まれた国道を走ってたどり着いた川湯温泉では、河原でさえも温泉が湧き出ると聞いて感心した。晴れた翌日は、大門坂から熊野那智大社と青岸渡寺まで、静寂の森の中に敷かれた石畳や石段を登った。樹齢800年の夫婦杉の間を通って歩く自分は小さく思え、古の巡礼者たちもこのような境地だったのだろうかと思いを馳せた。
旅をともにした人たちとの関わりも忘れられない思い出となった。歩きながら励まし合い、石段を登っては仲間を探した。また、名物のクジラ料理や那智黒ソフトクリームなどに舌鼓を打って、おおいに話が盛り上がった。
2日間しっかり見て聞いて感じた旅になった。ご一緒させていただき、ありがとうございました。
今回初めて参加いたしました。新型コロナウイルス感染症の影響で休止を余儀なくされ、4年ぶりに開催研修旅行とお伺いしております。私も団体でのバス旅行は5年ぶりであり期待しておりました。
1泊2日の旅程でしたが、2日間共に興味深く、素晴らしき思い出となりました。特に2日目、補陀洛山寺では、ご本尊(三藐十一面千手千眼観音像)を特別に御開帳いただき、間近で千年の祈りを受けてこられたお姿を拝する事が出来ました。『熊野年代記(くまのねんだいき)』に記録される補陀落浄土を目指し、渡海した方々もこのご本尊に祈りを捧げ、旅立っていかれたのでしょうか。様々な思いが去来するひと時でした。
そして午後には、大門坂より徒歩にて青岸渡寺および熊野那智大社へと向かいました。希望者7〜8人の最後尾でゆっくりと歩き始めました。はじめは、途中で追いつけると軽く考えていたのですが、結局1人遅れてしまい、息も絶え絶え、汗だくになってやっとのことで大社へたどり着きました。ただ素直に到着する事が出来た喜びを感じました。
古(いにしえ)より数多の人々がこうやって一歩ずつ登って来たのでしょう。途中見晴らしの良い所で那智の滝(熊野那智大社の別宮(べつぐう)、飛瀧神社(ひろうじんじゃ)の御神体)が見えた時の思いは、登り切った嬉しさと言うよりも、眼前の光景をありのままに受け止めている清々しい瞬間でした。
ボランティアガイドの方の姿に導かれつつ、最後はガイドの方からの励ましの声に背中を押されて、なんとか、険しい坂道を登りきる事が出来ました。感謝であります。
思えば、運転手さん、ガイドの方、添乗員さん、企画運営に当たられた禅研究所の方々、そして、参加された皆様のお力により、共に研修旅行を無事に全うする事が出来ました。大変うれしい思いでいっぱいです。参加させていただき本当に有難うございました。
さて、次回はどちらへ伺うのでしょうか。今から楽しみにしております。