論語のなかに「北辰その所に居て、衆星之に共う(むかう)」ということばがでてきます。北辰(ほくしん)というのは北極星のことです。天空の北極近くに位置し、地球の日周運動のあいだ、つねに方向を変えることがありません。そのため、海洋を渡る船の唯一の指標となり、目的地への到達を保証します。この北極星を中心にして、天界の諸星は巡りながら美しいコスモスの世界を織りなしています。論語では、政(まつりごと)を行うに、為政者は徳をもってそれに臨まなければならない、至誠・至徳のあるところ、民はひとり残らず、これに随うと教えているわけです。つまり、徳治主義が法治主義に優ることを教える言葉です。
しかし、これはただに徳治の勧奨の比喩に尽きるものではありません。現在私たちは、かつて経験することのなかったグローバルな環境のなかに生きています。複雑な社会環境のもとで、さまざまな価値観にあえいでいるのが現在の状況です。そのため、このような状況を克服して、確固とした生きるよりどころとなる指標(北辰)をたずねることがとりわけ必要です。
その道は各人各様ですが、さしあたって、禅を志すものにとっての北辰は、“ひたすらに坐に生きる”(只管打坐)ことにあると思います。
「本来本法性、天然自性身(ほんらいほんぽっしょう・てんねんじしょうしん)」(衆生はみな本来そのまま仏性をそなえている)という大いなる疑団を抱いて中国に渡った道元古仏は、師、如浄のもとで“身心脱落”という北辰を見いだし、坐に生きる道を歩みました。わたしたちも同じように、みずからの“北辰”を見いださなければならないと思います。