愛知学院大学 禅研究所 禅について

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禅の一言  平成15年度

梅、早春を開く(著・所長 中祖一誠)

 春日佳気漂う好季節を迎える頃になりました。朝夕はなお余寒の名残りをとどめていますが、日差しはすでに春を告げています。野山の枯木の先に芽吹く若葉や足もとの草花は、それぞれ存分に春を演じて余すところがありません。

 如浄禅師(道元の師)の示衆(師僧が弟子に対して行う説法)の中に、「梅開早阜春」という句がでてきます。この句は二通りの読み方ができます。一つは、「梅、早春に開く」と読みます。春の到来とともに、老梅樹の枝端に着く梅の蕾の凛とした早春の風情は格別です。いま一つの読み方は、「梅、早春を開く」です。これに従えば、春の到来を俟って梅が開花するというのではなく、一輪の花、一片の草、そして百花千草のことごとくが、それぞれにかけがえのない逸品の価値を表わして、春の明珠世界を織りなしていると解することができます。そして、この明珠世界の荘厳(かざり)にわたしたちが関わっていることを含意します。季節の経過ということからみれば、確かに"冬来たりなば春遠からじ"の俚諺(りげん)のとおり、春という季節が到来して梅の開花があるわけですが、これでは梅花と春の到来とのニつの事態に隔たりを感じます。"春夏秋冬"はわたしたち人間の側の分別の所産です。一輪の梅、一張の支葉をほかにして春はどこにも存在いたしません。梅花、そして百花千草の上に春が現じているのが真相と思われます。「梅、早春を開く」の一句の中に、春の本領が存分にあらわれているというべきでしょう。

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