愛知学院大学 禅研究所 禅について

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禅の一言  平成17年度

放下著(著・所長 大野栄人)

 この言葉は、『従容録』に出ています。「ほうげじゃく」と読みます。「放下」は手放す、投げ捨てるという意味で、「著」は助辞です。「放下著」は「すべてを投げ捨ててしまえ」ほどの意味です。

 趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)の弟子の厳陽善信(げんようぜんしん)が師に対して、「一物不将来の時いかん(すべてのものを捨て去って何一つ持っておりませんが、そんな時どうしたらいいのですか)」と、尋ねました。趙州は、[放下著」と答えました。

 「主」とは、他人にも自分にも束縛されることのない自在無礙の人のことで、臨済義玄がいう「無位の真人」「主人公」のことをいいます。

 「無位の真人」とは、何ものにもとらわれることのない真に解脱した人をいいます。「主人公」とは、全ての人間に本来具わっている仏性・如来蔵・本来の面目のことをいいます。

 「立処」とは、今現在立っている処、すなわち行・住・坐・臥(四威儀)の日々の生活の瞬間・瞬間の存在の仕方をいいます。

 「真」とは真実のことで、我々が住む世界は、常に刹那生滅を繰り返し、現象変化します。仏教ではその在り方を真実として捉えます。「諸法実相」ともいい、真実世界は我々の思考と関係なしに顕現していることをいいます。現象世界の真実に我々の思考を融合させることをいいます。

 人間は何時・如何なる場所であっても、本来仏としての主体性を失わず、自在無礙の生き方ができれば、日々が真実そのものの生き方となり、生きるということが、真実を開顕して生きることになる、というものです。

 混迷した現代社会は、多様な価値観によって生き、我々を何時しか迷界に誘導します。そのような価値観に迷うことなく、縁あって人間として生まれた唯一の目的は、真実を開顕するためであることを決して忘れてはなりません。

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