愛知学院大学 禅研究所 禅について

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禅の一言  平成28年度

向上一路ということ(著・所長 岡島秀隆)

向上一路 千聖不伝
学者労形 如猿捉影
(向上の一路、
千聖すら伝えず、
学者の形を労すること、
猿の影を捉えんとするが如し)

その大意は、「真如の悟境は仏祖千聖も説きつくし伝えることができない。学者が能力をいろいろ働かせてその様子を現わそうとするのは猿が水に映る月影を捉まえようとするようなものだ」ということである。

作者の盤山宝積(ばんざんほうしゃく)禅師は中国中唐の人である。南嶽下、馬祖道一の法嗣でその弟子には普化宗(ふけしゅう)(虚無宗(こむしゅう))の始祖とされる鎮州普化がいる。

普通には悟りの境涯は言葉によっては表現できないものであって、自己の体験によって自証自悟するしかないとの教誨と考えられている。しかし、いったん自己の脚下を顧みて修行底の自己の立場から思い返してみると、真如絶対の境地は先賢の助言が如何に多く残されてあろうとも、頭で理解することも難しいし、さらにそれを体認することなど夢のまた夢といった感じである。

それゆえ、これはもう一心不乱に向上の一路を進むこと以外にはないのだと決心して、デカルト的コギトの自覚のように、スタート地点を一度決めたら、前を向いて進み続ける自己の自覚だけが真実なのではないか。悟りの何たるかに心を止めることも、ましてや「証上の修(しょうじょうのしゅ)」に思いを馳せることもない不動の向上心のみがあって、自己の終着点など意に介さず、まっすぐに進み続ける純心無雑な姿勢を尊いものとして推奨する視点を、この向上一路の初句に汲み取りたいのである。もちろん、それが功名心などの欲を含んではならないが、そういう潔さが人生には必要であると思うのである。

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