私達の生活を一変させた新型コロナウィルスは目に見えない。現在猛威を振るっている病との戦いは、目に見えないものとの戦いなのだ。ペストや天然痘、コレラにチフス、エイズなど、人類は目に見えない病原体との戦いを数え切れないほど経験してきた。
目に見えない敵は知らないうちに入り込んで、あまり害を与えることもなく去っていく場合もある。そんな時は敵に気づかないことさえある。しかし、今日我々の経験している戦いは、我々に死をもたらす恐ろしいものだ。
ところで、目に見えない恐ろしい敵もさまざまだ。ウィルスもそうだが、我々の心の中には多くの見えない敵がいる。恐怖や不安や無限に増殖する欲望などがそれだ。それらの多くは我々自身が作り出している。例えば、死の恐怖は直接手に取ることも見ることもできないのだが、死そのものは少しずつ近づいてきて、やがてどこかで現実となる。死の恐怖は死の事実と結びついている。そして、死の振りまく恐怖も死の事実も我々には見えにくい。
それで、見えない敵と戦うことは難しい。大いに苦しい。一人相撲を取っているようでむなしい。そうした状況の中で、仏教が教えることの一つは、ともに戦っている同朋を労(いたわ)り思うことだ。同朋を慈しむ慈愛の心だ。厳しい戦いの中で独りよがりの自己愛に向かいがちな心を正して、他を思いやる心が、今いちばん求められている。
気がつくと我々はコロナ禍で分断され孤立化している。ネットワークが人間社会を辛うじて結びつけているが、人と人の強い絆はいつ回復するのだろうか。相手を思いやる心を忘れないようにして、今はじっと我慢して与えられた時間を希望につなげよう。