愛知学院大学 禅研究所 禅について

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禅の一言  令和3年度

寄物陳思(きぶつちんし)の歌(著・所長 岡島秀隆)

コロナ禍は3年目に突入し相変わらず先行きの見えない日常の中で、時間だけが過ぎていくようです。変わりゆく季節を感じながら、謹んで「諸人尊候(しょにんそんこう)、居起萬福(ききょばんぷく)」と申し上げます。

巣篭(すご)もり生活の中で「寄物陳思」の語に出会いました。『万葉集』の「相聞(そうもん)」(恋歌)に属する歌の3分類のひとつで「ものによせてこころをのべる」歌のことを言うのだそうです。私たちは物にいろいろな思いを託します。誕生日などの記念にプレゼントをしたり、お世話になった人に贈り物をします。また、いろいろな物に特別な「思い入れ」をすることもあります。

中国の禅僧、霊雲志勤(れいうんしごん)には「霊雲桃華悟道(とうかごどう)」の逸話があります。また、「願わくは 花の下にて われ死なん この如月の 望月のころ」と詠んだ西行は桜の花に強い思い入れがあったようです。さらに、道元は「雪裡(せつり)の梅花」に師、如浄(にょじょう)禅師の面影を見ています。

蛇足を加えるならば、ヴィンセント・ファン・ゴッホの描いた「ひまわり」には芸術家仲間との共同生活を夢見た彼の思いが込められているそうです。芥川龍之介の『沙羅(さら)の花』の一節には印象深い詩があります。「また立ちかへる水無月の 歎きを誰にかたるべき 沙羅のみづ枝に花さけば かなしき人の目ぞ見ゆる」というのですが、この句はまさに恋歌です(日本では夏椿を「沙羅」と呼ぶが、仏教聖樹のサーラ樹の本種ではない)。

そして私たちは、これらのさまざまな逸話を重ね合わせながら、毎歳開花する季節の花々を楽しむことができます。こうした教養は、私たちの眺める日常の風景を豊かにします。ウィズコロナと言われる暮らしの中で、それらは確実に生活の質を高めてくれるのではないでしょうか。

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