令和6年は、元旦から多難激動の歳を想起させる事件が報道された。能登半島沖の大地震である。震度七の激震が珠洲市や輪島市を襲った。刻刻と到着する現地情報を見聞するたびに背筋の凍る思いであった。
更に2日には東京羽田空港で航空事故が起こった。北陸の被災地に向かおうとしていた海上保安庁の飛行機が日本航空の民間機と滑走路上で衝突し大炎上したのだ。
この二つの悲劇は、人間の弱さと文明の儚(はかな)さを我々に思い知らせることになったが、それと同時に人間の強(したた)かさが試される事態でもある。眼前の事実を受け入れて立ち上がり進む勇猛心(ゆうみょうしん)と、その知性と忍耐と勇気を人間はいつも問われているのだ。
『槐安国語(かいあんこくご)』は白隠慧鶴(はくいんえかく)の提唱本である。その中に次の句がある。
金龍不守於寒潭
玉兎豈栖於蟾影
金色に輝く龍は太陽を象徴し、玉兎(たまうさぎ)は月の異称と言われる。寒潭(かんたん)とは「冷たい淵」といった意味で、金龍はそのような淵を住処としている。蟾影(せんえい)の蟾とは「ガマガエル」の意味で、月にカエルが住むとする中国の古い伝承から、転じて「月」を指す。それゆえ、ここでは兎が月に住んでいる様をこのように表現しているのである。しかし、優れた金龍はやがて天空を雄飛し、玉兎もいつかは住まいを離れて自在に大地を飛び跳ねる。この句は金龍・玉兎のそうした勇姿と、悟境に安住せず世間に飛び出してゆく真の禅僧の姿を重ねているのである。
どんなに辛い状況でも、いつかは夜が明ける時が来る。悲しい出来事を乗り越えて、金龍玉兎は動き出す。それを信じて辰年新春にあたり、被災地に支援と応援歌を送ろうと思う。