『正法眼蔵聞書抄』の研究や「在家宗学」を提唱してきた著者(駒沢大学名誉教授)は、自己の道元禅師研讃の歴程を通して、道元禅の近代化における研究過程を検証しています。
本書では、道元禅と本覚思想との関係を、現在における新たな諸論文を収束して、教学的立場からその方向性を明確にしています。
また、宗侶における宗学と現実との乖離や嗣法相続という後継者の問題を提起し、妻帯化から発生する寺族問題は深刻であるとしています。この問題は、現時緊急の人権問題と連繋して詳究すべき重要な課題であり、今後新進気鋭の研究者により、近代仏教史の視角から、解明されることを期待しています。
著者は、宗門大学の一般化において、曹洞宗は仏教系諸大学に後れをとることはなかったが、道元禅を宗門から一般に開放するという近代化では、臨済禅に一歩及ばなかったことを指摘しています。
本書には曹洞宗学の深い研鑽と、常に新たな時代に目を向け続けた著者の真摯な姿と模索探究の成果が見られます。
現代社会では、「自己中」ということばか流行語になったように、自我を強固に押し出し、他者とのかかわり合いを軽視、あるいは嫌う風潮にあり、それがさまざまな社会問題を生み出しています。そのような現実に直面し、われわれは生きる方向性を見失っています。
今日、道元は、わが国のみならず、欧米を中心とする諸外国でも注目されている宗教者であり、それを慕い、坐禅を実修したり、その思想を追及しようとする者も少なくありません。彼らを惹きつけるのは、現代に通用する奥深い思想と、実践的性格にあるようです。本書は、道元の思想と宗教を通して、未来の可能性を模索し、精神的な生きる糧を探求したいという願いから著わされました。
著者は、立松和平、竹村牧男、角田泰隆、茅原正、田中治郎、福島伸悦、奈良康明の八氏で、作家・仏教学者・心理学者・僧侶などの異なった立場や視点から、「道元の道」、「道元の思想」、「現代に問いかける禅」、「禅が結ぶ世界」の4つのテーマで、様々な論考や提言がなされています。道元の世界を知り、道元が私たちに示した生き方を考えるきっかけを与えてくれる1冊でしょう。
日本人の自分を知るためには仏教を知ることが第一だ。そう考えた著者は、明恵、一遍、良寛、さらには西行、世阿弥、芭蕉などを通して、仏教にもとづく日本の精神文化を探求し続けてきました。その氏が、最終的に彼方に仰ぎ見たのが道元でした。
著者の粟田氏は、戦時下の若き日に『正法眼蔵』に出会ったといいます。そして、その中の「百尺竿頭すべからく歩を進むべし」と「大地雪満満」という2つの言葉に魅了されました。これらの言葉の中に、氏は道元の深く冷たい孤独と、それゆえの充実感を感じ取ったのです。
しかし、それだけではありません。今日多くの人々が果てしない孤独と恐怖を前にして「いやし」を求めています。その人々に対して、『正法眼蔵』こそは、今を生き切ることを気づかせてくれると栗田氏は考えたのです。
確かに『正法眼蔵』は難解です。けれども、その中にはキラりと輝く宝石が隠されている。単なる知識ではなく、実生活を生き抜く知恵がつまっている。とにかく読んでみることだ。栗田氏はこう言います。そして、そのための道案内として著されたのが本書です。旧著『道元の生き方』(詳伝社黄金文庫)と併せてごー読をお勧めします。