道元(1200〜23)は、日本曹洞宗の開祖であり、『正法眼蔵』を著した偉大なる思想家として日本仏教に燦然と輝く人物です。彼は、中国天童山にて如浄(1162〜1227)より授かった仏法を「正伝の仏法」といい、帰国後、それまでとは違う新しい仏教を築きました。道元の特徴として「祗管打坐(しかんたざ)」という言葉がよく用いられますが これは、坐禅を中心とする規矩(きく)に則った修行生活を表しています。「祗管打坐」と並んで、道元の仏法の特徴として「本証妙修(ほんしょうみょうしゅ)」という言葉がありますが、これは、大変奥深い内容をもつもので、安易に解釈しようとするとまったく反対の意味で解釈してしまうこともあります。
そこで、本書では「本証妙修」といった教理学的な分析よりも、道元の具体的実践の側面から、道元禅とは何かを探ろうとしています。
このような視点で、各方面で活躍する学者や宗侶が、道元を眺めています。編者の中尾良信氏は、叡山仏教と道元の関係、明全や栄西門流との出逢いなどから、佐藤秀孝氏は入宋時代の道元の足跡を辿って、道元禅を捉えています。また、尾崎正善氏は「清規」を通じて、石井清純氏は『正法眼蔵』が仮名書きされたことに注目し、様々な論評を加えています。そして、中島志郎氏は哲学的アプ口ーチで、南直哉氏は「因果」「業」をキーワードに、道元禅を理解しようと試みています。
本書は、われわれに道元禅の理解を提示してくれるとともに、道元の新たな魅力を与えてくれるに違いありません。
曹洞宗総合研究センターは、葬式とその後の法要(あわせて「葬祭」と呼ぶ)に仏教が関与することの「現代的な意義と課題」について、1999年から4年間にわたる共同研究を続けてきました。本書はその報告書です。第一部は、曹洞宗学、仏教学、宗教学、文化人類学等の様々な分野の専門家が、葬祭の意義や問題点を指摘した20本の論文を収めています。第2部は、複数の執筆者による座談会の記録です。この座談会は、執筆者同士の議論がうまくかみ合っており、本書の内容を総合的に理解するのに有益です。また、第3部には、憎侶と檀信徒を対象にして行った葬祭に関するアンケートの結果が収載されています。
本書は、我が国の葬祭の現状と課題を俯瞰する優れた研究成果です。願わくは、これを一過性の机上の議論に終ららせないで欲しいと思います。議論が始まったばかりとは言え、指摘された問題を解決し、時代の要請に応えた葬祭を実行することが、本書を真の意味で生かす方法となるでしょう。
小説『中陰の花』で芥川賞を受賞した禅憎が仏教と禅の入門書を相次いで刊行しました。
『私だけの仏教』は大胆な仏教書です。著者はまず、仏教には膨大な経典があり、その中のどれを選ぶかによって、仏教のあり方は「八百万(やおよろず)」的にならざるを得ない。それだから、私たちも「バイキング」方式で自分に合った教えを自由に選び、自分用の仏教をアレンジしようと呼びかけます。その素材を提供するのが本書の狙いです。
しかし、この本の特徴はそれだけではありません。入門書の多くが、仏教は「かくあるべし」という建前を説くのに対して、本書は現実に即した本音の主張です。様々な経験を積み、今も虚実皮膜の世界に生きる著者のバランス感覚が本書の魅力となっています。
一方、『禅的生活』は、数々の禅語を通して禅の世界観を紹介しようとするものです。それによってものの見方を変えて、楽に生きるための思考法を身につけようと著者は語っています。また、禅的な生活は世間的に模範の生活では全くない。けれども、それはのびやかで風流な自分に出会う旅だとも著者は言います。
この2冊を通して、これまでとは少し違う仏教と禅の世界に触れてみませんか。