愛知学院大学 禅研究所 禅について

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禅書のしおり 平成16年度

西村惠信【仏教徒であることの条件】(法蔵舘)

 ヨーロッパでは、ルネッサンス以降、人間復権が叫ばれ、神に代わり、人間が世界の秩序に手を出すようになりました。その根本原理となったのがヒューマニズムという名の博愛主義であります。これは、中世の神律的世界観のアンチテーゼとして起こったもので、万物の霊長として誇り、神に代わって世界を支配しようとする人間の傲慢さに基づいたものといえましょう。

例えば、「脳死」の問題があります。その判定基準は、人間を理性的動物とする価値観に準拠し、理性の欠如したもの(脳死者)は、もはや人間ではないとするもので、西欧ヒューマニズムの帰結といってもいいでしよう。

本書には、「近代ヒューマニズム批判」という副題が付されており、花園大学学長で臨終済宗の僧侶でもある著者が右に述べたような「西欧近代ヒューマニズム」に対して、神無き現代の世界状況の中、神のような絶対他者を認めず、最終的には自己自身に拠り所を求めることを説く仏教に基づいた「仏教ヒューマニズム」の復権を提唱しています。そしてそれは、人間中心主義ではなく、無常、苦、無我を抱える苦悩存在についての尊厳なる自覚を内容とするもので、このような仏陀の説いた正しい生き方が、いまわれわれが復権すべき「新しいヒューマニズム」の規範であると、著者は訴えています。

佐々木宏幹【仏力】(春秋社)

 わが国の仏教研究は世界でも高水準にあり、その特色は、主に仏教教理・理念を文献的に明らかにすることにありました。しかし、仏教の現場である寺院の活動はというと、総じて先祖信仰と祈願儀礼にあり、それは「葬式仏教」とか「祈祷仏教」と称されてきました。本書では、このような寺院現場に展開する仏教を「生活仏教」と呼び、様々な視点から・メスを入れています。

著者の佐々木宏幹氏は、宗教人類学の第一人者で、これまで人間生活のなかで営まれている仏教を学問的に取り扱い、生きた仏教を究明してきました。そのような立場から、教理・理念中心の「教理仏教」と「生活仏教」との間にある断絶と連続を、理論と実例の両面からわかりやすく解説しています。

日本仏教は、歴史展開の中で、本尊としての「仏」、死霊としての「ホトケ」、両者を習合・重層化させた「ほとけ」という特異な信仰対象を生み出したとし、「生活仏教」は「ほとけ」によく重なる概念であると著者は述べています。

日本仏教を考える上でも、また、これからの仏教を構築していくためにも、まずは「生活仏教」を吟味する必要があるのではないでしょうか。

末木文美士【明治思想宗論】(トランスビュー)
末木文美士【近代日本と仏教】(トランスビュー)

 明治維新は、我が国の政治と社会体制に大きな転換をもたらしました。同時に、維新政府による神仏分離政策と、それに起因した廃仏毀釈運動は、仏教界にも近代化を迫るきっかけになりました。その結果、仏教は個人の心の問題に関わるものとして、従来とは異なる観点から探求されることになります。しかも、それは単に「仏教思想史」という特定の領域に限られたものではなく、近代の日本人の精神的バックボーンをなすものとして、言い換えれば、近代思想の周縁ではなく、むしろその中心に位置するものとして、明治期以降の日本人の思想に決定的な影響をもたらしました。そうだとすれば、仏教という視点から、従来の政治思想を中心とするものとは異なる「もう一つの明治思想史」を構想することができるのではないでしょうか。

ここに紹介する二冊は、このような立場から著されたものであり、合わせて「近代日本の思想・再考」という副題を与えられています。その中の『明治思想家論』では島地黙雷から西田幾多郎まで、十二人の思想家の主張が各章毎に諭じられており、『近代日本と仏教』では近代仏教のもつ多様な可能性とそこに潜む危うさが、様々な角度から考察されています。著者の末木氏は日本仏教史の専門家です。これまで主に我が国の古代、中世の仏教研究を進めてきた著者が、今、新しい日本の近代思想史研究の扉を開け放ちます。

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