愛知学院大学 禅研究所 禅について

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禅書のしおり 平成17年度

松本章男著『道元の和歌』(中公新書)

 1968年に川端康成がノーベル文学賞を受賞した時、彼は「美しい日本の私」と題する受賞記念講演で、一首の和歌を朗吟しました。「春は花夏ほととぎす秋は月冬雪さえてすずしかりけり」本書はこの歌を皮切りに、道元のものとされる60余首の中から、著者自身が彼の真作だと確信する49首を選び出し、それらを道しるべにして、道元の教えに迫ろうとするものです。

通常、道元の思想は『正法眼蔵』にもとづいて説き明かされることが一般的です。また近年では、『永平広録』等に記されている、漢詩体の正式な説法をもとにして、彼の思想に迫ろうとする研究も行われています。けれども、和歌を必須の教養とする上級貴族の出身で、『新古今和歌集』の編者や歌人を近親者にもつ道元であれば、和歌が身近なものであったことは確かです。しかも、道元の和歌が仏法を題材としていることは想像に難くありません。その意味で、著者の着眼は的確なものだと言えるでしょう。

確かに、道元の和歌には深い思索が込められています。しかし、現代の人々にとっても、和歌は『正法眼蔵』や漢詩よりもはるかになじみ易いものだと思われます。加えて、本書の解説は道元の生涯に沿っており、それぞれの歌の背景をなす禅の逸話も随所で丁寧に解説されています。文章も平易で読み易く、お勧めできる一冊です。

川口高風他監修『訓注曹洞宗禅語録全書』中世篇全15巻(四季社)

 これまで、曹洞宗に関する出版物は、あまりにも道元(1200−53)に偏り過ぎており、瑩山 (1264−1325)に関するものはいくらかあるものの、それ以降の祖師については、ほんの僅かであると言えるでしょう。あったとしても一部の研究者による専門的なものがほとんどでした。本シリーズは、その隙間を埋めるもので、永平寺5世の義雲(1253‐1333)や總持寺2世の峨山(1276−1366)をはじめとする、14世紀から16世紀に活躍した祖師の語録を収録しています。

編集に際しては、底本に『曹洞宗全書』語録に収められているものを用い、原文に加え、訓み下し文と詳しい語註を載せ、各語録には平易な解説を施しています。執筆は、本学教授・川口高風氏、曹洞宗総合研究センター所長・田中良昭氏、駒澤大学教授・永井政之氏、同・広瀬良弘氏の監修のもと、駒澤大学や鶴見大学、曹洞宗総合研究センター、本学などの新進・中堅の研究者たちが担当しています。

本シリーズに収録される語録が書かれたのは、曹洞宗が葬祭と関わり始める過渡期にも当たり、当時の曹洞宗及び日本仏教の状況や変遷を知る上でも貴重な史料と言えるでしょう。

宮内勝典著『焼身』(集英社)

 近年、世界的に「社会参画する仏教(エンゲイジド・ブッディズム)」が注目されています。我が国の曹洞宗ボランティア会等もその代表的な事例ですが、最も象徴的な出来事は、1963年に、当時のベトナム政府の圧制に抗議して、同国の一人の僧侶が行った焼身供養(自殺)でしょう。

本書は、アメリカの同時多発テロによって、すべての価値が崩壊したと感じる「私」が、「信じるに足るもの」を求めて、この焼身供養を行った僧侶の姿を追い求める物語です。ただし一般的な概説書ではなく、「私」が当時の関係者を訪ね歩くことで、一歩ずつ真相に近づいていく様子が私小説風に語られています。

40年の時空を軽やかに飛び越える描写や、暴力と非暴力、生の欲望と悟りの静謐を鮮やかに対比させる手法は、小説ならではのものでしょう。そのことが、やがて作者のイマジネーションの中に、狂信者でも聖人君子でもない一人の人間、穏やかだが毅然として、自らの信念を実践する一人の僧侶の姿を生き生きと浮かび上がらせていきます。

本書を通して、読者は現代のベトナムにおける仏教の姿を垣間見ながら、信じられるものを見出した「私」とともに、生きるとは何か、仏教とは何かに対する一つの回答を見つけることができるのではないでしようか。

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