愛知学院大学 禅研究所 禅について

愛知学院大学 禅研究所 禅について

禅書のしおり 平成20年度

角田泰隆著『坐禅ひとすじ―永平寺の礎をつくった禅僧たち』(角川ソフィア文庫)

角田泰隆著『坐禅ひとすじ―永平寺の礎をつくった禅僧たち』(角川ソフィア文庫)

 永平寺は、厳しい修行で知 られる、曹洞宗の本山です。その開創は、寛元2年(1244)と、760年余という長い歴史を持ちますが、草創期より、坐禅・勤行・作務などの様々な修行や、洗面・洗浄(排泄)・飯台(食事)などの細かな作法が、現在も変わりなく、日々行われています。本書では、永平寺の礎を築いた開山道元、二世懐奘、三世義介、そして總持寺開山の瑩 山の四人の禅師の行状を辿たどりながら、草創期の永平寺の様子を物語るものです。特に、人(師)と人(弟子)の出会 い、そして、修行生活を通して、「正伝の仏法」「只管打 坐」「本証妙修」などの言葉で代表され、純粋な仏教および禅の確立を目指した道元の教えが、どのように伝えられてきたのかを、『宝慶記』『正法眼蔵』『正法眼蔵随聞記』『永平寺三祖行業記』などの諸史料をもとに記しています。

 著者の角田氏は、道元禅研究の第一人者で、駒澤大学で 教鞭を執る傍かたわら、本年度は、NHK教育テレビの『こころ の時代』で、「道元のことば〜正法眼蔵随聞記にきく」(全十二回)を担当されるなど、大いに活躍されています。

 道元禅の真髄を知るための入門書ともいえる絶好の一書です。是非ご一読ください。

奈良康明・佐々木宏幹編『禅といま』(春秋社)

奈良康明・佐々木宏幹編『禅といま』(春秋社)

 曹洞宗では、平成14年に道元禅師750回大遠忌を迎えました。その一環として、道元禅師および禅文化に関する出版や講演などの文化事業が推進され、平成11年秋に、記念シンポジウム「禅といま」が、翌年には夏期大学講座「禅といま」が開催されました。夏期講座は、その後も継続され、その講義録から七編を本書に収録しています。

 序章を含め、四つの章より構成され、序章では、愛知専門尼僧堂堂長の青山俊董師の「天地いっぱいに生きる」を、第一章「禅の来たし方」では東京大学名誉教授の高崎直道氏の「禅の源流」、駒澤大学名誉教授の奈良康明氏の「文明の危機と禅」を、第二章「日本社会と禅」では、前国際日本文化研究センター所長の山折哲雄氏の「現代と道元禅」、駒澤大学名誉教授の佐々木宏幹氏の「宗教と現代」を、第三章「禅の未来」では、東京工業大学准教授の上田紀行氏の「宗教と癒し」、芥川賞作家で臨済宗福聚寺住職の玄侑宗久氏の「般若波羅蜜多」を載せています。

 過去・現在・未来にわたって様々な角度から、禅および仏教、さらには宗教について語っており、論点も多岐にわたっていますが、各氏に共通するのは、その智慧をいかに日常の生活の中に生かしていくかということです。

 本書は、殺伐とした現代社会を生き抜くすべを提示してくれるかもしれません。

藤田琢司著『日本にのこる達磨伝説』(禅文化研究所)

藤田琢司著『日本にのこる達磨伝説』(禅文化研究所)

 「ダルマ」というと、縁起物の張り子のダルマ≠竍ダルマさんが転んだ≠ニいう遊びを思い浮かべるのではないでしょうか。そのため、ダルマは伝説上の人物と考えられていることが多いようですが、実は、歴史上の人物なのです。それはおよそ1500年前、インドよりはるばる中国に渡り、禅の一派を開き、中国禅宗の初祖となった菩提達磨です。達磨の禅は、その後大いに発展し、我が国にも伝えられています。

 『景徳伝燈録』などの禅宗の歴史書によると、達磨は、150歳の時に毒殺され、熊耳山(河南省)に葬られたとされています。ところが、達磨は海を渡って日本にやって来て、大和国片岡(奈良県)で聖徳太子に会ったというのです。それを語るのが本書です。

 鎌倉時代に著された『元亨釈書』では、「推古天皇の21年(613)太子が片岡に赴いた時に、飢え人の姿となった達磨に出会い、自らの衣を施した。その後、達磨は亡くなり、太子は塚を築いて葬った。数日後、使者に墓を開かせたところ、太子が施した衣だけが棺の上にあるだけで、達磨の姿はなかった。その墓は今でも残り、達磨塚と呼ばれている」と述べています。本書では、この記事を中心に、我が国に残る達磨伝説を紹介しています。是非、歴史のロマンを感じてください。

横山紘一著『十牛図入門』(幻冬舎新書)

横山紘一著『十牛図入門』(幻冬舎新書)

 室町時代に中国から伝えられ、わが国でも禅の入門図として親しまれている「十牛図」。そこには、逃げ出した牛と、それを探し求める牧人の姿が十枚の絵で描かれています。この中で、「牛」は「真の自己」、「牧人」は「真の自己を探す者」の象徴です。つまり、この絵は禅の修行を通して、真の自己を究明していく過程を比喩的に表しているのです。

 しかし、それだけではありません。本書はこの絵を通して、「自分はいかに生きるべきか」という自己の究明とともに、「生きるとはなにか、死ぬとはなにか」という生死の解決と、「他人とともども幸せに生きる」という他者の救済という「人生の三大目的」を学習し、それによって現代の諸問題の解決方法を探ることを目指しています。この壮大な目標の背後には、「自分が変われば世界が変わる」という著者の信念が隠されています。

 著者の横山氏は正眼短期大学の副学長。唯識思想の専門家として、これまでにもその解説書等を数多く出版してきました。本書では、手慣れた著者が難解な唯識をわかりやすく解説した上で、その思想を参照しながら十牛図を解き明かし、生きるためのヒントを語っています。禅を学ぶ人だけではなく、「新しい自分」を模索するすべての人に向けられた一冊と言えるでしょう。

蓑輪顕量著『仏教瞑想論』(春秋社)

蓑輪顕量著『仏教瞑想論』(春秋社)

 仏教は、2500年前の菩提樹下における釈尊の瞑想から始まりました。以来、今日まで、瞑想は仏教の修行の中心に位置しています。無論、禅宗の坐禅もその伝統に連なるものの一つです。

 ただし、瞑想の手法や、それによって目指すべき境地は、仏教の歴史を通じて常に一定ではありませんでした。時代や地域によって異なっており、それが仏教各派の修行の違いとして、現在に受け継がれているのです。

 本書では、最初にインドで成立した瞑想の体系が説明された後に、その体系が東アジアでどのように変貌し、さらには日本の各宗派でどのような形で受容されたのかが述べられます。そして最後に、現代におけるアジア各国での瞑想の実践が紹介されています。

 蓑輪氏は愛知学院大学文学部教授。日本仏教の専門家ですが、近年はアジア各地を訪れて、仏教信仰の調査を精力的に行っています。そうした幅広い知識を背景に、同氏はこれまでの「思想」中心の視点ではなく、瞑想という「実 践」の視点から、改めて仏教をとらえ直そうとしています。

 「仏教は文化の総合的な体系である」。このような定義にもとづく著者の野心的な試みは、これまでとは違った形で、仏教における「悟り」と 「救い」への道すじを明らかにしてくれることでしょう。

愛知学院大学 フッター

PAGE TOP▲