わが国における禅宗史研究は、近年多くの分野での進展が見られます。本書は、編者の広瀬氏が主宰した「禅宗の展開と地域社会」をテーマとする研究会の成果をまとめたものです。初期禅宗史、禅宗の地方展開、禅籍抄物・切紙・相伝書などの研究を通じて地域社会の中での諸宗教の展開と禅宗の関連を探るということが課題であったようです。
第一章では、栄西や道元、道元とともに入宋した明全、南宋から日本へ初めて渡来した禅僧・蘭渓道隆などにスポットを当て、初期禅宗史に関する様々な問題にメスを入れています。第二章では、禅僧の花押、曹洞宗の輪住制、越中の中世史、近江徳昌寺の授戒会帳、永平寺江戸前期の抄物や相伝書、道元伝に見られる霊瑞・神異譚などに関する中世における禅宗と地域社会に関する論考を載せています。第三章では、「鎌倉御所」の所在地の検討、起請文に見られる地域神の分析、西国法華寺院の展開など中世における諸宗教と地域社会についての論考を掲載しています。第四章では、「山林」「駆込寺」の研究、江戸時代の寺院の勧化活動、十九世紀の御嶽信仰をめぐる在地社会と宗教の問題など、中世後期から近世にかけての在地における寺社の機能と運営に関しての考察が収められています。
日本禅宗史の研究動向を知る絶好の書と言えるでしょう。
禅林と言えば厳しい修道・修学ばかりがクローズアップされ、日常生活の細々とした部分はあまり表に出ることがありませんでした。
本書は、著者の今泉氏が東京大学史料編纂所で長年史料に向き合ううち、史料が語りかけてきたという禅林の日常生活の細部の中からいくつかを選んでまとめたものです。
室町時代は、鎌倉時代に成立した禅宗が、急速に発展し定着していった時代です。本書では、鎌倉時代の禅宗の成立から室町幕府によって確立された五山制度の制定までの流れを、主な官寺の名を挙げながら述べ、各寺の役職やその他の基本的事柄、用語についての説明を加えた上で、色々な課題を背負って修道に生きた僧たちの感性や内面を多面的な視点から探ろうとしています。その中には、初期禅宗におけることばの問題や、法語に見られる葬祭との関わり、住持任命のために発給された辞令としての「公帖」の歴史にみる修道の弛緩などの話題や、禅林の隠された側面である少年愛、僧たちの老いに対する受け止め方なども取り上げられています。
室町禅林の多様な成熟と退廃の実態に迫る興味深い一書です。
親鸞と道元は、日本仏教のルネッサンス期とも言われる鎌倉時代を力強く生きた偉大なる仏教者であり、親鸞の開いた浄土真宗と、道元を祖とする曹洞宗は、現在、日本における二大仏教宗派となっています。同じ時代を生きた二人ですが、両者は相反する立場をとったとされ、それぞれ他力の仏教、自力の仏教と対照的に捉えられています。
本書は、『私訳歎異抄』(東京書籍)や小説『親鸞』(講談社)など親鸞に関わる多数の作品を著わした五木寛之氏と、小説『道元禅師』(東京書籍)を著わし、永平寺七八代貫主宮崎奕保禅師とも親交のあった、立松和平氏の対談をまとめたものです。
両氏は、自身の著作を手掛ける中で感じた、それまでの仏教にはなかった親鸞や道元の魅力について語っています。また、宗教は現世利益とは関係がないという立場から「宿業」や「衆善奉行、諸悪莫作」などの言葉をキーワードに、仏教が苦の中に楽を見出していくポジティブな思想であることを、『正法眼蔵』や『歎異抄』を引き合いに、現代の視点に立って述べています。
この対談は、2009年3月から断続的に進められたもので、ふたりの親鸞観、道元観が溢れ出ている面白い内容になっていますが、2010年2月の立松氏の急逝により中途で終わってしまっています。誠に残念です。
昭和47年、佼成出版社から『アジア仏教史』全二〇巻の刊行が始まりました。このシリーズは、アジアの仏教の思想と歴史を網羅的にまとめたものであり、総合的な仏教史のスタンダードとして長い間親しまれてきました。
しかし、それから30年以上を経た今、仏教研究の蓄積は膨大な量に及び、その研究領域や手法も劇的に変化しました。旧来の仏教学や歴史学にとどまらず、文学、建築学、美術史、考古学、民俗学、人類学等、様々な領域を巻き込んで、仏教研究は総合文化研究の色彩を強めています。同時に、以前は一般的に語られていた仏教史の区分等も、現在では大幅に見直されています。例えば、日本中世の仏教事情を鎌倉新仏教と旧仏教の対立として捉える視点は、もはや過去のものになりました。
このような最新の研究成果をもとにして、新たに企画、刊行されたのが今回紹介する新シリーズです。総勢二百余名の執筆陣が、様々な視点からアジア全域の仏教を総合的に論じています。旧シリーズに比べ、質量ともに大幅に拡充した新シリーズは、多少専門的な雰囲気がないとは言えません。しかし、現在の研究状況を十分に反映させるためには、やむを得ないことでしょう。仏教史の新たなスタンダードとして、必備の書となることは間違いありません。
過去十数年間、近代仏教の研究が大きな進展を見せています。末木文美士氏の『近代日本と仏教』や、佐藤哲朗氏の『大アジア思想活劇』等はその代表的な成果でしょう。そこに本書が加わりました。
本書で取り上げられるのは、島地黙雷、松本白華、小栗栖香頂、北方心泉、南条文雄、釈宗演、井上円了、河口慧海、三島海雲、堀至徳、高楠順次郎、藤井日達の十二人です。いずれも明治時代以降に活躍し、中国やインド、ネパール、チベット、セイロン等を訪れて自らの仏教観を確立し、やがては日本の思想や政治に影響を与えた人達です。
国内では廃仏毀釈とキリスト教の流入で仏教界が動揺し、アジア各地では欧米の植民地支配の下で仏教界が疲弊していた当時、アジアを体験した彼らがそこから何を吸収し、そのアジアとどのような態度で接しようとしていたのか。本書は、十二人の思想家「個人」の意識の変貌を丹念に検証することで、近代仏教が抱える様々な可能性や問題を浮き彫りにしていきます。
では、彼らの活躍は近代アジア史の中でどのように位置付けられるのでしょうか。また、現在の我々にどのような教訓と警告を与えるのでしょうか。様々な視点から、興味の尽きない一書です。
インドで生まれた仏教は、後にアジア各地に伝わり、それぞれの土地で独自の発展を遂げました。そうした各地の仏教の現状は、一般にはほとんど知られていません。
本書は、本学教養部准教授の木村氏が編者となり、文学部教授の安藤充氏、元文学部教授の蓑輪顕量氏を含む十八名の執筆者が、アジアの十八の国と地域の仏教の歴史と現状を紹介したものです。フィリピンと北朝鮮を除き、アジアの主要な国々を網羅した本書の企画は、これまでにありそうでなかったものであり、画期的と言えるでしょう。
本書を通して見えてくるのは、今、アジアの仏教界が様々な問題を抱えながらも、活気にあふれていることです。弾圧からの復興を目指す仏教や、伝統的な「出家」のあり方を乗り越えて、社会参加を試みる仏教、国際的なネットワークによる仏教徒の交流など、その姿は多彩です。
しかし、いずれの国であれ、今日の政治や社会、文化を理解する上で、それぞれの仏教事情を把握しておくことが不可欠だということを改めて痛感させられます。同時に、そうしたアジア各国の仏教事情を学ぶことは、日本仏教界にとっても、これから進むべき道を模索する上で、必ずや有益な示唆を与えてくれることでしょう。