道元は、日本曹洞宗の宗祖と位置づけられますが、自らの仏法を「正伝の仏法」と言って曹洞宗の呼称を嫌ったと伝えられています。彼の仏法は、主著である『正法眼蔵』の中で表現されていますが、それは難解な思想書としても知られているものです。
本書で著者は、「道元にとっての坐禅は、禅宗に固有の特殊な修行方法ではなく、開祖釈尊の菩提樹下の「さとり」に直結するものであった。大乗仏教が、その「さとり」を「空」というかたちで継承したとするならば、道元は大乗仏教の真髄を真正面から受け止め、表現したと言えよう。」と述べており、道元の著作の背景に「空」の思想があるとして、『正法眼蔵』の「現成公案」「仏性」「諸悪莫作」の巻を中心に、その文章の理路をたどって、道元思想の核心を明らかにしようとしています。
また、大乗仏教の思想は日本で深められたとし、その担い手として道元と親鸞を挙げて、その真理観と実践観の中核として「仏性」と「善悪」の問題を取り上げ、両者の考えを比較検討しています。さらには、道元の「善悪」や「因果」に対する考え方を明らかにすることを通じて、宗教的善悪観と倫理的善悪観との違いについても検討しています。
禅という枠組みの中で捉えられがちな道元の思想を、再考させる一書と言えましょう。
インドから中国に伝えられた禅は、唐代に六祖慧能(638―713)およびその門流たちによって大いに栄え、禅宗として確立されました。しかし、日本に伝えられた禅宗は、唐朝禅ではなく、宋代(960―1279)に展開した宋朝禅であり、13世紀に臨済宗・曹洞宗として伝えられたものなのです。
しかし、日本禅宗は宋朝禅をそのままの形で導入したわけではなく、既成の日本仏教との接触の中で、日本に成立しうる禅宗が模索された過程を経て形成されたのです。
本書では、そうした視座から、日本禅宗の諸問題を、曹洞宗の宗祖となる道元と東福寺開山の円爾弁円を中心に明らかにしています。
著者は、道元と円爾が13世紀の中盤から後半にかけての日本禅宗の中心的位置にあったとし、既成の日本仏教と宋朝禅の岐路に立った両者の宋朝禅への対応を考察しています。さらには、円爾の活動期およびその後の日本禅宗が如何なる風潮を呈したかを確認するとともに、道元門下に関する諸問題を、『正法眼蔵聞書抄』や瑩山紹瑾などを取り上げて検討しています。
独自の視点からの日本禅宗の動向が提示されており、鎌倉期の禅宗思想史を読み解く絶好の一書と言えるでしょう。
鎌倉時代は、日本仏教にとって一大変革期であり、現代につながる日本仏教の基礎が築かれた時代と言えます。本書では、この時代に現われた法然・親鸞・日蓮・一遍などの祖師を山の頂に譬えて、その尾根筋(系譜)を古代にまで遡り、中世仏教の頂点に至る歴史的系譜を辿っています。
1つの道しるべとして「実践」を掲げ、古代仏教における優婆塞らの浄行に代表される修行実践が、インド仏教以来、宗教としての仏教を支えたとして、宗教における実践修行や身体性の問題を見直しています。
しかし、一方では仏教には高度な理論体系があり、従来の研究は教学面からのアプローチがほとんどであったとして、それらを踏まえながら、実践を軸として教学が進展していく側面から、鎌倉仏教への道を理解しようと試みています。そして、平安仏教では分離する方向へと進みかけた実践と教学を、院政期には再統合しようとする動きがみられるようになり、その中で見いだされたのが信心の重要性であり、信心こそが中世仏教を切り開く原動力となったことを述べています。
実践・信心という新たな視座からの日本仏教史論を提示してくれる興味深い一書です。
平成23年は、明治44年(1911)に大本山總持寺が能登半島から横浜鶴見に移転して以来、ちょうど100周年にあたりました。これを記念して、總持寺を広く紹介する本が2冊出版されました。
『五院ものがたり』は、總持寺二世峨山韶碩禅師の弟子である太源宗真、通幻寂霊、無端祖環、大徹宗令、実峰良秀の各禅師とその門流について、5人の専門家が共同でわかりやすく紹介したものです。
總持寺は峨山禅師の遷化の後、明治時代までの約500年間、この5人の弟子と、彼らが總持寺山内に開いた普蔵院、妙高庵、洞川庵、伝法庵、如意庵という五院の住職によって輪番で支えられました。しかも、その五院の住職も、全国の関連寺院の輪番によって支えられました。その意味で、五院の歴史は總持寺の歴史であるとともに、曹洞宗教団の歴史と言ってもよいでしょう。
『鶴見總持寺物語』は、總持寺の鶴見移転にまつわる経緯と、その後の発展について、郷土史家の視点からまとめられたものです。地元に残されていた数々の資料を駆使しつつも、専門家とは異なった立場から、總持寺の近代史がつづられています。
いずれの本も、曹洞宗関係者のみならず、一般の方々にもお読みいただき、大本山總持寺についての理解を深めていただきたいと思います。
「葬式仏教」という言葉が、しばしば批判的に語られます。また、近年では「葬式離れ」「仏教離れ」という言葉も多く聞かれました。しかし、東日本大震災で多くの方が犠牲になられた後、被災地でそのような声が上がることもなく、そうした言葉の使用はマスコミ等でも影をひそめました。
そもそも、日本人が葬式を仏式で行い、墓石を建てるようになったのはいつ頃からでしょうか。また、それは何故だったのでしょうか。
本書の中で、著者は日本の葬礼習俗の原型は、鎌倉時代に仏教僧が生み出したものだと論じています。しかも、それは鎮護国家の祈祷を行う公務員的な官僧ではなく、そうした制約から逃れた遁世僧が、民衆の求めに応じて始めたというのです。
著者の松尾氏は、これまでも鎌倉時代の仏教を、官僧と遁世僧の区分によって明らかにしてきました。本書は、そうした同氏ならではの研究成果と言えるでしょう。しかも、非常に簡明で、日本仏教とは何かということを、改めて考えさせる一書になっています。
現代の日本仏教にとって、最大の特徴であるとともに、最大の問題が僧侶による肉食と妻帯です。この問題を直接問い質された時、たいていの僧侶はあからさまにいやな顔をするか、質問をはぐらかすかのどちらかかもしれません。しかし、日本仏教が世界の中で「仏教」として認知されるためにも、この問題を避けて通ることはできません。
一般に、この問題は日本の仏教界や僧侶の堕落として語られます。けれども、ことはそれほど単純ではありません。この問題を考えるために、まずは日本の仏教が、その初めから「国家仏教」として国家の管理下に置かれてきた歴史を念頭に置く必要を著者は指摘します。同時に、生贄を捧げる神道の影響や、狩猟や戦闘から離れて生活できなかった民衆との関係も重要な意味を持ちます。つまり、「殺生」の問題と結び付けて論じる必要があるというのです。
この問題の考察を長年続けてきた著者は、平成22年に逝去されました。本書は、著者が遺した目次案をもとにして、関連する既出論文を集めて出版されたものです。その意味で、著者自身のさらなる論考の展開が見られないのは残念ですが、ここから先の考察は、読者である私達に委ねられたのかもしれません。