愛知学院大学 禅研究所 禅について

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禅書のしおり 平成24年度

ネルケ無方著『裸の坊様―異文化に切磋琢磨される禅プラクティス―』(サンガ新書)

ネルケ無方著『裸の坊様―異文化に切磋琢磨される禅プラクティス―』(サンガ新書)

 著者はドイツ人の禅僧で、「無方」は彼の僧名です。高校時代に祖国で禅に出会い、修行のために来日しました。それ以来約30年。現在は兵庫県の山中にある曹洞宗安泰寺の堂長(住職)として、弟子の指導に当たられています。その著者が、禅の思想と修行について、自らの思いを縦横に語っています。

 本書で示されている禅思想の解説は、必ずしもその全てが目新しいわけではありません。しかし、自らの苦悩が赤裸々に語られる場面や、日本人には思いつかない指摘がなされる場面には、しばしばハッとさせられます。とりわけ、僧侶が家庭を持つことの問題や、道場で集団生活を送ることの意義については、それを単純に批判するのでも、また全面的に肯定するのでもない態度が印象的です。

 加えて、著者がドイツ人であるが故に、ナチスに対する反戦教育の成果として、周囲に流されることなく、自らの行動に対する責任と主体性を持つことの重要性が強調される点は特徴的です。そのことが、著者の言う「大人の修行」の原点にもなっています。

 本書では、見慣れた禅の風景が、少し違う角度から描かれています。著者がその前半生を振り返る『迷える者の禅修行』(新潮新書)や、坐禅に誘う『ただ坐る』(光文社新書)もあわせてご覧ください。

佐々木宏幹著『生活仏教の民俗誌―誰が死者を鎮め、生者を安心させるのか―』(春秋社)

佐々木宏幹著『生活仏教の民俗誌―誰が死者を鎮め、生者を安心させるのか―』(春秋社)

 一般に、仏教学は「空」とか「無我」という仏教の教義を研究対象とし、文献学という手法によってその内容を解明することを目指します。ところが、そのような「教義仏教」の研究によって解明する事柄は、実際に人々が行う葬儀や祈祷などとは、必ずしも一致していません。

 著者は、そうした日常的な仏教信仰を「生活仏教」と呼び、そこに込められている人々の思いを考察するためには、従来の仏教学に加えて、人類学や民俗学などの成果を応用する必要を提唱します。

 著者の佐々木宏幹氏は駒澤大学名誉教授で、現在は曹洞宗総合研究センター客員研究員を務められています。人々の信仰の現場を踏まえながら、教義との「あいだ」に橋渡しを行う第一人者です。

 本書では、前著『仏力』(春秋社)で披瀝された見解をより深く掘り下げて、「僧侶とは何か」(第一章)、「死後の世界をどう捉えるか」(第二章)という問題、さらには、東日本大震災がもたらした日本人の宗教意識の変容(第四章)などが論じられています。

 日本仏教は教義から離れて形骸化しているとか、葬祭業に堕しているという単純な批判を行う前に、より広い視点からの再検討を促す、重要な一書と言えるでしょう。

尾崎正善著『よくわかる曹洞宗の行事』(曹洞宗宗務庁)

尾崎正善著『よくわかる曹洞宗の行事』(曹洞宗宗務庁)

 曹洞宗では「行持綿密」という言葉が重んじられます。この場合、一般に年中行事を指す「行事」という漢字ではなく、「行持」という字を用います。これは仏祖や祖師方への供養などの法要を意味し、広くは僧侶の所作や威儀を指します。それに加えて宗門では修行の護持・継続という意味合いが強まり、悟りを得た後も真摯に修行を続けて日々の生活を大切にする姿勢が求められました。

 本書は行持を主に年分行持と臨時行持の二部に分けて解説しています。前半では釈尊が生まれたとされる4月8日の降誕会や、お盆の施食会など、毎年決まった日に行われる年分行持を取り挙げています。後半では新しい住職を寺院に迎える晋山式、一周忌等の年忌や葬儀といった臨時行持の作法を論じています。

 現代の葬儀は簡略化が進み、ともすると儀礼の意味を知らないまま故人を送ることも少なくないでしょう。著者は葬儀の中で行われる僧侶の所作や使用される道具の由来を紐解き、本来の葬儀がどのような流れに沿って進行していたのかを提示しています。

 本書は寺院の徒弟に向けて著わされたものですが、平易で明快な語り口であるため、仏教儀礼に参列する一般の方々にとっても、絶好のガイドブックとなっています。

服部育郎著『インド仏教人物列伝―ブッダと弟子の物語―』 (大法輪閣)

服部育郎著『インド仏教人物列伝―ブッダと弟子の物語―』 (大法輪閣)

 今から2500年前、様々な悩みや苦しみを抱えて暮らす中で、釈尊に出会い、その教えに救われた人々がいます。また、釈尊の死後も、様々な形でその教えに触れて、人生を見つめ直した人々がいました。このような人々を、「仏陀の弟子」と言う意味で仏弟子と言います。

 こうした仏弟子達の物語は、釈尊の教えとともに、数多くの仏典の中に記録されています。それらが、いつ、どこで起こったものかはわかりません。しかし、そうした出会いが、彼らの人生の転機になったことは確かでしょう。

 本書では、代表的な40人の仏弟子達と、釈尊自身の生き方が紹介されています。彼らがいかなる動機で道を求め、どのような葛藤を経験したのか。そして釈尊と出会い、修行に励み、いかにして困難を克服して喜びを得たのか。彼らの体験を通して、私たちも多くを学ぶことができるでしょう。

 ちなみに、仏弟子達の伝承には不確かな点が多いため、本書では常に根拠となる資料が示されています。しかし、決して堅苦しいものではありません。仏弟子達の視線という新たな見方によって、釈尊の教えをわかりやすく示してくれる、お勧めの一冊と言えるでしょう。

立川武蔵編『アジアの仏教と神々』 (法藏館)

立川武蔵編『アジアの仏教と神々』 (法藏館)

 最近の日本では、坐禅や写経などを通して、仏教を学ぼうとする人が増えています。しかし、インドで生まれた仏教がアジアの各地域に伝わり、それぞれの地で土着の神々とどのように向き合い、それぞれの人々の生活や死生観にどのように関わったのかということについては、一般にはほとんど知られていません。

 本書は、こうした視点に立って、アジア諸国の仏教について平易にまとめられており、本学の元文学部教授の立川武蔵氏、蓑輪顕量氏、文学部教授の大野榮人氏、林淳氏を含む21名の執筆者が、フィールドワークの成果にもとづきながら、各地域の死者儀礼、または土着の神々との関係という観点から、仏教の多様な世界を紹介しています。また、我が国における従来の仏教学は主にインド、中国、日本をその対象地域としていましたが、本書には、ベトナムやチベットなど計14地域のレポートと、それに関連した8本のコラムが収録されています。

 神仏を習合し、葬式に関与するようになった日本の仏教と同じように、アジアの各地域にはそれぞれの風土に根ざした、仏と神々が織りなす豊かな信仰の世界が広がっています。本書をとおして、その一端に触れてみて下さい。

ケネス・タナカ著『目覚める宗教―アメリカに出会った仏教・現代化する仏教の今―』(サンガ新書)

ケネス・タナカ著『目覚める宗教―アメリカに出会った仏教・現代化する仏教の今―』(サンガ新書)

 近年、アメリカ合衆国で、自ら真理に「目覚める」仏教が急速に浸透しつつあるそうです。しかも、それはアジアの伝統的な仏教とは異なり、「アメリカ仏教」とも呼ぶべき新しいタイプのものだということです。この状況を、本書は総合的に紹介しています。

 著者は日系アメリカ人で、武蔵野大学教授であると同時に、カリフォルニア等で開教師として活躍した真宗の僧侶です。その体験にもとづいて、著者はアメリカ仏教の特徴を五つにまとめています。

 すなわち、出家者の優位をも否定する平等主義、瞑想を中心とする実践主義、社会問題への積極的な参加、宗派的な壁を超越する傾向、そして、これらの帰結としての個人化宗教という特徴です。

 その一方で、こうしたアメリカ仏教にはいくつかの問題が潜んでいます。その中でも、伝統の軽視がもたらす影響には、懸念すべき点も多くあることが指摘されています。

 だが、いずれせよ、本書が指摘するアメリカ仏教の特徴は、アジアの現代仏教にも共通する要素を含んでいる一方で、これからの日本仏教のあり方を考える上でも、重要な示唆を与えてくれます。

 本書に関心を抱き、より詳しい情報を知りたい方には、同著者が2010年に上梓された『アメリカ仏教』(武蔵野大学出版会)をあわせて読むことをお勧めします。

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