愛知学院大学 禅研究所 禅について

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禅書のしおり 平成25年度

吉田道興編著『道元禅師伝記史料集成』(あるむ)

吉田道興編著『道元禅師伝記史料集成』(あるむ)

 これまで曹洞宗の研究と言えば、『正法眼蔵』によって道元禅師の思想を解明することに偏ってきたきらいがあります。しかし、それだけでは十分ではありません。道元禅師の行状を詳細に知ることもその思想を解明する手立てとなるはずです。

 本書は、道元禅師伝の根本史料である『建撕記(けんぜいき)』の諸本を対校した河村孝道博士編著『諸本対校 永平開山道元禅師行状 建撕記』(大修館書店)に刺激を受けた著者が、それに続くものという思いから、60篇余の道元禅師の伝記史料を十種十五系統に分類し、系統別に対校し、綿密な解題を付したものです。

 著者の吉田氏は、道元禅師の研究を進めていく中、曹洞宗教団における歴史上の道元禅師像の位置付けをなすべきであるという思いを抱くようになり、道元禅師伝の比較研究を始められました。そして、広い視野で対比しながら分析するには、できるだけ多くの史料を集めることが必要であると感じ、70本程の伝記史料を収集し、四半世紀にわたる地道な研鑽を経て本書を完成させるに至りました。

 本書は、道元禅師の実像を解明するにとどまらず、曹洞宗の教団史、信仰史を知る上での貴重な材料を後学に提供してくれる唯一無二の書と言えるでしょう。

田上太秀著『ブッダの最期のことば』(NHK出版)

田上太秀著『ブッダの最期のことば』(NHK出版)

 釈尊は、臨終の間際に「世間は諸行無常のゆえに怠(なま)けるな」という言葉を残されました。その中には、釈尊の80年の生涯が総括されていると言えるでしょう。

 この遺言を伝えているのが「涅槃経」です。しかし、「涅槃経」には二つのものがあります。一つは釈尊の死後、その晩年の日々の足取りと言葉を記録した西暦紀元前のもの。もう一つは、西暦紀元後に、大乗仏教の立場から釈尊の教えを説くために新しく作られた経典です。

 本書は、この二つの「涅槃経」をもとにして、そこに込められている釈尊の教えを解き明かそうとするものです、そのために、著者は人間の本性とは何か、ブッダとは何か、人間の業とは何か、そして、どうすれば苦しみから逃れられるのかという問題を、様々な経典の記述を参考にしながら考察し、釈尊の遺言の真意に迫っていきます。

 著者の田上氏は、先年、新しい「涅槃経」の解説を全四巻にまとめられた「涅槃経」研究の第一人者です。本書は、田上氏が、一年間にわたって出演したNHKテレビ「こころの時代」のテキストに加筆したものです。そのため、文章は平易なものですが、豊富な内容を含んでいます。

 「怠けるな」という最期の言葉を手がかりに、釈尊の教えを見つめ直すことも素晴らしいのではないでしょうか。

西村実則著『ブッダの冠―仏・菩薩の持ち物〈考〉』(大法輪閣)

西村実則著『ブッダの冠―仏・菩薩の持ち物〈考〉』(大法輪閣)

 数ある仏像の中には、大日如来や観音菩薩のように、冠や水瓶など、様々なものを身に付けているものがあります。これらの仏たちは、いつ頃からそうしたものを持つようになったのでしょうか。

 従来、仏たちの持ち物に関しては、美術史の立場から論じられてきました。けれども、本書では、それを初期仏教の視点から解説しています。

 釈尊は、「移ろいゆくものに執著するから、苦しみが生まれる」と説き、出家者に対して遍歴遊行の生活を義務づけ、必要最低限の衣と鉢の所持しか認めませんでした。しかし、釈尊の没後、修行者たちは信者から土地や僧院の寄進を受けて、定住生活を始めました。さらに、香や薬、水瓶、数珠、冠など、様々なものを所持するようになったのです。

 著者の西村氏は、その背景として、修行者は自らに施されたものはすべて受け取らなければならないという、当時の教団の考え方の存在を指摘します。また、持ち物に関する規則が緩和されたもう一つの理由として、同氏は、極端を避けよという釈尊の「中道」の教えに注目しました。

 仏像や、そのモデルとなった修行僧たちが多くのものを所持するようになった由来を振り返ることで、仏教信仰の変遷の跡をたどるのも一興ではないでしょうか。

立川武蔵著『ブッダから、ほとけへ―原点から読み解く日本の仏教思想―』(岩波書店)

立川武蔵著『ブッダから、ほとけへ―原点から読み解く日本の仏教思想―』(岩波書店)

 インドの諸宗教は、人間の欲望の制限や否定を特徴としています。日本仏教は、このインドの「否定」の伝統を受け継ぎました。そこには、心の作用の抑止を目指す禅と、人間の「はからい」を否定して仏に帰依する思想、この2つをあわせた密教の伝統という3つの「否定」が見られます。本書は、この「否定」という観点にもとづいて、インドから日本までの仏教の思想の変遷をたどります。

 前半の「ブッダから」では、インドの初期仏教から初期の大乗仏教までが論じられます。この時代の仏教は、悟りを目的とする「個」の思想という点に特徴がありました。一方、後半の「ほとけへ」では、大乗仏教の確立から密教の成立をへて、日本仏教の展開までが扱われます。これ以後の仏教は、多様な如来(ほとけ)が大衆を救済するという宗教に変貌していきました。

 ただし、仏教はただ「否定」を説いただけではありません。否定された後に、すべてのものを聖なるものとして蘇らせることによってこそ、仏教は人々を支えてきたのです。

 著者の立川氏は、長年、アジア各地の仏教思想を多面的に研究されており、先年までは本学文学部教授を務められました。「否定を通じての蘇り」という、著者独自の視点をとおして仏教の歴史を俯瞰するとともに、欲望の肯定と追求に根ざす現代文明への批判と提言の書として、一読されることをお勧めします。

鈴木隆泰著『仏典で実証する葬式仏教正当論』(興山舎)

鈴木隆泰著『仏典で実証する葬式仏教正当論』(興山舎)

 わが国の仏教は、しばしば「葬式仏教」と批判されています。おまけに、それは釈尊の説いた「本来の」仏教とは異なるとか、近年では、葬式そのものが不要であるという言説も多くみられます。しかも、そうした主張をする人々は、いかにも学問的な根拠にもとづいているかのような発言を繰り返しています。しかし、それは本当に正しいものでしょうか。

 本書の著者の鈴木氏は、第一線のインド仏教の研究者です。その鈴木氏の結論は、従来の葬式仏教に対する批判の多くが、原典の誤読や誤解にもとづいているというものです。釈尊は、僧侶が葬式に携わることを禁止していないし、祈祷を行ったり、戒名を授けたりすることも、インド仏教に由来することが文献にもとづいて立証されています。その上で、「葬式仏教」の本質を読み解く鍵は、「金光明経」という大乗仏教の経典にあると論じられています。

 本書は、もともと雑誌『寺門興隆』(現『月刊住職』)に連載されていたものですから、文章はいたって平易です。従来の通説から離れ、仏教の本質を見つめ直すためにも、絶好の一書と言えるでしょう。

佐藤悦成編『現代社会と宗教』(成文堂)

佐藤悦成編『現代社会と宗教』(成文堂)

 宗教と聞くと、古い伝統を守り続けてきた印象を持たれる人も多いようです。しかし、変化せずに生き残ってきたように見える宗教も、文化交流などをへて、その社会に適した形に変容してきました。

 本書は地域に根付いた宗教の過去と現在を俯瞰し、特に仏教を取り巻く現状が、いかにして形成されたかを探求しています。日本・アジア・欧米の3地域をとりあげ、各地域を研究対象とする執筆者が、意欲的なフィールドワークをもとに論考を行っている点も特徴的です。

 第一部では、日本の葬送儀礼の成立過程や、吉凶を占う六曜に対する現代人と先人達との距離感の違い、また、東日本大震災以降の環境問題について、宗教的観点からの展望をみることができます。第二部は、インド・東南アジア・中国と広域にわたる調査が展開されています。それぞれに共通するのは、経済の振興と呼応するかのように、宗教も新たな光となるべく、生活に寄り添いながら変容していく熱量を持っていることです。第三部では、キリスト教文化圏の人々が、仏教を新たな価値観として受容しつつある現状が浮き彫りとなっています。

 本書は宗教の専門知識を持たない方にも手に取っていただける内容となっており、現代における宗教を考察する際の必携の書といえます。

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