本書は、本学名誉教授である吉田道興氏が、40年を超える研究生活の中で書かれた論文から、道元禅師や曹洞宗に関わるものを中心に収録されています。
題名の通り内容は2部構成で、第1部の伝記編は、道元禅師伝研究に関わる29本を全11章に収め、また、第2部は思想編で、道元禅師や曹洞宗の思想研究に関わる24本を全7章に収めています。
全体として、思想的体系化はされていない反面、40年以上の期間に書かれた論文からは、各時期において、重要とされた論点の移動を見ることが出来ます。
第1部には「道元禅師伝の粉飾的記事」と題された章が3つあります。これは、近年の禅宗史研究では広く共有された方法論で、史伝的な記述について後代の付記を無闇に否定せず、むしろ各時代性に裏付けられた思想や信仰を見ることに努めています。
第2部の思想編も、ただ教団のドグマに依拠した研究ではなく、道元禅師伝の検討を厳密な形で行いつつ、思想の解明を探った内容が主であり、筆者の立場は明確です。
本書は、筆者が既に世に問われた『道元禅師伝記史料集成』(あるむ・2014年)と対をなすものですが、両方ともに、道元禅師伝研究を目指す人にとり、必読の研究書であるといえましょう。
唐代中期(8世紀)の僧、馬祖道一は、その逸話が語録や公案という伝統的禅文献の核心となった黄金時代・古典禅の立役者と考えられてきました。しかし、近年では、古典禅は宋代の禅僧が禅宗を円滑に発展させるために、後代になって再構築した姿であるという解釈が登場しています。本書では、過去に注意が向けられていなかった『宝林伝(ほうりんでん)』などの資料を含めて幅広く史料に光をあてます。宋代以降の禅宗の伝統的観念と視点の影響を除去し、古典的な禅の宗旨に新たな解釈と分析を加えています。特筆すべきは、これまで見落とされがちだった中国各地の碑文や近年出土した、石刻資料による語録・灯史との比較検討です。信頼しうる伝記的要素と、神異・誇張の色合いの強い聖人伝的要素を丁寧に弁別しています。それにより『祖道集(そどうしゅう)』と『景徳伝灯録』よりも早い時期に成立したであろう機縁・問答の記録を浮かび上がらせています。本書では、中唐における禅宗の興亡、晩唐における洪州(こうしゅう)系の文化と石頭系の勃興、5代における多岐にわたる法系の開花を、馬祖道一とその後裔を中心に紐解いています。古典禅は完全に宋代の僧侶が創り出した神話というわけではなく、歴史上に存在し、活力に満ちあふれた伝統であることを証明する一冊です。
供養を含めた寺院行事の行法は地域差こそありますが、おおむね「清規(しんぎ)」に則って執行されています。つまり、「清規」には行事行法や民衆教化の様態などを知る重要な史料として位置づけることもできるのです。
本書は、この清規を主な史料として、死者という観点から日本禅宗における儀礼や実践の諸相を取り上げ、追善供養の役割や意味を3部8章から浮き彫りにしています。
第1部は、飛鳥・白鳳時代の銘文から追善供養の淵源を辿っています。更に中世全体を通し、複数の清規や書物を取り上げ、追善供養や行法の検討・解明がなされています。第2部は、近世禅宗における追善供養の展開について記しています。檀家制度や近世の出版文化と供養儀礼を関連させ、展開しています。更に、加賀大乗寺を事例に史料を用いて検討しています。第3部では、近代に変容した追善供養について論じています。仏僧や知識人らの追善供養の位置付けや、各宗派の供養の次第や行法を宗教新聞や仏教供養団の機関紙を用いて記されています。
曹洞禅を中心にした死者供養の儀礼清規や日鑑を基礎史料として民俗宗教的立場で論じた、死者供養の宗教学的考察といえます。
本書は、『上座部仏教の思想形成―ブッダからブッダゴーサへ―』(春秋社、2008年)の著作もあり、初期仏教を専門とする著者が、仏教の誕生とその歴史的展開について解説したものです。
筆者は、聖典の読解につい て、㈠読み手が現代的な視点で自由に解釈する読解、㈡教団の正統的な教学にもとづく伝統的読解、㈢歴史の文脈のなかで解釈を追求する歴史的読解の三つを挙げ、第三の立場を取ることを明言しています。そこでは、仏典を資料として批判的に検証した上で、仏典を取り巻く歴史的状況を考察し、恣意的な解釈を慎み、文献学的に正確な読解を目指しています。根拠にもとづく理解を目指しており、読者が本書に依って新たな思索を行う場合にも、確かな指針を提示してくれましょう。
本書は、近年、急速に進められている律蔵についての研究成果も取り入れ、初期仏教教団の状況や三蔵の成立について詳しく解説しています。また、1990年代中頃からその存在が知られるようになったガンダーラ写本についても言及し、そこから初期の仏典の伝承形態も考察しています。後半では、四聖諦をはじめとするブッダの基本的な教えも資料にもとづき説明され、本書により、初期仏教についての必要十分な知識を得ることができます。
インドから中国に帰った玄奘三蔵の漢訳により広く流布した『般若心経』は、東アジアのみならず、仏教の歴史の中でも、思想史上においても甚だ大きい影響力を持っています。そのため、今日に至るまで、数多の註釈が施され、研究が積み重ねられてきました。本書は、『般若心経』そのものではなく、そうした註釈書に焦点を定め、和訳し解説を加えています。
具体的には八種の典籍が収録されています。中国・朝鮮の註釈として、玄奘の直弟子である基と円測の註釈が二本、法蔵、明曠(みょうこう)、浄覚、慧忠という華厳・天台・禅の註釈が四本、収められています。一方、日本におけるものとして、最初の註釈である三論宗の智光、及びその後に成立する真言宗の空海による二本が採り上げられています。このように、いずれも特徴のある註釈書が厳選されていますので、本書は、宗派の枠を超えて、それぞれの立場から客観的に『般若心経』の理解を鳥瞰することができる良書といえましょう。
なお、本書は以前刊行された『般若心経註釈集成〈インド・チベット編〉』(2016年)に続く研究書です。〈中国・日本編〉とあわせて、お読みになってはいかがでしょうか。
昨今、「規格外」の事物は切り捨てられる傾向にあります。勿論、学問の中でもそれは生じており、この「日本宗教史」においても同じことでした。これまで日本宗教史研究は、近代主義的な視点や立場性の所与を前提とし、それ以外の問題や出来事は捨象される傾向にありました。そこで、従来の日本宗教史像の再構築を試みたのがこの一冊です。
本書は2014〜16年度に京都大学で実施された共同研究「日本宗教史像の再構築」を基に編纂され、大きく二つのアプローチがされています。一つは日本宗教史像を語り直しとして、既存の学説史を学問の思想的ないし社会史として捉えようとしています。もう一方は、日本宗教史について宗教学・歴史学・民俗学など様々な角度からアプローチがなされています。
日本宗教史のキーワードとなる様々な出来事が収録されています。ですが、従来教科書とは違うマニアックな観点で構成され、各項目で解説が書かれています。この点からも日本宗教史の新たな見方を掲示し、更に従来の日本宗教史像を再構築することを目指した一冊といえるでしょう。
冒頭には座談会の様子を収録していますが、本書全体の導入的役割となっています。各項目、どの箇所から読み始めても興味・関心をひきつけさせるような一冊となっています。