愛知学院大学 禅研究所 禅について

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禅書のしおり 令和3年度

岡島秀隆著『対話哲学としての道元思想』(法藏館)

岡島秀隆著『対話哲学としての道元思想』(法藏館)

 本書は、道元禅師の哲学に向き合った、著者の30年以上に亘る研究の集大成となっています。

 本書において採用されるのは、著者が「比較解釈学的方法」と呼ぶ方法論であり、20世紀に市民権を得た「解釈学」の方法に、複数の分野に渡る「比較学」というアプローチを加えたものです。

 著者は道元禅師の思索を、様々な角度から「対話哲学」として捉えています。

 第一編では、「自然との対話」として禅師の自然観や世界観、「人間との対話」として禅師の人間観が明らかにされます。第二編では、比較思想の方法論が導入され、西洋哲学を含む東西宗教思想の「対話」から、道元禅師の思想に対する考察が深められます。第三編は、「道元教説と現代社会」と題され、道元禅師の著作との「対話」から、現代社会の諸課題に対する著者の思索の営みが綴られています。

 著者は、宗教哲学や比較思想の研究に長く携わり、道元禅師の思想をより普遍的に捉える努力を重ねてきました。その成果が纏められた本書は、専門家だけでなく、広く一般の読者にも、道元禅師の思想との対話の道を開いてくれるでしょう。

『洞谷記』研究会編『現代語訳瑩山禅師『洞谷記』』(春秋社)

『洞谷記』研究会編『現代語訳瑩山禅師『洞谷記』』(春秋社)

 瑩山禅師(けいざんぜんじ)は、一般にはあまり知られていないようですが、鎌倉時代の日本曹洞宗黎明期に、教団発展の礎を築いた人物です。その禅師の晩年の日記を中心に編まれたのが『洞谷記(とうこくき)』です。

 本書は、漢文体で書かれた『洞谷記』に、現代語訳を施し、難解事項については詳しい注を付け、画像やコラムを挿入し、一般の読者にもわかりやすい内容に仕上げられています。

 瑩山禅師は、徳島県城萬寺(じょうまんじ)、石川県大乘寺、同永光寺(ようこうじ)、同總持寺など多くの寺院を開創、歴住していますが、中でも永光寺を最も崇重すべき寺院と位置付けており、『洞谷記』には、その開創から晩年の様子が禅師の思いを含めて述べられてれています。また、禅師の語録や現在の曹洞宗の行持にもつながる法要の次第なども記されており、当時の曹洞宗の状況を具に伝えています。そればかりでなく、本書では、冒頭に二編の解説を載せ、『洞谷記』の特徴や価値、瑩山禅師の位置づけや人物像にも迫っています。

 これまで永平寺、道元禅師に偏重していた曹洞宗に対する認識に、一石を投じる一書と言えるでしょう。

木村文輝著『なんとなく、仏教 無宗教の正体』(創元社)

木村文輝著『なんとなく、仏教 無宗教の正体』(創元社)

 本書は、日本人の宗教観、仏教観について、わかりやすい話し言葉でまとめられた入門書です。

 書名にある「なんとなく」という言葉は、「曖昧な」といった否定的なニュアンスと、「言葉では論理的に説明できないけれども、感覚的、あるいは直観的にそう思う」という肯定的なニュアンスを持ちますが、著者は、日本人の宗教観を、後者の肯定的な意味で表現しようとしています。

 著者は、「日本人は、仏教や宗教を、言葉や論理で説明するよりも、むしろ心や感性で感じ取っている」と指摘し、この「なんとなく」という宗教心の正体を、言葉に置き換え説明したいという思いが、執筆の動機とされています。

 本書を通して、日本人の宗教観を知るとともに、仏教的見地からの考察に学び、私たちが身近な問題を考えるヒントも得られるはずです。

奥村正博著・宮川敬之訳『「現成公按」を現成する―『正法眼蔵』を開く鍵』(春秋社)

奥村正博著・宮川敬之訳『「現成公按」を現成する―『正法眼蔵』を開く鍵』(春秋社)

 著者は内山興正(うちやまこうしょう)(1912〜1998、澤木興道(さわきこうどう)の弟子)のもとで出家得度し、1975年に渡米しました。それ以来、日米両国において、坐禅の指導と実践を行うかたわら、道元禅師および内山興正の著述の英語への翻訳・解説を精力的に行っています。著者がこれまでに英語で公刊した書は20冊以上にのぼり、その中にはフランス語・ドイツ語・イタリア語・ポーランド語に翻訳されているものもあり、世界的に読者を集めています。本書は、著者が米国で出版した“Realizing Genjōkōan―TheKey To Dōgen's Shōbōgenzō”Wisdom Publications, 2010.の全訳にあたります。上梓されてから10年以上が経過していますが、日本語版でしか読むことの出来ない加筆も施されています。本書では著者による実践と修行の実際に照らしつつ、『正法眼蔵』の筆頭に置かれる「現成公按」巻の読解が行われます。また、難解な日本語で書かれた『正法眼蔵』の意味内容が英語圏の人々に適切に伝わるよう、きわめて慎重で精緻な読解が目指されている点は大きな魅力となっております。各国で親しまれている著者の成果は、日本ではほとんど知られておりませんので、ある意味で「世界基準」の『正法眼蔵』解釈に触れてみてはいかがでしょうか。

しのざきこういち著『道元禅師のワンダーランド』(てらいんく)

しのざきこういち著『道元禅師のワンダーランド』(てらいんく)

 著者は、歴史小説を発表している小説家で、本書は道元禅師の生涯をたどった小説となっています。道元禅師を扱った小説はこれまでにも、立松和平『道元禅師』(東京書籍、後に新潮社より文庫化)・水嶋元『小説道元』(東洋出版)・大谷哲夫『永平の風』(文芸社)などが発表されています。本書は、これまでに発表されてきた小説と、やや趣きを異にしています。本書には、「ピュアな禅の世界で「本来の面目(まことの自分)」探し」という副題が付されており、そのため、『正法眼蔵』や『正法眼蔵随聞記』など道元禅師の著述の内容が著者流の現代語訳で、たびたび登場します。また、理解を助けるべく、中国禅の著名な公案(趙州柏樹子(じょうしゅうはくじゅし)・南泉斬猫(なんせんざんみょう)など)を、道元と弟子のやりとりとして掲げられます。本書に登場する道元禅師は、孤高の禅僧というよりも、人間味のあるお坊さんといったテイストに仕立て上げられています。一風変わった道元禅師に触れてみたい方はお手に取ってみてはいかがでしょうか。

師茂樹著『最澄と徳一―仏教史上最大の対決』(岩波書店)

師茂樹著『最澄と徳一―仏教史上最大の対決』(岩波書店)

 「グローバル社会のなかで、異なる宗教や文化のあいだの対話が可能なのか」。本書は、こうした問題意識のもとに著されました。著者は宗教者ではなく、文献学や思想史研究の訓練を受けた研究者を自称します。

 天台宗の最澄(766―822)と法相(ほっそう)宗の徳一(生没年不詳)のあいだで戦わされた大論争は、後に「三一権実諍論」などとよばれます。本書では、この論争が「わかりやすいストーリー」に落とし込まれて叙述されています。

 書名からすると、この2人の対決がメインテーマであることに違いはありませんが、著者が主張したいことはこれだけにとどまりません。より広い視野から「論争とは何か」「対話とは何か」が追究されています。

 また、第五章「歴史を書くということ」では、歴史修正主義への批判が展開されます。「実用的な過去」と「歴史学的な過去」を対置し、後者の暴力性を指摘しつつも、前者の過激化を戒める内容となっています。

 本書は、仏教学の本であり、歴史の本でもあります。同一著者による『論理と歴史―東アジア仏教論理学の形成と展開』(ナカニシヤ出版)とあわせてご一読ください。

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