愛知学院大学 禅研究所 禅について

愛知学院大学 禅研究所 禅について

禅書のしおり 令和7年度

末木文美士著『道元 実践の哲学―身心論から読み解く『正法眼蔵』』(角川選書)

末木文美士著『道元 実践の哲学―身心論から読み解く『正法眼蔵』』(角川選書)

 本書は末木文美士先生が2020年から行われた、未来哲学研究所のオンラインセミナーを元に執筆されたものです。道元禅師『正法眼蔵』を身心論から読み解き、中でも「身心学道(しんじんがくどう)」「道得(どうとく)」「観音(かんのん)」巻を検討しています。

 初めて『正法眼蔵』を学ぶ人のために、冒頭で道元禅師の伝記や、読むべきテキストが紹介されておりますので、手に取りやすいと思います。

 読解時には、各テキストの注記も参照していますが、江戸時代以前の古注も参照しています。実際には古注を読むことにも学びが必要ですが、正しく内容を把握するという目的が明示された上での学びですので、そう容易に読解し得ないものだと納得して読んでいく必要があります。

 また、鎌倉時代初期の仏教思潮も広く紹介しながら、その中に道元禅師を位置付けようと試みているのも本書の特徴です。特に、ここ50年ほどで、鎌倉時代の仏教は、研究成果が多く出ており、その最新の状況も知ることが出来る著作です。

 道元禅師は身心一如として我々の身体と心を考えますが、その概要が知られる1冊です。

衣川賢次著『趙州録講義』(禪文化研究所)

衣川賢次著『趙州録講義』(禪文化研究所)

 本書は禪文化研究所講師の衣川賢次先生が2022年から3年掛けて行われた『趙州録』の講義について、訳注原稿を元に書籍化されたものです。唐代の趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)禅師(778〜897)の生涯を「池州南泉山」「従諗和尚の行脚」「趙州観音院」の三期に分けて講義され、更に「趙州真際禅師行状」も訳注されていますので、趙州禅師を広く学ぶことが可能です。

 中でも、「趙州観音院」項では圜悟克勤(えんごこくごん)『碧巌録』での趙州の採り上げ方も紹介され、唐代のみならず、宋代の禅の様子も検討されていますので、各時代の祖師方の関心事を比較しながら学べます。

 趙州禅師には「狗子仏性(くすぶっしょう)」話や「庭前栢樹子(ていぜんはくじゅし)」話といった禅宗でも特に多く学ばれた公案が残されていますが、本書では唐代の禅僧たる趙州禅師が、どの意味で用いたものか、正確な読解を行っています。更に、趙州禅師に因む各公案が、宋代以降の禅僧に、どのように読まれたかも検討されています。

 その1つ、趙州禅師による対話の原則的立場だとされた「庭前栢樹子」について、道元禅師『正法眼蔵』「栢樹子」巻を採り上げ、大慧流の公案禅でも、黙坐一辺倒の黙照禅でもないとし、洞山良价禅師が自身の問題として主題化していた「自己と主人公」の課題を引き継いだ「己事究明」の姿勢として読まれたと評しています。

 禅僧の公案が難解だというイメージを持っている人は、本書を読むことで完全に変わることでしょう。

並川孝儀著『パーリ語初期韻 文経典にみる 最古の仏教』(春秋社)

並川孝儀著『パーリ語初期韻 文経典にみる 最古の仏教』(春秋社)

 仏教の開祖ゴータマ・ブッダの教えの原像を明らかにすることは、仏教を学ぶ者にとって避けて通れない課題です。本書は、インドで成立した原始仏教(初期仏教)を伝える初期経典のうち、より古い成立とされる韻文経典の説示を手がかりに、最古の仏教の姿を考察することを目的としています。

 初期経典は、韻律に従った韻文経典と散文経典に分けられ、前者がより古いと考えられています。著者は荒巻典俊氏の説を踏まえ、初期韻文経典を最古層、古層、新層の3層に区分し、最古層の経典から仏教の根本的立場を探り、古層および新層の経典によってその展開過程を検討するという方法を採用しています。

 各章ではブッダの教えがどのように説示され、体系化されたかが個別に論じられますが、特に第3章では、漢訳で「念」とされるsataまたはsatiの概念が、筆者によって「自己の存在に対する正しい自覚」と解釈され、初期仏典において悟りへの修行の中核概念として位置づけられていることが論じられており、注目されます。

 本書は、最古の仏教を多角的に検討した労作として、仏教を学ぶすべての者に示唆を与える1冊です。

池平紀子著「中国撰述仏典研究の新展開 儒仏道三教の交渉」(臨川書店)

池平紀子著「中国撰述仏典研究の新展開 儒仏道三教の交渉」(臨川書店)

 中国に伝来した仏教経典のうち、インド成立の体裁をとりながら中国で作成されたとされる文献は、「疑経」や「疑偽経」と称されてきました。これらの経典は、仏教が中国社会に定着する過程で重要な役割を果たし、中国および日本を含む東アジアの宗教思想・宗教文化を豊かにしてきました。そのため、否定的な印象を伴う「疑偽経」という語を避け、近年では「中国撰述経典」という呼称が一般的に用いられています。本書は、中国思想研究の立場から、仏教経典を儒教・道教の経典やその他の中国文献と比較することを目的とし、「中国撰述仏典」という名称を採用しています。

 本書の特色は、南北朝の北魏・劉宋以降から隋唐期にかけての在家・初修信者の日常規範としての「戒」や「応報」に関する文献を主に取り上げ、儒教・道教との比較を通して、中国社会に広く受容された思想のあり方を考察している点にあります。

 さらに、『仏説提謂経』が天台智の懺悔行に取り入れられ、その影響下で『占察善悪業報経』が成立したことを論じるなど、仏教思想研究においても重要な示唆を提示しています。本書は、中国思想に関心をもつ幅広い読者にとって参照すべき1冊です。

田中洋平著『住職たちの経営戦略―近世寺院の苦しい財布事情』(吉川弘文館)

田中洋平著『住職たちの経営戦略―近世寺院の苦しい財布事情』(吉川弘文館)

 江戸幕府が民衆統制のために行なった寺請制度は、全国民を寺院の檀那とするもので、民衆は禁制宗門の信者でないことの証明を檀那寺からしてもらう必要がありました。こうした寺院は、寺請寺院(宗判寺)と呼ばれ、葬儀や法事を檀那に義務づけます。

 これに対し、著者が注目するのは、寺請の権限をもたなかった近世の寺院(著者はこれを祈禱寺と称していますが、ここでは非宗判寺とします)です。こうした寺院の実態は、これまでよく知られていませんでした。

 本書によれば、檀家をもたない非宗判寺は、零細な寺院が多かったようです。檀家の布施に頼ることができないため、寺院所有地の地代、竹木の売却、祠堂金の運用、村の鎮守の別当を務める、といった方法で、何とか経営を維持していましたが、村の過疎化により、無住や廃寺となる寺院が多く、残された堂宇の管理は地域住民に任され、大きな負担となっていた実態が浮き彫りにされます。

 借金の残った寺院のつけ、先代住職の生活費は、後継住職の持参金で工面しなければならない慣例もあったといいます。

 本山や本寺、地域住民との関係のなかで、寺院存続のために苦闘する住職の姿に関心を寄せる著者の視線は、人口減少とともに寺院の減少が進む現代的な問題にも注がれています。

大西信行・佐藤雄基編著『日本史を宗教で読みなおす』(山川出版社)

大西信行・佐藤雄基編著『日本史を宗教で読みなおす』(山川出版社)

 高等学校で日本史を選択した読者は多いのではないでしょうか。本書は、日本史の教科書に登場する「宗教」の記述に注目し、最新の研究成果に基づいて一般化した「常識」を検討する内容となっています。

 日本史の教科書で取り上げられる宗教といえば仏教が多く、仏教の伝来、鎮護国家、鎌倉新仏教へといった形の通史で記述されます。しかし、われわれが教科書から学んだ事柄は、研究の積み重ねにより、日進月歩で更新されています。例えば、仏教の伝来で紹介される史料は信憑性に乏しく、氏族の立てた寺院の考古学的な研究に依拠し、氏族が百済からいかに仏教を移入しようとしたのかを明らかにすべきとされます。また、日本の在来の神と仏教の仏菩薩との関係が融合する「神仏習合」のあり方も、もとは中国大陸の風習を留学僧が日本に持ち帰って移殖したものであること、鎌倉新仏教の代名詞とされてきた民衆とのつながりも、天台・真言・南都六宗の顕密仏教のもとでは脆弱であり、鎌倉新仏教をもって中世の仏教を代表させる現在の教科書の叙述は、実態を見誤ることになるといいます。

 このように本書は、古い常識をアップデートする刺激的な論考で構成されています。

愛知学院大学 フッター

PAGE TOP▲