愛知学院大学 禅研究所 禅について

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禅語に親しむ  平成15年度

一日不作、一日不食(著・河合泰弘)

 インドの仏教では、出家者が自ら耕作をして食物を得ることを硬く禁じていました。そこで出家者たちは托鉢乞食(こつじき)や信者からの布施によってその日その日の糧を得るという生活をしていました。中国でもその伝統がしばらく守られ、インドから中国に渡り禅を伝えた達磨やその弟子の時代には、そのような生活がされていたようです。

 信者が多い都市で活動し、しかも少人数の集団ならそれも可能だったでしょうが、中国禅宗は、都市を離れ、山岳地帯や田園地帯にその地盤を築くようになり、さらには四粗道信(580〜651)のもとには500人もの修行者が、六祖慧能(638〜713)の門下には僧俗合わせて3500もの人が集まったとされ、信者の布施だけに頼っていたのでは寺院経営は成り立たたなくなっていました。そのような寺院を取り巻く環境の変化にともなって、出家者たちは、生活の手段として耕作労働をするようになったのです。

 このように、やむを得ずされるようになった耕作労働でしたが、百丈懐海(749〜814)において、その捉え方が劇的に変化しました。それを示しているのが「一日不作、一日不食」ということばです。「一日はたらかざれば、一日食らわず」と訓読しますが、これには次のようなエピソードがあります。百丈は、毎日の食物は自ら生産し、必ず修行憎の中で率先して労働をしていました。年をとってからも同じようにしていましたが、ある日主事(寺の運営役)が、見かねて農具を隠して休息を願いました。百丈は農具を探しましたが見つからず、自分に徳がないから、人の厄介になれないと考えその日は食事をとりませんでした。「一日不作」の「作」というのは、作務すなわち労働をすることです。この話では、インド仏教では禁じられた労働が、もはや単なる生活の手段ではなく、"仏のはからい″であり"仏のすがた″であることを示しているということです。つまり、労働をするという日常生活のあり様が、実は仏法そのものであることなのです。

 われわれも学業を終えれば生活していくために働かなければなりません。しかし、ひとつの職に就き専念していくと、その道のプ口になるばかりでなく、同時に豊かな人間性も育まれていくと思います。そのような示唆がこの話には含まれているのではないでしょうか。

 また、禅院での生活というのは多くの修行者たちによる集団生活です。集団生活には必ず規則が必要となります。国には憲法や法律、学校には校則があるように、禅院には清規(しんぎ)とよばれる生活規範があります。それらを守ることによって、集団の秩序が維持されるのです。禅宗で初めて清規を定めたのが百丈なのです。そのような清規制定の精神も、この話の中にあらわれているのではないでしようか。

 われわれは、複雑かつ変化の激しい世の中を生きています。ややもすると、自分のことしか考えず、しかも楽に生きたいと考える人が少なくないと思います。それがトラブルや事件に発展することもあります。そのような風潮に対する訓戒としてこのことばを捉えてみてはどうでしょうか。

(短期大学部助教授)

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