愛知学院大学 禅研究所 禅について

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禅語に親しむ  平成30年度

冷暖自知(著・山端信祐)

文字や言語は、日常生活において非常に便利なものである。だが、時に自分の意図するところが相手に伝わらないこともあり、その限界を感じるときもある。

インドから伝来した禅は、個々の体験を重視し、多くの覚者を誕生させてきた。禅僧同士の問答は、自分の到達した境地を言葉で表現しているが、非常に難解な回答が多い。禅の神髄の境地は、そこに到達した僧しか得られないものである。まさに、そのことをあらわしている禅の言葉が「冷暖自知」であろう。

この禅語は『禅林類聚(ぜんりんるいじゅう)』や『景徳伝灯録』など、多くの禅籍に収録されている。ここでは『無門関』第23則の「本則」に記されている内容を少し紹介しよう。蒙山慧明(もうざんえみょう)は、五祖弘忍より受け継いだ衣鉢を持っている大鑑慧能を追っていた。大庾嶺(だいゆれい)で慧明が慧能に追いつくと、慧能は受け継いだ衣鉢を岩の上に置き、それを慧明は取ろうとするが持ち上げられない。すると慧明は素直な気持ちで慧能に教えを請い、得悟に至った。真実に至った慧明が、その感情を語った言葉の中に「如人飮水、冷暖自知」とある。

冷暖自知とは、自らその水を触れたり飲んだりすることで、はじめて水が温かい、冷たいと判断できることである。慧明は、悟りの境地は他人から教わるのではなく、自ら感得するものと知ったのである。それはつまり、悟りの境地は人から教えられて理解するものではなく、自ら得悟しなければ理解できない禅の神髄の境地である。冷暖自知が「自証自悟」とも言い表せられる所以である。

勿論、宗教における悟りの境地だけを示しているのではない。歌舞伎や能、狂言など、日本の古典芸能がもつ、業(わざ)の伝授もそうである。的確な言葉の表現が非常に難しく、以心伝心するかのように指導者の気持ちをとらえ、業を表現するものといわれている。

私たちの日常でも似たようなことは多くある。例えば、自転車の乗り方であれば、どのようにすればバランスが取れ、自転車を乗りこなせるか。このことを言葉で相手に伝えることは難しく、本人が体験し、乗りこなせてはじめて知るところである。

体験を通して獲得した智慧は、私たちに様々な発見や認識を与えてくれる。2018年、本庶佑(ほんじょたすく)氏の研究がノーベル生理学・医学賞に選ばれた。同氏が受賞の記者会見で、「教科書に書いてあることを信じない」「常に疑いを持って「本当はどうなっているのだろう」と、自分の目で、ものを見る」というコメントした。同氏は、今回の研究成果が出るまで、多くの失敗をしてきたという。その失敗に疑問を持ち、修正を加え実験を重ねてきた結果が今回の受賞へとつながったのである。様々な実験の失敗を体験したからこそ、成功への道筋がみえてきたのであろう。釈尊も苦行という失敗を経て得悟したように、様々な経験をすることで真実にたどり着いたのである。

私たちの身の回りには、未知なることが多く存在している。もし、少しでも興味が沸いたのであれば、実際に行動してみてはどうだろうか。それがどのようなものか、より深く理解できるだろう。たとえ、自分の思い描いていた結果と違ったとしても、その経験から得られた感性は、今後自分自身の糧となるはずである。

(禅研究所研究員)

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