愛知学院大学 禅研究所 禅について

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禅語に親しむ  令和2年度

吾常心是道(著・菅原研州)

大学院生の頃、定年退職まで残り一年だった先生のご好意で、二人で『正法眼蔵』「仏性」巻を読みました。同巻は長く、思想的にも難解で、読み終えることは出来ませんでしたが、ある一節に引っかかったことを思い出します。

徧界不曾蔵(へんかいふぞうぞう)といふは、かならずしも満界是有(まんかいぜう)といふにあらざるなり。徧界我有は、外道(げどう)の邪見(じゃけん)なり。本有(ほんう)の有にあらず、亘古亘今のゆえに。始起の有にあらず、不受一塵(ふじゅいちじん)のゆえに。条条の有にあらず、合取(がっしゅ)のゆえに。無始有の有にあらず、是什麼物恁麼来(ぜじゅうもぶついんもらい)のゆえに。始起有の有にあらず、吾常心是道(ごじょうしんぜどう)のゆえに。

問題は、末尾の「吾常心是道」です。他では見たことがない言葉で、先生は、道元禅師が「平常心是道」と「吾常於此切」を組み合わせて作られた言葉だと教えて下さいました。「平常心是道」は馬祖道一(ばそどういつ)禅師などが用い、我々の日常の心がそのまま悟りだということです。一方、「吾常於此切」は、洞山良价(とうざんりょうかい)禅師が、仏陀の三身の内でどれが説法しているのかという問いに対し、「ワシはいつもこのことにムキになっている」と答えた言葉です。

「吾常心是道」の意味ですが、江戸時代の学僧達の註釈書を参照しても、底本の問題なのか、「平常心是道」としているので使えません。

そこで、「吾常心是道」を直訳すると、「わたしの常の心が、悟りそのものである」となります。しかし、道元禅師は「いはゆる即心の話をききて、痴人(ちにん)おもはくは、衆生の慮知念覚(りょちねんかく)の未発菩提心なるを、すなはち仏とすとおもへり」(「即心是仏」巻)と示され、我々の日常的な心をそのまま仏と見なすことを否定します。つまり、「吾常心是道」も、我々の日常的な心だと安易に肯定することは出来ません。

「仏性」巻も含まれる七五巻本『正法眼蔵』には、道元禅師の直弟子であった詮慧(せんね)禅師・経豪(きょうごう)禅師による註釈書が残っていますが、以下のように註釈しています。

吾常心是道、此吾常は仏道也、非可疑、我等慮知念覚の心を、仏道には不可用、『正法眼蔵聞書抄(ききがきしょう)』「仏性」篇

先ほど危惧した「吾常」の解釈については「仏道也」とし、また、我々の日常的な分別心を仏道で用いるべきではないと注意しています。

詮慧禅師は、懐奘(えじょう)禅師とともに七五巻本の編集に関わったともされますが、道元禅師による『正法眼蔵』本文の推敲も良く把握されていたのでしょう。『聞書抄』の大分県泉福寺(せんぷくじ)本では「吾」の横に、異本では「平」ともあると指摘しています。それが分かった上で、「吾」で註釈しています。実際に、懐奘禅師の「仏性」巻書写本(大本山永平寺所蔵)や他の古写本では「吾常心是道」とし、一部では「吾が常心是れ道」と訓読する場合もありますので、こちらが正しいといえましょう。

「吾常心是道」とは、我々の日常の心をむやみに肯定することを認めず、洞山禅師のようにムキになって参究されるべきだといえます。ムキになって仏道が参究される時、初めて「わたしの常の心が、悟りそのものである」といえるのです。

私自身は、この語句を通して、『正法眼蔵』を学ぶ時には、たった一語であっても、大切にすべきことを教わりました。

(教養部准教授)

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