日本曹洞宗は道元(どうげん)禅師(1200〜1253)に始まり、4代目の瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)禅師(1264〜1325〈以下、瑩山禅師〉)の時代に教線を拡大し、飛躍的な発展を遂げます。現在は、本尊(ほんぞん)の釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)・道元禅師・瑩山禅師を併(あわ)せて「一仏両祖(いちぶつりょうそ)」とし、曹洞宗の根幹といたします。本年は、瑩山禅師の700回大遠忌にあたり、4月1〜21日にかけて神奈川県の大本山總持寺(だいほんざんそうじじ)において慶讃法要(けいさんほうよう)が厳修(ごんしゅう)されます。
大遠忌のキーワードは、「相承(そうじょう)」です。意味は、釈尊以来の仏法が師から弟子へと間違いなく受け嗣(つ)がれること。瑩山禅師は、道元禅師の教えを確実に受け持(たも)ち、さらに弟子へと伝え広めたことが象徴的に示されているのです。このたびは大遠忌にちなみ、瑩山禅師の著書の中から、「相承」にまつわる法(仏法)の伝承にスポットをあて、教えの一端を紹介させていただきたいと思います。
〈原文〉
かつて、一法(いっぽう)の他(た)にあたふるなく、一法の人にうくるなく、これを喚(よん)で正法(しょうぼう)となす。
〈通釈〉
昔から、たとえ一つの法であっても他に与えることはなく、一つの法であっても人から受けることはないとされる、これを正法という。
これは、瑩山禅師が著した『伝光録(でんこうろく)』の「摩訶迦葉章(まかかしょうしょう)」に記されている一文です。『伝光録』は、釈尊から道元禅師の後継となった孤雲懐奘(こうんえじょう)禅師(1198〜1280)に到る歴代の祖師一人一人について、その境涯とさとりの機縁が示された祖録です。この文は、釈尊の後を受けて仏教教団の二代目となった摩訶迦葉尊者(そんじゃ)が、釈尊が示した理法の真髄をはっきりとさとり、教えを嗣いだ場面(拈華微笑(ねんげみしょう))に対する瑩山禅師の見解となります。すなわち、仏法の真理というのは、わずかであっても他者に与えたり、誰かからもらったりできるようなものではないというのです。それは、自らの全身心(ぜんしんじん)をもって、師によって示された真理の兆(きざ)しを確実に捉(とら)え、仏法を自家薬籠中(じかやくろうちゅう)のものとすることに他ならないのです。
瑩山禅師の意図は、自己の本性(そのもの)以外にさと禅語に親しむりはなく、この会得(えとく)こそが仏道の最要(さいよう)であることを示すことです。いわば、自己の本当のありようを正しく探求できるのは、自己以外にはないことを示唆(しさ)しているのです。さとりは、今のわたくしを離れてはあり得ない。だからこそ、わたくし自身が仏道を真摯(しんし)に歩み、さとりを見出すほかない。これが、仏道を歩むものに対する瑩山禅師なりの接化(せつけ)(導き方)なのです。
導き方は、人それぞれ。懇切丁寧にものごとを説き示す人もいれば、示唆だけを与える人もいます。ただ、古来禅門の師は、細かな言説や質問に対する明言を避ける教導(きょうどう)を旨(むね)とします。それは正解を与えるのではなく、弟子の力量を最大限引き出すことが師の本義とされるからに他なりません。言わば、師は弟子を示唆的に導くのみで、答えは弟子自身が懸命に精進して見出さなければならないのです
禅は、自分自身の力で壁を乗り越えようとする時、はじめて人は想像を逞(たくま)しくし、本当の意味でものごとを領得(りょうとく)すると見ました。いわば、さとりの真実は弟子の数だけあるのです。瑩山禅師もそうして門下を育んだのでした。その結果が今日の曹洞宗教団として結実しているのです。
(文学部講師)