禅はインドの仏教の瞑想と中国の大地に根ざした大地性との2つが見事に融合して創造された東洋の宗教の結晶です。禅を生みだした中国の精神的土壌の特質を明らかにし、その禅の教えを正しく日本に伝えたのは道元禅師です。
道元禅師が中国に留学して禅を学んだのは浙江省の太白山天童寺でした。この寺は文化大革命の時に大きな破壊を受けましたが、1980年に復興し、日本曹洞宗発祥の地、福井の永平寺と同じように、中国曹洞宗の祖庭となっています。老松古木と渓流、竹林に囲まれた天童寺は中国の仏教聖地の一つです。
この天童寺に留学されたのが道元禅師でした。それは、1223年4月中旬のことでした。明州、慶元府に着いた道元禅師は、阿育王寺の典座(てんぞ)(台所の責任者)に会いました。その61歳の老僧は、貿易船に積まれたシイタケを買いにきたのです。道元禅師は「どうして坐禅したり、禅の語録を読んだりしないで、シイタケの買い付けなどしているのですか」と質問しました。するとこの老僧は「お前さんは外国の立派な人のようだが、まだ修行ということがわかっていない」と答えました。道元禅師は禅の修行とはいったい何のことか、深い疑問につきあたりました。天童寺で修行をしている時のことです。典座の用和尚が夏の暑い日、一人で笠もかぶらず、キノコを乾かしていました。背骨は弓のように曲がっていました。眉は鶴の毛のように真白でした。道元禅師は用和尚に「誰かに手伝わせたらどうでしょうか」と言いました。用和尚は決然として「他はこれ吾にあらず」と答えました。今やっている典座の仕事は、自分の仕事であって他人がかわって行うことはできないものであると言ったのです。道元禅師はさらに「こんな暑い時ではなく涼しい時になさってはどうでしょうか」と言いました。用和尚は「さらにいずれの時をか待たん」と答えました。今の仕事は今やるのであって、それを明日やればよいというような考えではだめであると教えられたのでした。その時、その時、全力をもって仕事をすること、修行をすることの大切さを道元禅師は悟られたのでした。
宗教とは自己自身を究明することです。オウム真理教にみられるようなカルト集団や地下鉄サリン事件のような反社会的行為は、真の宗教とは無縁であることを知らねばなりません。西田哲学の創始者、西田幾多郎博士は「宗教的要求は自己に対する要求である。自己の生命についての要求である(『善の研究』)と断言しています。道元禅師が「仏道をならうというは、自己をならうなり」と言われたことこそ正しい宗教の本質です。自己自身が永遠の生命(仏)に生かされていることを自覚することが宗教なのです。
道元禅師はまた「玉の琢磨によりて器となる。人は練磨によりて仁となる」(『正法眼蔵随間記』)と言われました。人間の一生がそのまま修行にほかならないことを示されました。この禅師の教えは、能の世阿弥に大きな影響を与えました。世阿弥は「初心忘るべからず」(『花鏡』)と説き、能の修行は何歳になっても続けなけばならないことを強調しました。武道の宮本武蔵もまた「朝鍛夕練」という30年の修行を説いたのです。自己をしっかりと磨きあげることが何よりも大切なことです。