愛知学院大学 禅研究所 禅について

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講演会レポート 平成08年度

人生は雨の日の托鉢―禅に学ぶ経営のこころ―金沢市大乗寺専門僧堂講師 松野宗純

 命の尊さを実感してきましたのは最近です。先日、友人と話しました。平均寿命からずると、自分はあと5年の命ということになります。自分の人生をふり返りますと、自分を見つめた旅路でありました。そこで、私のもった悩み、悲しみ、喜び、あるいは人生で考えさせられたことを話してみましょう。

 私は岐阜の下呂に生まれました。進学にあたり、父と相談し就職によいということから工学部へ進みました。しかし、就職を考えるよりは自分のやりたいことを行う道に進む方がよいと思いました。私は石油会社に就職しましたが、友人と比べて、自分の将来に不安を感じました。そのためにもう一度、勉強したいと思い米国のレンセラー工科大学へ入学しました。米国へ行くと、見るものすべてに感激し努力しました。私は将来に対し、挑戦的な気持があるとともに体が丈夫であったことが幸いしました。

 次のような話があります。デンマークの哲学者キェルケゴールは、夏休みになると父の別荘に行きました。湖のほとりに野鴨がいました。疲れた野鴨にえさを与えている人がおり、野鴨はえさを食べて数千マイルを飛んで行きます。しかし、段々と野鴨はそこに居すわってしまい太ってしまいました。そのため飛ぶことさえできない野鴨になっつてしまいました。これは貧しいところから豊かになった日本の例と同じであります。つまり野性を失った野鴨は死しかなかったのでありまずす。この野鴨の教えは野性の精神、挑戦の精神をもてということであり、その気持ちが私の精神であったのです。

 私は出家後、師に対し仏は何かと問いました。それに対して師は、命の働らきが仏の教えであることを教えられました。つまり仏は、自然であるのです。そして自分の命が有限でないことを感じるようになりました。

 釈尊は3つの教えを説きました。三法印です。

(1)諸行無常―あらゆるものは変化し移り続ける。
(2)諸法無我―一人として独立して存在するものはない。
(3)涅槃寂静―悟りの境地の心は静かである。

 この3つの教えを離れて経営はありません。企業は永続して社会に寄与する。それは3つの教えによらなければできないのであります。

 私が生きることを模索したのは50歳頃であります。一度しかない人生を生きるためには、母に生んでくれたことをありかたく思わなければなりません。現在、私の母は植物人間になっています。何をいってもわかりません。しかし、母に生んでくれたことをありがたく思っています。道元禅師はそれを「人身得ること難し」といわれ、人間に生まれ、仏法に会えたことは幸福であります。

 人生は大きく4つに分けることができますが、20歳までに志を立てる。大きな志は、人に役立つような入間になること、人間完成をめざすことであります。小さな志は、もっと小さな具体的な目標を立てる志であります。志を立てたら必ず成功します。一歩一歩努力する。その努力が宝となります。継続は力なりの信念を失ってはいけません。これが釈尊の説く精進であります。

 自分の人生で一番大切であったことは。“出会い”でありました。他人が幸福になることは、自分が不幸になると感じます。他人の幸福を一緒に喜んでくれる友人が真の友人であり、そのような友を作るとよいと思います。

 努力を継続するエネルギーを道元禅師は無常観と教えています。いつ死ぬかわからない生の尊さ、それを腹に持ち一日一日を頑張って生きる。それが維続するエネルギーとなります。

 生きるために食事をします。心の食事は読書であります。読書は出会いです。その人の思想、足跡を訪ねることができます。心の充実こそは幸福といえましよう。

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