愛知学院大学 禅研究所 禅について

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講演会レポート 平成20年度

禅・仏教と現代科学の接点―見えるいのちと見えないいのち―広島国際学院大学名誉教授 江角弘道

 私は、学生時代から物理学の研究をしてきましたが、平成11年に、20歳の娘を事故により失い、以来、いのちと向かい合うようになりました。そうした中で、仏教は「いのちの教えである」ことに気付きました。いのちとは無関係と思われる物理学が、仏教と関わりの深いことに気付きました。ここでは、いのち≠中心に「禅・仏教と現代科学の接点」を論考します。

 金子みすず作詞の童謡「星とたんぽぽ」に、「見えぬものでもあるんだ」という詩が繰り返し出て来ます。物理学の概念である力や電気などの物理量は、直接には見ることができないものですが存在します。いのち≠焉Aこれと似ているのです。

 いのち≠ノは主に二つの意味があります。「生物が生きていくためのもとの力となるもの」(見えないいのち)と「生きている間、生涯、一生」(見えるいのち)です。地球上の最初の生命は、原始大気中の無機物から生まれました。このような生命は、「生物学的生命」です。しかし、その生物学的な生命も元をたどれば無生物の中から出てきたのです。それは「前生命的生命」と呼ばれ、生物、無生物の垣根を取り払った生命です。生命は、ある時を境にして生まれたのではなく、ただ、宇宙の始まりから、あるいは、それ以前からある命≠ニいう、途切れることのない流れの中に現れたものだと言えます。それが、「見えないいのち」です。

 「見えるいのち」、つまり私たちの命の起源は物質粒子です。物質は、物理学の対象であり、それについて考察することはいのち≠ノついての考察をすることになります。ここに、物理学といのち≠ニの接点があります。

 ものを形づくっている根源物質の仕組みを探求する素粒子物理学は、宇宙の歴史を遡さかのぼることに繋がります。宇宙は137億年前のビッグバンで生まれ、誕生直後には自由に飛び回っていたクオークや電子が相互に結びつき、陽子や中性子、さらに原子や分子を生成しました。それらの生成にはビッグバンによる巨大なエネルギーを持つ光が関係しています。アインシュタインは、特殊相対性理論の中で、エネルギーと質量は、同等であることを示しました。光から質量を持つ粒子が生成されることは、エネルギーの形態が変化するだけのことです。

 一方、粒子と反粒子が出合うと、大きなエネルギーを光の形で出してどちらも跡形もなく消えますが、実際には私たちの世界(粒子だけの世界)が存在しています。これは粒子と反粒子の性質にごくわずかな違いがあり、粒子だけが生き残ったためと考えられています。この非対称性こそが宇宙、そして私たちが存在できた根本理由です。したがって、いのちの根源は、光であることになります。これは、旧約聖書の創世記の、「神は天地創造の初めに「光あれ」と言った」という記述と対応しているように思えます。

 よく考えてみると、今ここに自分が生きていることが最大の不思議です。元花園大学学長の山田無文老師は、結核療養中に、一陣の風を感じられた瞬間、「人は大きな力に生かされておるのである」ことを実感されました。この「大いなるもの」は、「見えないいのち」です。

 ところで、無文老師が感激された空気は、その組成が6億年前からほとんど変化していないそうです。それがいのちを維持しているのです。地球上では、空気が常に一定の範囲内で恒常性を保っています。人間の身体もすべての生命体も、無生物の地球も、そのようなすばらしい制御機能を持って生きています。それをプログラミングしたのが「見えないいのち」です。生命科学者の村上和雄は、それを「サムシング・グレート」と名付けました。このように、超越的な存在が私と一つになって働いてくること、外から働きかけるものが内から湧き出てくる構造、自己相似的なことをフラクタルといいます。光からすべてのものが生まれてきたという誕生のあり方から、すべてのものは、フラクタル構造をもつことが最近、わかってきました。原子の構造と太陽系の構造もそうです。当然、人間も自然の一部、宇宙の一部なので、フラクタルになっています。また、人間のこころ≠烽サうです。

 現代物理学の量子力学によると、素粒子には、粒子性という局在性と波動性という非局在性の二重の性格があります。この二つの性格は、一方が滅すれば、他方が増えるという関係、つまり相補的関係にあります。「相補性原理」を提唱したニールス・ボーアは、この原理と中国の古代哲学である陰陽思想とが、よく似ていることに気付きました。陰陽のシンボルに「太極図」がありますが、それに似た図をシンボルに使っている学会があります。それによると、シンボル全体は子宮を、黒い部分は胎児を表すとのことでした。これから、太極図全体は宇宙を表し、黒い部分は、見えるいのちであり、白い方は見えないいのちを示したものだと考えることもできます。

 相補性原理を、「一方を否定すれば、他方も成立し得ない相互依存の関係性」と解釈すると、「見えるいのち」と「見えないいのち」の関係になります。それらは、相補的二重存在の関係にあります。科学の公理に因果律がありますが、現代科学を導く公理は、因果律のみでは不十分です。原因と結果の間にも相互 依存性があり、因果律自体が「相補性原理」の一部とも言えます。仏教では「因縁果」といいますが、「縁」の思想は科学にはありません。「縁」即ち「縁起」が相補的なのです。この「相補性原理」こそが、「生命的存在の原理」である「相補的二重存在性」と対応しているのです。(河)

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