愛知学院大学 禅研究所 禅について

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講演会レポート 平成24年度

見えない「もののけ」を描く―鬼・妖怪・幽霊をめぐって―国際日本文化研究センター所長 小松 和彦

私は長い間、民間信仰の勉強をしてきましたが、特に鬼とか妖怪というように、どちらかというと否定される存在に関心を寄せてきました。今日は、そのような見えないものを、日本人がどうやって描いてきたのかということをお話しできればと思います。

信貴山縁起絵巻の中に、命蓮というお坊さんが、醍醐天皇の病気を治す話が出てきます。命蓮は都へ行かず、山で祈祷をするだけなのですが、使者の護法童子が病気の原因である「もののけ」を退治することで、天皇の病気は快癒しました。絵巻には、退治する側の護法童子は描かれていますが、退治される側は描かれていません。「もののけ」はどんな姿なのかと考えたのが、私の関心の始まりです。

私は日本の信仰世界の全体像を、神様と妖怪と人間という三角関係で考えています。神様と妖怪、すなわち「もののけ」の違いは、人間に幸いをもたらすか、災いをもたらすかということと、人間との間で何らかの関係を結んでいるかという点にあります。例えば、カッパは人間に災いをもたらす妖怪ですが、人間が社を作って祀ってあげれば、神様になるのです。

さらに、妖怪について考える際には、三つの段階を設定できると考えています。まず始めに現象があり、次にそれを引き起こす存在があり、最後にその絵が描かれるということです。例えば「山びこ」という現象に対しては、それを引き起こす存在として山に住む「山彦」が考えられ、その姿が想像されて、絵が描かれることになるのです。

そのような妖怪の姿をとらえる方法がいくつかあります。例えば占いです。占いとは「裏」の世界を見ること。その一つが託宣です。託宣とは、「もののけ」が誰かの身体に憑依、すなわち乗り移り、その身体を借りて自分の意思を伝えることを表します。

その他にも、夢の中で「裏」の世界を見るとか、偶然「裏」の世界をのぞいてしまうという方法もあります。たまたま木の下で休んでいたら、姿は見えないけれども、木の上の神様の話し声を聞いてしまったというような話です。

そうした中でも、託宣の場面はいろいろな絵の中で描かれています。ただし、そこに描かれているのは「もののけ」の姿ではなく、「もののけ」に憑かれて狂乱状態になったり、梁の上に座って託宣を行う人間の姿です。こうした異常な事態を描くことで、憑依の状態が描かれるのです。

しかし、これは私たちが見ることのできる、こちら側の世界です。向こう側の世界を見たいという人々の思いから、やがて、それらを描いた様々な絵が現れました。

「もののけ」の絵と言えば、中心になるのは鬼でしょう。筋骨たくましく、頭に角を持つ鬼の姿は、13世紀頃に作られました。その絵を多くの人々が見たために、鬼のイメージはほとんど変化せずに現在まで継承されてきました。

そのような鬼が、病人の身体を金槌のようなもので叩いている絵があります。この鬼を追い払うのが、信貴山縁起絵巻に描かれていたような護法童子とか、陰陽師の使いの式神です。両者の戦いが、向こう側の世界で展開されているのです。その様子をこちら側の世界から見ることはできませんが、それを夢の中でのぞき見て、その様子を絵に描くことになるのです。

ただし、昔の人々が抱いた鬼のイメージは、それだけではありませんでした。痩せ衰えた「餓鬼」もいれば、百鬼夜行と言うように、馬の顔や鳥の顔の鬼がいたり、様々な道具が鬼になることもありました。それらが人間に襲い掛かってくるのです。

そこで、この鬼達を追い払うために、様々な祈祷が行われます。すると、その鬼達が誰かの身体に乗り移り、「自分はこの者に恨みがあるから、命を奪いに来た」ということを語ります。つまり、託宣や占いによって鬼の正体が明かされるのです。自分は誰の生霊であるとか、死んだ誰それの霊であるとか、誰が使っていた道具の霊であるという具合です。そうした人間や動物、あるいは道具の怨霊が、その恨みを晴らすために人間に災いをもたらします。ですから、「鬼」という言葉によって、一般的な鬼の姿を思い浮かべてしまうと、何もわからないことになってしまいます。

反対に、この鬼とか妖怪のイメージがさらに個別化されることで、幽霊が出てきました。江戸時代には、鬼とか「もののけ」という抽象的な存在ではなくて、具体的に「お岩」とか「お菊」という幽霊になって、はっきりした形で絵にも描かれるようになるのです。

もあれ、鬼のイメージは本来多様なものでした。しかも、「もののけ」とは悪い霊という程度の意味であり、それが祟って災いをもたらすと「鬼」と言い換えられたのですから、鬼と「もののけ」はもとは同じ存在です。その正体を知るために託宣や占いが行われ、それによって見えないものの世界が描かれました。ここに、日本の妖怪文化があると私は考えています。

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