過分な紹介をしていただき、ありがとうございます。
今日は最終講義ということで、私自身のことをお話ししながら、研究、それから授業や教育について話をしたいと思います。
1番目は私自身のことです。
私は昭和23年の3月生まれで、いわゆる団塊の世代です。
この世代は、相手を蹴落とすような競争の激しい時代です。そういう中で、私はお寺の息子ですが、少し親に反抗しまして、駒澤大学には仏教学部ではなく文学部歴史学科に入りました。
しかし、その年の11月に、私の祖父が亡くなり、身内の死を通して人の死を初めて感じ、菩提心を発して2年から仏教学部に変わりました。
そこで、久馬慧忠老師の『袈裟の研究』を読みました。その中に国語学者で『正法眼蔵』などの研究をした水野弥穂子先生が、御袈裟を縫う会(福田会)を自宅で開いていると知り、その会に参加すると、自然と仏教に対する親しみが湧いてきました。
また、決定的だったのが鎌田茂雄先生との出会いでした。昭和2年生まれの鎌田先生は戦争を生き延び、「生きるとは何ぞや」と問うて禅を求め、鎌倉円覚寺などで坐禅をしました。鎌田先生はすさまじく、「酒を1時間飲んだら、その倍の2時間勉強せい」という人でした。
さらに、名古屋出身の酒井得元先生は、学生に出身地やお寺の名前を聞くと、その地域やお寺に「こういう坊さんが出た」という話をし、その坊さんに負けないよう1つのものに秀でる勉強をしなさいと励ましてくれました。
石川力山さんという先輩にも恵まれました。石川力山さんは、学問に対する姿勢がすごかった。さらに熊谷忠興さんは、永平寺のことは何でも知っていて、何を尋ねても答えてくださる。私が苦しいときにいろいろ助けていただきました。
こういう先輩と同時に、よき友達にも恵まれました。広瀬良弘君や阿部慈園君は、私と違って真剣で真面目なタイプでしたが、タイプが違うほうが仲良くなれるようです。この2人が最初の友達でした。
したがって、若い皆さんも、よき恩師とよき先輩、よき友人、これをつくれば何でもできると思います。
2番目は「教育」です
私は大学院を卒業してすぐ本学に来ました。ちょうど大学全体が末盛から日進に移転したときです。その時、宗教学の科目を2コマ持ちました。最初の授業は足がガタガタ震え、チョークを持つ手も揺れていたのを覚えています。当時は1クラス150人ぐらいです。そんな中、私はマイクを使うのを止めて、全員を前に集めて地声でやりました。距離感を近くにしたかったのです。
宗教学を教える時には新しい学説も取り入れ、新資料などを読む機会も付けました。学生には全然分からないこともありますが、優しい内容で教えるように心がけると、お寺の説教や法話、文化センターや老人会の研修会に、宗教学の授業を応用できました。
3番目は「研究」です。
研究分野をまとめますと、御袈裟・八事山興正寺と諦忍律師・愛知県の曹洞宗・名古屋の仏教・明治期の曹洞宗そして、自分のお寺の法持寺史を研究しました。
今日は特に御袈裟についてお話ししたいと思います。私がこの分野を研究するようになったのは、明治19年5月に、曹洞宗務局が発した「衣体ヲ斉整スルノ御諭告」で曹洞宗の御袈裟のあり方が統一され、更に「第3条 従来流布ノ五条衣修持衣ト称スルノ類及七条以上環紐アルモノ(謂ユル世間用)ハ宗内僧侶ノ被服ヲ禁止ス」とあったためです。つまり、今私が着けているのは絡子(らくす)という小さな御袈裟になりますが、江戸時代までは五条衣や修持衣なども普及していたのです。
その形状は文献だけでは分からず、調査をしてみると、江戸時代の初期には、身体に掛ける形の五条衣があったことが分かりました。もう1つの修持衣について、当初は五条衣だと思っていましたが、江戸時代には七条衣・九条衣・十三条衣などもあり、この辺はまだ最新の研究でも分かりません。
このように、私は御袈裟の研究に始まり、御袈裟の研究に終わる学究生活であると思います。私の研究方法は、御袈裟の縫い方でもある「返し縫い」のようなものです。一度縫って半分戻して、また前に進む縫い方で、これですと、1カ所がほつれてもまだしっかりしています。研究も同じで、なかなか前に進みませんが、一度振り返って後ろへ戻り、他のことも学ぶと、関連する分野の全体が分かることもあります。
また、自分の無知を知ることが大切です。学生さんは、自分の知らないことを貪欲に求め、「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」と思って質問をし、学ぶことが必要です。
最後に、演題に入れた「志いまだ老いず」は、佐藤一斎の『言志四録(げんししろく)』にある言葉です。人間の体力から発する血気には、青年と老人とで大き な違いはあるが、精神よりほとばしる志気は、老人と青年の間に違いはなく、老人のほうがますます高くなるということです。私も「志 いまだ老いず」で、一生行きたいと思っております。
そして、私は非常勤を2年、専任を40年、この愛知学院大学に勤めさせてもらって、無事に定年退職いたします。大学関係の先生方、当局の皆さん、そして家族にも感謝、お礼を述べたいと思います。
1時間半の長い間のご清聴、本当にありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
※本講演の詳細は、『禅研究所紀要』第46号に収録された講演録をご参照下さい。